ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

死後の下見:天国の知り合い

2019年08月26日 | 夢の周辺

「私」はついて来る黒豹とともに
古い木造の宿泊所に到着します。


それ以上高いところがない
木造の家というのは、
私の夢の中での「天国」の象徴
のようです。


行き先を誤らないよう、
「天国」は自分が好む姿に
描かれる気がします。


入り口でチェックインのような
簡単な本人確認をするのも
以前の夢で経験しました。
本当の天国でもそうなのか


先に入居している人たちが
黒豹の姿にやや驚いても
怖がらないのは合点がいきます。
「天国」の住人に怖いものなど
もはやないのでしょう(笑)


慣れない場所と自分の部屋が
見つからない「私」の緊張を
ほぐしたのは、白いネグリジェの
高齢で白髪の女性でした。


「私」は彼女を知っています。
実の友人で名前はスーと言います。
かつてのボランティア仲間でした。


彼女は2年前の夢「マオリの子」
にも登場して、
「あらー、みこと
と言いながらベッドにいました。
その時も白いコットンの
ネグリジェを着ていました。


彼女は私より2回り年上なので
あちらの世界で先輩として
再会することになるのか?


ペットが待っていてくれて、

「天国」にも知り合いが
いるというのはホッとする、
ということを実感しました。 


当の本人は今年81歳ですが、
別のボランティアで日々
元気に飛び回っています。


今回の夢でも、「マオリの子」でも
今年の誕生日に見た夢でも、
「部屋が見つからない」
という状況はよくあります。


建物まではたどり着けても、
自分が入るべき部屋がない


それこそ自分が生きている証左で
死後の下見たる所以なのでは
部屋が見つかるときは
下見ではないのでしょう。


まだまだ生きそうですわ(笑)
下見の話はまたいつか


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死後の下見:黒豹の意味

2019年08月25日 | 夢の周辺

「天国」はあっても「地獄」はない
というところまで来ましたが、
では黒豹は何だったのか?

(※再び登場するこの写真)


これはもう飼い猫のクロ
以外の何物でもないでしょう。



夢の中で、
「コレって〇〇みたい」
と思うことは、だいたいが
本物の〇〇の気がします。


本物を思い出せるように
シンボライズされた象徴として
登場するようなのです。


なので、「〇〇みたい」と
思ったらそれを信じればいい
のですが、さすがに相手が
黒豹となると、死んだ身でも
緊張するものです(笑)


真っ黒な艶々した毛並みに
夢の中の「私」はもちろん、
「クロみたいだな」
と思っていました。


クロを何十倍にもした大きさは
クロだけでなく、私が生前に
かかわり大切にしてきた生き物の
代表としての存在だったのです。


ここまで読んだらペットのいる方は
ピンと来るかもしれませんが、
黒豹がいた場所こそ、先に逝った
ペットが待っているという
虹の橋だったのではないか
と思っています。


黒豹は岩しかない殺風景な場所で
「私」を待っていてくれたようで、
およそ虹の橋という名称とは
ほど遠い光景で、夢の中では
気が付きませんでした。


気が付かないで、ゴメンね。
待っていてくれてありがとう。

クロちゃん


死後の下見はもう少し続きます。



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死後の下見:地獄はどこに

2019年08月24日 | 夢の周辺

「天国」があるということは、
「地獄」もあるのでしょうか?


黒豹の夢の中での「地獄」は、
山道の下、底が見えない
垂直の谷のことでした。


「私」はそこへ行っては
いけないことを理解しており、
谷をのぞかないよう落ちないよう
細い山道を上っていきました。


これもまた便宜的な「地獄」で、
死んだ後の魂が帰っていく場所を
「天国」と呼ぶならば、
成仏できなかった魂の行き先を
「地獄」と呼んでいるだけです。


なので煮え湯に沈められたり、
阿鼻叫喚の中で無限に苦しんだり
する場所ではありません。


谷底に待ち受けているのは、
現世ではないかと思っています。


そう、死んだ後に転生することです。
これは夢での下見で感じた持論です。


「自殺してはいけない。同じ次元に
生まれ変わり、また同じ苦しみに
直面しなくてはならないから。」
とよく言われるのは、このことを
指すのではないかと思っています。


