雪のせいで、キャンプ場のCサイトがこんなにも狭く、寂しく見える。春から夏、そして秋、あの頃の賑わいをまるでこの風景は忘れてしまったかのようだ。春の光の中で、夏の星空の下で、秋の日のやわら日に寛いだあの人たちは今、どこでどうしていることか。この辺りの山も冬の眠りに就いた。芝平の谷もそうだ。しんしんと降る森や林を想い、雪の中に孤立しながらも人々の生活の場であった集落を、まるでそこに暮らしていた者かのように懐かしむ。
頬被りして、背を丸め、雪の中、山室川の川端を行く村人の姿。薄暗い土間、その奥からする人の声「お入りな」。雪を払い、言われるまま上がる。囲炉裏の傍に座り、かじかんだ手を火にかざす。老いた父親の具合が悪化したので、医者を呼びに行く相談だった。そのためには馬がいる。医者を乗せてこなければならない。いるかも分からなければ、来てくれるかも覚束ない。山を越え、藤沢の谷の医者を頼むのが一番早い。と言っても、行って医者を連れてきて、そしてまた送り返すから二往復、早くても半日以上かかる、いや一日仕事になる。医者がいなければ玄関先で待たなければならない。病人が出た時が一番大変だったろうが、医者は多くの場合、気休めにしかならんかったのではないのか。それが集団離村を決断する前の、山奥の暮らしだったと「芝平史」にあった。
これはとても「懐かしむ」話ではないが、あの集落を行き来する中で、いつしか一人の村人になったような気がして、そんな不自由な時代のことを時に想像してみたりした。あの貴重な村の歴史を綴った1冊の本のお蔭である。
かつて分校の前の庭で遊ぶ半纏(はんてん)姿の子供の一群には、北原のお師匠に似た少年の姿もあっただろう。
今週末の3連休、まだ予約はないけれど上に行くことにします。一人でも二人でも、どうぞ。
「冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。