ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

タスマニア行:カスケード再訪

2024年12月12日 | オーストラリア:タスマニア

2023年3月のタスマニア7日目


イギリスからの流刑囚が初期
のオーストラリア植民地建設
に大きく貢献したことは動か
しようのない史実ですが、そ
の多くは都市部に集中したた
め、ロスのような農村部での
貢献は珍しかったようです。


背景には、タスマニアの植民
地化が全国で2番目と早く、
ロスが交通の要所だったため
流刑囚の貢献が制度の運用と
同時に始まったからのよう。


囚人がいればその収容施設が
あるのはポートアーサー同様


村のはずれにぽつんとある、

『ロス女子工場』とだけある
更地になった女囚刑務所跡地


女囚刑務所としてはサウスホ
バートの世界遺産カスケーズ
女子工場が知られています。


ここの歴史は1833年にロス橋
建設
のために送り込まれた流
刑囚が藁ぶき屋根の小屋に収
容された時から始まります。


1840年代には重犯罪者の刑罰
施設(punishment station)と
なり、刑の一環に辺鄙な場所
で重労働を課しました。囚人
は逃亡予防と刑罰のため重い
金鎖を足に巻き道路建設に駆
り出されました。その数300
人以上と今の村民とほぼ同数

(※囚人の足かせ、パース)


1848‐55年の7年間は高い塀に
囲まれた女囚刑務所となり、
それ以降は警察署や民家とな
って1980年以降は指定史跡に

今は看守小屋が残るばかり


個性的な塗装の外壁。19世紀
の建物を丁寧に改装した民家



歴史に抱(いだ)かれるこんな
家に住むのが長年の夢です。



でも、もう時間切れかなぁ(笑)



「最後に食べておきたい
と夫が買いに行って来たのが

タスマニア産バルハラアイス


アメリカのハーゲンダッツ創
業者は「簡単には読めない名
前は美味しそうで売れる
として社名を決めたと、昔ど
こかで読んだ気がしますが、

バルハラもそれに近いかも(笑)
英語ではないのがカギなのか


いよいよロスを出て、一路南下



エルムの街路樹に覆われた村

またいつか


延々と続いていたミッドラン
ドハイウェイの道路工事。鉄
分なのか不思議な色の赤土



ホバート着。再びリッジス

今度は2階の角部屋でした


予定どおり予約し舞い戻った

カスケードブリュワリー


この日はクイズナイトの日で
(※イギリス系はクイズ好き)



参加しない私たちはやや奥に
参加者は参加費用があるよう

いつか参戦してみたいけれど
「バリの空港所在地の名前は」
ぐらいしか判らなかったかな
(👆たまたまこれは聞いてた)


非常に丹精されたガーデンで



外でも飲食可ですが3月の夜
はかなり寒くて、みんな中で



こんな場所でもワインな私💦



この試飲セットがどんどん出る



えっ

ネズミがいる



でも餌が用意されているから

ネズミじゃない。キミは誰


調べたらネズミカンガルーで
ポトルーと呼ばれているよう

こんなに小さくても有袋類


夫はバー飯の王道バーガーで



初めてみた時「お化け屋敷」
と思ったとおりの夜の眺め



絶対なにかいそうですよね(笑)



最後の夜が更け、タスマニア
旅行記これにて終了します



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