多くの人は何度も何度も転生する
ようですが、きちんと成仏しないと
生まれ変わっても上の次元に行けず
何度も何度も苦しい思いをする。


生き地獄という言葉がありますが、
個人的に「地獄」とはその状況を指し、
宗教者が唱えるような罰を受ける
特別な場所があるとは思いません。


宗教的には「天国」と「地獄」が
厳格に存在した方が、信者への
マーケティング効果が高いので、
あたかも地獄というものが存在し
そこに落ちないよう信仰を続ける
よう消費者心理を煽るのでしょう。


それで数千年も「商売」ができる
のですから、「天国」と「地獄」は
素晴らしいビジネスモデルなのかも
と、無宗教の身には感じられます。


「天国」があるということは、
「地獄」もあるのか、という自問に
私はこんな風に自答しています。


地獄との対比ではなく
魂が帰る場所としての
「天国」の存在は信じます。


そこはこんなに質素で素朴な
建物なのかもしれません。

(※ハワイ島の小さな小さな
聖ベネディクト・ペインテッド教会



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死後の下見:天国への坂道

2019年08月23日 | 夢の周辺

黒豹の夢の中の「私」は
自分がすでに死んでいて、
ゴツゴツした岩の山道を
「天国」に向かって歩いて
いることを知っていました。


なので連れもなく荷物もなく、
ただ1人で歩いて行くことに、
矛盾はありませんでした。


逆に言えば、黒豹がいても
後戻りができなかったのです。
逃げるとか引き返すという選択は
思い浮かびもしませんでした。


天国という名称は便宜的なもので
死んだ後の魂が帰っていく場所を
何と呼べばいいのかわからないので、
「天国」としているだけです。


山頂には粗末な古い木造の家
あるだけでしたが、そういう場所が
「私」にとって心のふるさとらしく、
そんな姿に描かれたようです。
(※なぜ女子寮だったのかは不明


一番高い所に向かうというのが
唯一「天国」らしく感じます。
「天国への階段」はなく、
「私」は山道で行きました。



(※ウェリントンにあった天国への階段


歩いていくという設定が
実に自分らしいと思います。
坂道を上って「天国」へ行く
という設定の夢を見たのは
これが初めてではありません。


これが下見になっているのかは
定かではないものの、いつか本当に
死んだときに上り坂があったら
迷わずそっちへ行きそうです(笑)


「天国」があるということは、
「地獄」もあるのでしょうか?



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死後の下見:2度は死なない

2019年08月22日 | 夢の周辺

夢は幽体離脱
と、よく言われることを、
私はさまざまな夢を通じて
徐々に確信していきました。


その件に関してはかつて
メルマガにしているので、
ご興味があればご覧ください。


Vol.0688
~夢日記:夢かうつつか~
Vol.0694 
~夢日記:夢の中のうつつ うつつの中の夢


夢の正体がわかったことで、
今度は身体を離れたスピリットの
行き先が気になってきました。


東日本大震災の被災地には
何度も出かけたようです(笑)


それ以上に興味深いのが
何度も何度も死後の世界を
訪れていることでした。
まるで死後の下見です


実は今回の黒豹の話もそうです。
連載を読んだだけでは、
「なんのこっちゃ
でしょうが、夢見スト歴も
10年近くなってきたせいか、
目覚めたときにわかります。


まず、夢の「私」は自分がすでに
死んでいることを知っています。
なので、黒豹に殺されたらしい
男たちを見て緊張はしても、
逃げたり取り乱したりはしません。


慎重に行動しても、
心のどこかで、

「2度は死なない」
と冷静に考えていた節があります。


そして、山道を歩いて向かう先が
「天国」であることも知っていました。



(つづく)

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夢日記の効用

2019年08月21日 | 夢の周辺

40代になるかならないかの
今から20年ほど前より、折に触れ
「夢日記をつけた方がいい。」
と本で読んだり、アドバイスを
受けたりするようになりました。


「荒唐無稽の夢なんか記録しても」
と正直、乗り気ではなかったものの
夢日記には何か効用があるのかも
と漠然と意識するようになりました。


そんな私が心を入れ替えたのは、
2011年の東日本大震災でした。


夢とは思えないリアルな体験、
報道でも見なかった状況を目にし、
粉塵で息ができない苦しさなど
想像の範疇を超えたリアルさに


夢は幽体離脱
という、多くの人の主張に
納得することができました。
魂は間違いなく現地に飛んでいた
と、自分の中で確信できました。


その頃から夢を意識し出し、
メルマガ「西蘭花通信」や
別ブログ「さいらん日和」
ぽつぽつ記録するようになり、
この「みたび」を立ち上げました。


今回、初の試みとして黒豹の話を
3話連続で書いてみました。夢という
動画体験であればあっという間でも
文字にすると状況描写だけで長くなり
1話では書ききれませんでした。

