入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「春」(18)

2023年03月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 早春の朝の風が陋屋の中に入ってくる。長らく人工的な暖房の助けを借りて暮らしていたから、やはり、新鮮な大気が快く感じられる。山鳩もそれを喜ぶのか今朝も、ボウボウとあのくぐもった声をしばらく遠くから聞かせてくれていた。

「福島村コロナ騒動記」もたった1日で終息し、ほぼ普段の暮らしに戻りつつある。それはいいが、いったんは中止と決まったカレーライスの会もやはり復活決行することになり、この会の仕切り役を務める面々は、決断と翻意を軽業師のように見せて、病み上がりの料理役を翻弄させてくれている。
 やはりカレーについてはそれぞれに一家言があり、しかも仕切り役が複数人いる上に、味についても勝手な思い込みが激しいから、簡単なことではないとは分かっている。
 
 最初、エビを使うつもりでいたら、意外にも早々に候補から落ちて秘かに安堵した。エビはやたら手がかかるのだ。残るトリ、ウシ、ブタの3択からはブタに落ち着きヨシヨシと思ったら、ブロックは駄目だと言い出す者が出る始末。さらにはジャガイモが入らないカレーはカレーにあらずと固く信ずる者もいて、プロは使わないと拒否しようとしたら収拾がつかず、妥協案として茹でた芋を添えることにした。また、カレー用の皿という物は洋食器にはないと話したら、危うく嗤い殺されそうになる、と言った調子で、果たしてこの先どういう事になるのやら。
 会の開催は明後日だが、明日のうちに準備から仕上げまで済ませて、作り置きにするつもりでいたがこの分ではそんな予定通りにいけるのか、熱がまた出てきそうだ。大半がすでに古来稀なる年齢を過ぎているはずなのに、クク。
 
 きょうは来年度の仕事の契約をすることになっている。招かざる客covid-19に気を揉んでいる間に、牧を開く日もいつの間にか残り1ヶ月を切ってしまった。今年も、5か月の冬ごもりから、これから先の新たな日々へと気持ちを切り替えていかねばならないが、まだ遠ざかりつつある列車の後ろ姿の方が気になるといったところか。
 
 待ち遠しかったボケの白い花がようやく咲いた。今年も一輪だけが先行したが、昨年のようにそれほど後続を待つことなく開花しそうだ。それと、先程用事で出掛ける途中で雨の中、1本の桜の花が開花した様子も目にした。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(17)

2023年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 好事魔多しとはこういうことを言うのだろうか。自らの健康を喜び、軽トラのように生きていきたいと呟いた途端に、何とcovid-19に感染したのではないかという疑念に襲われた。鼻水がやたらに出て、2,3日前からはのどの痛みを感ずるようになり、となればてっきりこれは、忘れかけていたアレかと思ったのだ。「福島村騒動記」の始まりである。
 
 万一、それこそ万一罹ったとしても、ワクチンは5回受けているし、重篤化するとまでは考えていなかった。気になったのは、他人に感染させてはいけないということで、過去に会った友人知人を一応簡単なメモを基に調べてみたら、中に基礎疾患を持った友人がいた。加えて、きょうから帰郷した友人にも配慮する必要があった。
 この週末には、その帰郷した友人の家で10数人が集まり、カレーライスの会を開くことになっていた。しかも、その料理を担当することになっていたが、ひとまず中止と決まった。

 入笠へ行った13日を含め、過去10日間の間には合計で4名としか会っていない。その後、この人物らと電話での会話はあったが、誰からも特段の異常を訴えるような話はなかった。体温はいつもと変わらず、鼻水もおさまり、のどの痛みは市販の風邪薬で治まっていた。
 きょう、いろいろと工面してくれる友人たちのお蔭で、簡易検査2種類を使って調べてみると、両方の結果はやはり陰性であった。
 もしも普通の風邪なら、今春はズボンの下に履いていた肌着を脱ぐのが早過ぎたせいだろう。

 そのことに気付いて、実はこの1週間ほど、厳冬期の入笠並みの身支度に変えていた。居間の温度は常に20度以上に保ち、山用の肌着2枚に高所用の羽毛服を着て、寝る時も、敢えて分厚い羽毛服を着たままで布団に入っていた。
 これは風邪を引いた際、熱目の風呂に入ってから羽毛服のまま布団に潜り込み、強制的に汗をかきながら次々に肌着を取り換えて体温を下げるという、いつもの対処療法とほぼ同じである。
 しかしこの荒療法は、相当に体力を消耗する。それに、もしcovid-19ならこの手は通用しないはずだと考えて、前半の入浴及び強制発汗は行わないことにしていた。

