2023年は豪華3本立初夢
カステラ
ガム売りの少女
半貴石のスイーツ
(※ナゼ正月早々コレなのか)
その中でも特に印象的だった
のは夢の中の「私」が6、7歳
の自分自身を見ていることを
知っていた、ガム売りの少女
それこそ食い入るように見て
いたものです(笑)見ている位
置も夢によくあるポジショニ
ング、地上から2ⅿぐらいの
全体を睥睨するような位置で
はなく、地べたに座る少女と
同じ目線で「私」は椅子の下
に潜んでいる気がしました。
なので見えるものは通り過ぎ
る人の脚や自転車のタイヤ、
舗装されていない埃っぽい道
の表面などで、少女と限りな
く同じものを見ていました。
「私」の目は自分の笑顔に釘
付けでした。1人で薄汚い格
好で物乞いのような生活をし
ていても笑顔は本物でした。
時折りひらりひらりと落とさ
れる、少女の位置からでは降
って来る小さな、湿った、薄
汚れた紙幣。硬貨というもの
はその価値よりも製造コスト
の方が高いので、途上国では
少額でも紙幣が使われること
が多く、施しは無音でした。
少女が手を揺らしながら上を
向いてニコニコしているのは
おカネが降って来るからでは
なく、赤の他人が無言で自分
を気遣ってくれるからです。
「ここにいればなんとかなる」
という現実は、少女にとり大
きな安らぎと安心でした。そ
の場を追われない限り6、7歳
にも生きる術がありました。
汗と涙と屋台の食べ物の汁が
しみ込んだ、ふにゃふにゃで
臭うような紙幣は愛でした。
見返りを求めずに注がれる、
世界中のすべての子どもたち
が受けとるべき、愛でした。
私を見ているだけあり「私」
は少女が感じていることが手
に取るように判りました。還
暦まで生きた者として、少女
の感情を解き明かすこともで
き笑顔の意味を理解します。
そして、座っているだけでお
カネがもらえるのは子どもだ
からで、その時間が限られて
いることを少女が判っている
ことも、「私」は気づいてい
ました。小さな渡世人です。
それでも今は、見知らぬ人た
ちから注がれる愛に甘んじて
いてもいい。それは、競馬場
の盗人が水浴の水のようにた
っぷりと愛を注がれていたの
より、さらに感動的でした。
お互いどこの誰でもいい。い
たいけない子どもは誰であっ
ても守られ、愛されるべき
蔑まれるような姿の自分に注
がれる愛は尊いものでした。
この夢には伏線がありました。
(つづく)