(※連日出てくるこの写真


しかし、文字にするためにできるだけ
正確に細部を思い出そうとすることで、
夢といううたかたの経験が形を持ち、
記憶として、記録として固定します。


夢日記をつけることで、この作業が
段々上達してくるのを感じています。
夢を覚えていられるようになります。
例え部分的であっても、そここそが
感情を伴った重要な部分なのです。


今回の黒豹の話では、男が絶命して
いるのを目した時の緊張や恐怖、
自分が襲われない安心や安堵など
感情が激しく入れ替わりました。


そのため契機となった些細な事を
鮮明に思い出すことができます。
特に黒豹に触ったときの硬い感触は
しばらく指先に残っていました。
緊張が安堵に替わった瞬間を
指先が記憶していたのです。


夢日記をつける愉しみは、
夢を覚えていられるだけでなく、
意味するところを察し、
別の夢と比較できることです。


一見まったく違う夢が似ていたり、
同じ状況を示唆しているのに気づき、
「なぜ同じ夢を見るのだろう
と考えたとき、夢の意味を知ります。


その夢を見たがったのは
自分自身であることに思いを馳せ、
なぜ自分がそれを見たかったのか
という点を理解すると驚愕します。


そして後から感動が湧いてきます



(多分、つづく)

メルボルン旅行記が延び延びですみませ~ん

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夢が現実に近づく

2019年08月05日 | 夢の周辺

以前見ていた夢は
空を飛んだり
死者と話したり
ある意味、現実味のない
夢らしい夢でした。


ところが最近の夢は、
現実的な設定が多く
日中の経験の反映や
続きであることが増え、
ここに書き出しながら、
「あーアレだったのか
とわかることがあります。


例えば昨日上げた「脅迫状」


脅迫されるという設定は
京アニの報道に接したためで
夢の中で脅迫される側になり
少しでも犠牲者の気持ちに
近づこうとしていたようです。


石造りのアパートメントは
ここ数日、旅行記を書くために
メルボルンの写真を
見ていたからでしょう。

こんな写真がいくつもあります。


誰かとフラッティングと呼ばれる
共同生活をしているという設定も、
理由がありそうです。


夢を見る数日前に外食をしたとき、
居合わせたお客さんの誕生日で
ケーキが運ばれて来るや
店内がハッピーバースデーの
大合唱になりました。


そのテーブルは私たちの近くで
4人分にしては驚くほど大きな
ケーキでした。


他の客もそう思ったようで、
「ずい分大きなケーキねぇ」
と誰かが声をかけると、
誕生日を迎えた男性の
奥さんらしき若い女性が
「フラットメイトに持って帰るの」
と説明していました。


NZ、特に家賃の高いオークランドでは
社会人になってもフラッティングを
していることが珍しくありませんが、
女性は大きなお腹で
臨月近くに見えました。


「そうかこの人は共同生活を
しながら出産して子育てもするのか
というのが、私には小さな衝撃でした。


オークランドの住宅事情なのか、
彼らの望んだことなのかは不明でも
他人と暮らしながら家庭を築く
というのが新鮮な発見でした。


真っ黒なクロだけを抱いていたのは

クロが大人しいからでしょう。
靴下を履いたコロなら
ビビりなので抱っこして逃げる
という設定はどう考えてもムリ
その辺も現実の反映です。


こうしてみると
最近の夢はずい分と、
現実に近づいています。



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旅行後に見る旅先の夢

2019年03月18日 | 夢の周辺

旅行後に、旅先だった場所の夢を見ることがあります。


帰宅してから数日にわたり、繰り返し旅先の夢を見ては、
起きた瞬間に、そこに戻っていたことに気づくのです。


今回の日本滞在はまさにそんな旅先になりました。
ここ数日、毎夜のように出てくる古い日本家屋。
2夜連続という長ーい夢もみました。

どこもほの暗く場所や時間が判然としません。


しかし、見まごうことのない日本の光景で、

夢の中でもどこにいるのかはっきりわかっています。
そのせいか、落ち着いていて夢の細部や経緯まで
リアルに覚えている気がします。


どこにいるのかがわかっても、見ず知らずの国ならば、
夢の中といえども多少は緊張するのかもしれませんが、
勝手知ったる日本となると、気が楽になるようです。


ある日の夢では、着物姿の女性たちがミシンをかけていて、
誰かが部屋に入ってくるや、
「蛇の目のソフトが直ったんだって
と言い、部屋に歓声が上がり安堵の空気が流れました。