 清貧独居禁欲を守り生活してきた身で、これがcovid-19なら、理由は分からないが天罰だと思うしかなかった。今は窓を開け、暖房を切って、春のそよ風の快さを身に沁みて感じている。ただ、まだしばらくは安心せず、人との接見は極力慎むつもりでいる。

 WBCに優勝できたのは大いに結構だが、相手選手が神聖なグランドでやたらに唾を吐き散らすのは、風貌は措いても、さながら未開の人のように思えた。日本選手の行儀の良さが光った。
 本日はこの辺で。

 
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     ’23年「春」(16)

2023年03月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「わたしは軽トラのようになりたい」という話をどのように続けるか、と迷う。「わたしは貝になりたい」のように、敗戦後の連合軍がやったことを思うと、話をそっちへ持って行きたくなる。堪えるのが難しい。
 今ウクライナで起きてることを善人面して批判する西側のお歴々だが、かつて自分たちがしてきたことを思い起こせば、少しは気が引けないかと言いたくなる。日本軍も蛮行をしたし、彼らも間違いなくしたのである。同じ人間同士が、まさしくあらゆる手段を尽くして殺し合ったのだ。
 
 軽トラは全く機能本位で作られたもので、見栄えはせず不細工で、乗り心地はあまり褒められたものではない。その上に車重がないから惰力が使えず、意識的に加速し続けなければ一定の速度を保てない。乗用車の感覚とは大分違い、長距離走行にも不向きだろう。
 それでも、あの600㏄そこらのエンジンで山を登り、丘を駆け、4駆であれば泥道、雪道にも対応する。登坂力もあり、それなりなりの荷物を運ぶことができる。扱いが容易で小回りが利くし、故障は少なく燃費もよくて価格も高くない。税金も安い。あれは車と言うよりか何だろう、まるで気の利く助手のようなものだ。

 もちろん、自らをそんな有能な軽トラと同じとは思っていないし、また豪華な高級車など望むべくもないが、身の丈に合った車を求めれば軽トラになるし、自分の性にも合っていると思う。そもそもが、出世・栄達についても、あるいは快適な家にも車にも、関心がなかった。
 いや、正しく言えば早くから、そういう可能性については縁のないものと思っていたような気がする。

 なぜ「わたしは軽トラのようになりたい」などという突飛な願いが突然ひらめいたのか。恐らくそれは、軽トラが、自分にとってかくありたいと願う理想だったからだ。単純な構造だから故障も少なく燃費が安い、先代は20万キロも走った。人間なら病気をしない、長生きだということである。
 清貧であったかは知らないが、豊かではなかった。しかし、それゆえに過剰なことを期待したり、求めてはこなかった。野心なぞ燃やさず、分相応に生きてきて、ようやく入笠牧場へ辿り着いたと思っている。
 
 先のことなど分からないが、今のところは健康であり身体に苦痛はない。日々の暮らしに不満なぞない。この年齢まで来ればそれで充分である。
「軽トラのようになりたい」、これは自身へ送る声援、yellである。
 
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(15)

2023年03月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
「後期高齢者」などというあまり有難くない肩書を背負って以来、ご同輩諸氏と顔を会わせるとどうしても身体の不調が話題になる。また、何もしてやれないとはいえ、現に患っている者のことが当然ながら気になる。そして、いつの間にかそういう年齢になったのだと、慰めにもならないことを言って終わる。
 
 有難いことに、頭、心、血圧、それともう一カ所の他、いまのところ格別に何か不具合を自覚することはない。身体にメスを入れたことも、久しく病のために床に就いた記憶もなく、時に友人諸氏の間ではわが不気味な健康状態が話題になるらしい。ある時「まるで元気であることが悪いみたいじゃないか」と言ったら、「そうだ」だと。
 いやはやこれには二の句が継げなかった。彼は高級車中の高級車に乗っているのに腰が不具合で、医者からは軽トラに乗れと言われたらしい。実に正しい診断だ。

