先日のランニング中、カッコ
いい本格的サイクリング車で
すれ違った父子。若いお父さ
んと10、11歳ぐらいの女の子
(※歩行者・自転車専用道路)
‟You can do that.(できるよ)”
というお父さんのはっきりと
した声が私にも聞こえてきて
「ストーンフィールドだろ?」
「でも、ママが・・・」
というところですれ違ってし
まいその先は聞こえませんで
した。でも察しはつきます。
1人か友だちとストーンフィ
ールド(地名)までサイクリン
グしたいけれど、母親に止め
られている、のではないか
それに対して父親は大賛成
‟You can do that.(できるよ)”
と太鼓判を押しているのでは
親心として「危険」は最大に
して、自他ともに申し開きが
できる反対理由になりますが
反対は誰のためでしょうか。
もしかしたら危険にさらされ
るかもしれない子どもより、
子どもを危険にさらす責任を
逃れたい自分のためなのでは
父親は娘と走りながら話を聞
き、娘の走りっぷり見た上で
‟You can do that.(できるよ)”
と、親の責任を取ったのでは
話を聞いて、信じることは、
子育ての基本だと思います。
子どもだけでなく、家族でも
友だちでも、同僚でも信じる
ことこそが愛だと思います。
子どもにNOというとき、もう
1度誰のためのNOかを考えた
時、YESになるかもしれない
信じることは愛
愛はまた行動でもあります。