どうも蛇の目ミシンのソフトウェアに不具合が生じ、
複雑なステッチ(なのか?)などソフトに頼る縫製に
問題が生じていたようなのです。
(※今のミシンが本当にそんなモノなのかはさておき)


「私」はその場に居合わせただけですが、
不具合での煩雑さ
裁縫の面倒さ
復旧の安堵感
を共有でき、一緒にため息をついていました。
寝ながら本当にため息をついていたのでしょう(笑)


2017年にオーストラリアのシドニーに行ったときも、その後、
現地で見たような場所や光景が何度も夢に出てきては、
起きてから自分がそこに戻っていた感じがしました。

よほど、この黄色攻めにインパクトがあったうよう(笑)


NZに戻って1週間ですが、まだ日本夢紀行が続くのか?





==============


この記事を書いたのは3月14日でした。
翌日に記事を上げる前に、NZ史上最悪の
クライストチャーチでのテロ事件が発生。
50人の尊い命が一瞬にして奪われ、
なおも約50人近くがケガに苦しんでいます。


その間、身も心も空っぽのような3日間を過ごし、
合同葬儀までは気もそぞろになりそうです。


帰国以来、毎晩毎晩いくつも見ていた日本の夢は、
あの日以来ふっつりと見なくなり、
夢そのものも見ていないのか、何も思い出せません。


犠牲者と残されたご家族に心からお悔やみ申し上げます。


西蘭みこと

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霜降り祭

2017年06月05日 | 夢の周辺

夢の断片。


「私」は夫の服のことで、夫と言い争っていました。
夫が色の褪せた服を着続けているのが嫌でした。


古い物を大切にしているのではなく
単に新しい物を買いに行くのを面倒がって
ものぐさにしているのが不満でした。
(※この辺、リアルでもあるある



「どうしてそんなにボロになっても着るの?
トシをとると、本当にみすぼらしいじゃない。」
「私」は涙声になって訴えていました。


ふと見上げると、夫の上半身が見えました。
顔は見えず、目の前に胸が広がっています。


身体にフィットしたベージュの霜降りのトレーナーか
厚地の長袖のTシャツを着ており、温かそうでした。
なによりもボロボロではなく、感じのいい品でした。
クルーネックで、2、3cm幅の縦じまのある織りでした。


「アレこんな服持ってたっけ?これならイイじゃない。」
と思ったところで夢の記憶が途絶えます。



======================



NZは三連休だったので、ちょうど夢を見たこともあり
夫をH&Mまで引っ張っていきました。
H&Mはシンプルで財布にも優しいせいか
夫も黙ってついてきました。


メンズコーナーは今のトレンドのせいか
霜降り祭(笑)


とりあえずTシャツ類を3枚とジャケット1着げっと

(※去年こんまりメソッドを教えたら、本人ハマって
いまだにこんまりだたみ。私もずっとやってます!)


真ん中のロンTはこれがベージュで厚地で織りに縦じまがあれば

まさに夢で夫が着ていたのにそっくり
店で目にしたときはドキっとしました。


新しいのをゲットしたからには、古いのを処分しなければ
放っておくと何度でも自分で洗濯して(←夫は洗濯魔)
着てしまうので

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意味がなくてもデジャブ

2017年05月27日 | 夢の周辺

前回の記事休憩所を書いた翌日にブーツを買いました。

根っからのブーツ好きであまり出かけないのに
似たようなのばかり、何足持っていることか


横から見ると筒が太く、

「どうかな
と思いましたが、履いてみると案外ワルくない


編み上げが緩めで筒が必要以上に太くなっているので締め直し
自分の足首に合わせていると、前日の夢がリアルに蘇り

強烈な既視感に見舞われました。


夢の中でも、「私」は黒いブーツを編み上げており、
ブーツの紐が毛糸のようなものでできていて、あまりにも細い上
無理に引っ張るとさらに細くなって切れそうだったため
早くブーツを履きたいのに履けずに、焦っていました。