 常々「清貧独居禁欲」を守って、地味に生きてきた。シートベルトをするのも面倒、covid-19のマスク対策もよく忘れて注意されたり、何をとっても完璧とは程遠かった。それが不思議なことに"信州に下って”20年近く、炊事、洗濯、家事、身の回りのことを何とかこなしてここまで来た。
 亡妻の庇護下にあった時には何もしなかった。家のことはもちろん、はては背広や靴、ネクタイに至るまで任せっぱなしにしていた。彼女の口癖は、いつか山で死んだ夫の妻になる、だったはずなのに、先に逝ってしまった。

 昨夜、いつものように独酌をしていて、ふと、「わたしは軽トラになりたい」と思った。この意外な思い付きは、名作「わたしは貝になりたい」という題名の古いテレビ映画と繋がる。
 
 終戦後、除隊して故郷に帰り、夫婦二人で理髪店を経営しながら曲がりなりにも平和に暮らしていた。そこへ突然進駐軍がやって来て、彼は身柄を拘束されてしまう。容疑は、戦時中に撃墜されて捕虜になったB29の乗員に対し、上官から刺殺を命じられながらも、気の小さな彼には傷を負わせる程度のことしかできなかった。しかしそれが捕虜虐待の疑いをかけられ、結果BC級戦犯として死刑が確定してしまうのだ。
 この不運な男がその執行前に、今度生まれて来るなら人間でなく、深い海の底で誰にも邪魔されることなく静かに暮らせる貝になりたいと遺書にしたためたのだ。
 映画はある元陸軍中尉の手記に基いて作られたようだが、この映画と似たような事が戦後の日本ばかりか、日本軍が侵攻した国、島、各地であったようだ。
 
 米軍側は、一夜にして300機を超すB29を毎夜のように東京へ出撃させ、10万人を超す無辜なる市民を殺戮したのに、これについては一切の責任が不問にされた。原爆投下もそうだ。細菌兵器による攻撃も考えていたようだが、使用する前に戦争が終わった。

 軽トラは生き物ではないから、正確には「わたしは軽トラのようになりたい」だろう。(続く)
 本日はこの辺で。

 

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     ’23年「春」(14)

2023年03月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日は久しぶりに布団を干したら、期待したような明るい春の日は射さず、薄曇りの天気で落胆した。また、好物の湯豆腐を食し、鍋じまいをした。まだ山芋があるがこれも近々にとろろ汁にして、すり鉢も片付けるつもりでいる。冬の無聊な夜を癒してくれた白鳥恵美子さまの「冬の星座」の聞き納めもした。
 そして今朝、蕗の薹の味噌汁を作ったはいいが味噌を入れるのを忘れて、椀にもってからそれに気付いた。情けない話である。

 きょうの写真は、われらが「星の狩人」かんと氏の、初公開となる"基地"の一部である。氏が狙う獲物は星や星雲で、こっちは牛や鹿、あまりにも違い過ぎて話がよく分からないが、何でも新しい機材を増やしたとかで、先日この写真を送ってくれた。曰く、
  
  「忠実な色の表現の為に①画面を、部屋(作業場)の余分な明かりを遮光するために②遮光フード
  を、定期的な画面保守のために③キャリブレーションを、印刷した写真の本来の色を見るために
  ④LEDスタンドを、ノートパソコンは開けなくても良いので⑤キーボードを調達しまた。」
  と。
 
 フム―、最近ではすっかりピアノに凝っているものと想像していたら、やはり星や星雲のことを忘れてはいなかったのだ。それにしても、几帳面なかんとさんらしく、何台も所有している望遠鏡や赤道儀、三脚その他の付属機器は、どこかに片付けてあるらしくこのPHでは見受けられない。当牧場へ来た時は大体10畳、もしくはそれ以上の場所をそれらで占拠するのに。クク。
 





  Photo by かんと氏(うち3点は再録)

 入笠牧場は星空の美しさについては自慢していいと思っている。以前は結構多くの人が来ていたが、このごろは忘れられたのか、望遠鏡を並べる人たちは入笠山の登山口、第3牧区の入り口の草原で止まって、峠を超す人はすっかり減った。その中でかんとさん、TBIさんを含む少数の熟達者が、いまだにやって来てくれる。
 伊那市の、秘かに「デネブ市長」とも呼んでいる白鳥市長は「入笠の夜空は日本一だ」と言って、自身の特大の名刺にも、かんとさんが入笠で撮影した天の川の写真を使っていたはずだが、さて今は。
 今年は、もう少し星に関心のある人たちに、峠を越えて足を延ばしてもらいたい。それだけのことはあると、その目で是非確かめてほしい。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
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