夢の中でのブーツの紐の穴とそこを通るベージュの毛糸が
ありありと見えるかのようでした。


けっきょく、初めて履いた昨夜は大雨でブーツもびしょ濡れ
一晩新聞に包んでできるだけ湿気をとりながら日陰干し。

これは干している写真なのでした(笑)


あのデジャブに意味があるとは思えないものの
ブーツをいじりながら感じた強烈な既視感は不思議なものでした。


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休憩所

2017年05月25日 | 夢の周辺

「私」は数人から10人ぐらいの仲間と一緒にいました。
見知った人たちであっても、さほど親しい訳ではなく
その中にいた夫に、
「先に帰ってるね。」
と告げ、その場を離れました。


疲れているような寒気がするような
なんとなく大勢といる気分ではありませんでした。


家に帰るつもりで夫と別れたのに、体調の悪さから
「ここで休んでいこう。」
とどこかに立ち寄りました。
帰宅は旅にでも出るように、はるか遠くに思えました。


場面が変わり、ホテルの1室のような場所になります。
大きなベッドが部屋の壁際にあり、男性が右側に座っています。
部屋の奥にはソファーセットがあるようです。


「私」は知り合いらしい男性に声をかけ、ベッドの左側に入ります。
ぐったりしており、とにかく一刻も早く休みたいと思いました。


男性はベッドに入ったまま、枕を背もたれに書類を見ています。
紙の音がし、「私」はそれが会計書類であることを知っています。
その男性は仲間うちの会計係だったからです。


数字が合わないらしく、何度も紙をめくる音がしていましたが
すぐに記憶がなくなり、「私」は深く眠ってしまいました。


どれぐらい経ったのか、男性に肩を揺すられて目が覚めました。
「ねぇ、これってどういう意味だと思う?」
相変わらず書類を持っており、何かを聞いてきました。


眠りから起こされ、「私」は朦朧としたまま気分を害していました。
返事をせずに寝たふりをしていると、肩に置かれた男の手が動き
「私」を触ろうとしてきました。


「何するのよ
と叫び、「私」は男の手を払って飛び起きました。


その時、ドアが開き先ほど別れた仲間が部屋に入ってきました。
飛び起きたところで、「私」はまだベッドの中にいました。
入ってきた仲間は「私たち」がベッドにいるのでバツが悪そうです。
みな視線を反らして見て見ぬふりをしています。


「私」はベッドからスタスタと出てきて、ブーツを履き始めました。
「こういうときは堂々としているに限る!」
と自分に言い聞かせ、言い訳はせず黙っていました。


「私」は体調が悪いときや、いったん寝てしまうと
岩のように、地蔵のようにがっちり寝てしまうほうで(実際そう)
夫ならこの状況をわかってくれると自信がありましたが
よく知らない仲間たちがどう思い、後で何を言われるかが気になり
会計係の男を忌々しく思いながら、その場を立ち去ろうとしました。


しかし、編み上げブーツは紐の穴に対して紐があまりにも細く
何度編み上げても上手く締まらず、だんだん焦ってきました。
仲間たちは続々と部屋に到着して、もうすぐ夫もやってきそうです。



======================



夢の内容は頓珍漢であまり深い意味はなさそうです(笑)
会計係の男は大学時代にほんの一時入っていた同好会の先輩で
彼も同好会の会計係で、C調なヤツでした。


コンパなどの会費をその先輩に払うたびに
「胡散くさいな~
と思い、活動もつまらず、すぐにやめてしまいました。
まさか40年近くも経って、当時と同じロン毛で夢に登場するとは
(※まぁ、同じ風貌でないと彼とは気づかないわけですが)


起きてから興味深かったのは、夢という幽体離脱を終えて
家という自分の身体に帰ろうとするところまではいつもと同じながら
(※この話はココでも)


その間に休憩所のようなものがあったことです
家がはるか遠くに思えた距離感も新鮮なものでした。
本当に旅行にでも行くような覚悟が必要で、
「この体調ではムリだ。」
と夢の中で判断しているのです。


その休憩所に大勢が立ち寄れるというのも興味深い点でした。
あの仲間が誰なのか、たまたま幽体離脱先で一緒だった人なのか
わからないものの、夢の中でも旅は道連れなんでしょうか?

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帰巣本能

2017年05月10日 | 夢の周辺

夢の中では目的地が、はっきりわかっていました。


ずい分長いこと歩き、途中いろいろなことが起きたものの
その辺は夢らしくきれいさっぱり忘れ、「いろいろあった」
ことだけを、ぼんやり記憶しています。


やっと重厚な黄土色の建物の前に出ます。
「ここはどこだろう?」
と思っている時点で、最初の目的地のことは忘れているよう。

(※イメージとしてはこんな感じ)


目を凝らして読みにくい字を何とか読んでみると
K I N G S L A N D
と書いてあります。
「えっここがキングスランドの駅?」


オークランドには実際にキングスランドという駅があり
夢の中の「私」は目の前の駅が自分の記憶と違うこと、
自宅はオークランドの東にあるので西のキングスランドまで
歩いてきたという「事実」(じゃないけど) に動揺しています。


溝彫りのある太いエンタシスの柱をしげしげと見上げ

「キングスランドの駅ってこんなに立派だったっけ?」
と思っています。


その後もいろいろなことが起きたものの、再び忘れ
「とにかく帰ろう
と決心します。道はよくわからなかったものの、
「歩いて来たんだから、歩いて帰れる
という思いで、歩き始めます。


その帰路たるや永遠に終わらないかと思われるような長さで
崖っぷちの海岸線を岩につかまり、波しぶきを浴びながら
海に落ちないよう、岩と岩の間に足場を見つけて移動したり、


アラベスクの美しいタイルの文様の階段だか通りを歩いたり

長い長い道のりを行きます。


最終的に家にたどり着いたのかどうかまでは覚えていませんが
「私」は帰れるという自信に満ち、不安はありませんでした。


======================



写真はいずれも先週滞在していたシドニーでのもの。
イメージの残像が今でも頭の中に残っているようです。


夢でよくある、めくるめく移動シーンの連続で、
まるでロードムービーを地で行くような展開(笑)


次々といろいろなことが起き、それを乗り越え前へ前へ。
まるで人生を凝縮して経験しているようで、
「人生は、夢は、やはり旅なのだ。」
と気づくという塩梅。


前へ前への原動力は往路の場合、わくわくした高揚感と好奇心
帰路の場合は家に帰るという漠然とした安心感と安堵


往路以上に帰路を良く覚えているのは、目覚めまでの短さ
なのでしょうが、どんな悪路であっても、
「絶対に帰れる
という湧き出る自信から、余裕をもって周囲を見ているのか?


夢の中でのこうした帰巣本能こそ、生への執着であり
どこに行っても必ず戻れるという疑いのなさが、
夢を豊かなものにし、現実の生活においても、
旅を楽しいものにしているのでしょう。


夢見ストの探求はまだまだ続きます。


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夢の中の滞在先

2017年04月26日 | 夢の周辺

昨日の夢日記ハイアット2262号室を書き終わって初めて気づいた
夢の中でのホテルの登場回数の多さ


このブログを始めてからでも


夢見:市ヶ谷だった
夫婦でホテルに帰ろうとしている場面


夢見:バスローブ
シンガポールのグランド・ハイアットのスイートルームの設定


夢見:ピンクのブッダ
ホテルに宿泊中でホテル内で食事に行くところ


夢見:クイーンズタウン
夏休みに宿泊していたコテージの1室に一家で住み始める話


夢見:地震
夫婦揃ってホテルで働いているという新しい設定(笑)


そして昨日のハイアット
今のところ夢日記は12話なので半分にホテルが登場しています


さらに言うと、
ハイアットが固有名詞入りで2回(爆)
特にシンガポールのグランド・ハイアットは地理的にも合っていて
かなりリアルな設定
(※マンダリンやシャングリラじゃダメなのか?)

ハワイのハイアット


夢が寝ている間の「あの世」への旅であることの証明にように
律儀にホテルに滞在し、チェックイン&チェックアウトしているようで
なかなかウケます(笑)


「あの世」から帰ってくるときに頻繁に使っているらしい
エレベーターに続いて、夢日記をつけたおかげで
夢の中でも滞在先はホテル!
という非常にまっとうな事に気がつきました。


まぁ、ホテルって存在そのものが非日常だし旅先っぽいし、
視覚的に「いつもの生活じゃない」と納得できそうで、
ハチャメチャな事が起きても、多少は落ち着いていられるのか?


ホテルは風水の悪い場所としても有名ですが
隣の部屋は「あの世」からの訪問者かも~(爆)


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夢か現か

2017年03月15日 | 夢の周辺

「猫が鳴いてるな。ご飯あげなきゃ
だったか
「今朝は走ろうか、ヨガにしようか」
だったか、


今日の仕事の手順だったか
すでに起きていた夫のことだったか


・・・・・・・




・・・・・・・




・・・・・・・



私はベッドの中で何かを考えていました。


目覚めた瞬間という訳でもなく
数分、十数分だったか取りとめもなく
起きてからのことを思考していました。


その時ふと、


青い染付けのある湯飲みが見えました。
中には鮮やかな緑のモノが入っています。


湯飲みといえば緑茶のはずですが、緑のモノは液体ではなく
しっかりした形とはっきりした色があります。
その不思議さに


「なんだろう?」
と目を凝らしてみると、緑のモノはオクラでした。


ヘタの部分を切り取り、尖った部分を下にして
湯飲みにぎっしり刺さっていました。
ヘタを切った部分が瑞々しく、非常に新鮮です。

(※これは何年か前に育てていたもの。まさにこの鮮やかさ)


「なんだ、オクラかぁ。」
と緑の正体がわかってホッとした反面、


「なんで湯飲みにオクラ?」
とすぐに全うに考え始め、さらに


「どうしてこんなものが見えるの?」
その思考は完全に起きている私のものでした。


その時、
「そうか、目を覚ましていたけれど、目を開けていなかったのか
と気づきました。


脳は起きていても
閉じていた目はそのまま夢を見続けていました
夢か現(うつつ)か


見えたのはオクラが刺さった湯飲みだけで、前後の話は不明です。
オクラの緑と白地の湯飲みの青い染付けがなんとも爽やかで
意味は不明でも、印象深い目覚めになりました。


オクラの花



こんな風に上向きに実がなるってご存知でしたか?

私は育ててみるまで知りませんでした。


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2種類の夢

2017年02月03日 | 夢の周辺

夢の記録を意識し始めてから気がついたこと
私の夢には2種類あるということ。


ひとつは夢の中でも私は「私」で等身大の肉体を持ち
考え方も価値観も私と同じで必ず女性として登場します。


ときどき子どもも登場するのですが、子どもの年齢は
まちまちで、私の年齢もそのたびに若干違うのですが
逆に言えば、性格、考え方、価値観といったものは
いくつであってもそうは変わらないようです。


「私」は自分の足で歩き、自分の目で見、会話もすれば
周囲の人たちも「私」を1人の人間として扱い、話もします。



もうひとつは、肉体を持たない存在として登場する夢です。
「私」は見て、聞いて、その辺をさまようばかりで
肉体を持たないので会話がなく、周りの人には見えません。
ざっくり魂とか幽霊(笑)の状態なんでしょう。


その時は人の頭を斜め上から見下ろしているアングルが多く
家の中で言えば壁と天井が接触する角にいるようで
部屋全体を見渡していることが多いように思います。


数日前に見た夢は珍しく外で、私は見えない存在でした。
場所は日本のどこかの小さな集落で、漁村のようでした。
村人が集まって生活の大変さを誰かに淡々と語っていました。


女たちはスカーフを被っていましたが、チラリと見える
顔は長年の日焼けで深い色をしており、そこに刻まれた皺が
厳しい暮らしを物語るようでした。


主催者らしい人が
「他に何か言いたい人は?」
と意見を求めると、
小学校高学年らしい坊主刈りの太った少年が
床に座った人たちの間からすくっと立ち上がり、


「腹いっぱい食べたい!」
と大きな声で一言言って座りました。


あとには笑い声が上がったもののすぐに納まり、少年の訴えが
冗談ではないことが、静まった場から思い知らされました。


「私」は床に座った人たちを立っているよりもっと高い位置で
漂いながら見ていました。少年の一言の後も夢が続いたのか
思い出せませんが、肉体がないときはただの傍観者で夢に
「参加」していないため、記憶が薄いように感じます。


考えて動き、脳と身体の両方を使って物事に当たってこそ
いろいろな感情や記憶が深く刻まれるのだと思います。


今日は節分。
トラ年の私や猫にとり、試練の年だったサル年の七冲終了
(※この話は~七冲を超えて~でどうぞ)

飼い猫コロはお腹に大ケガをしてしまい、1週間で2度手術
なんとか切り抜けてくれました。


今夜はパーっと行きましょう、パーっと(笑)

コメント
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