「夢日記をつけた方がいい。」
本で読んだり、何人かの人にアドバイスされて早幾年。どうも記録の手間と効果のほどの相関関係がピンとこない現実主義者。しかし、昨朝の夢はそんな疑念を霧消させるような、不思議で鮮やかな夢でした。そして何より目覚めたときに、これは「見た」のではなく、「経験した」と強く自分で信じることができた夢でした。
いくら鮮明でも夢は夢。目覚めた瞬間から指の間を水がこぼれていくように消えてしまいます。枕元にメモ帳を置いて、夢から覚めるたびに覚えている限りを記録していくとだんだん記憶力が鍛えられるそうで、それも夢日記をつける目的の一つというのもわかるような気がします。前置きはこれぐらいにして、思い出せる限り昨日の夢を記録してみます。
夜。場所は香港随一の怪しげな場所、九龍城。私たち一行はバスに乗ってやってきました。7、8人、いやもっといるでしょうか。薄暗くてよく見えません。白人数人とアジア人数人のグループのようです。
いつの間にかボロボロのビルの中の薄暗い部屋に来ていて、部屋の隅、窓の下に丸くて浅い五右衛門風呂のようなものがあります。窓の外は近代的なビルの一部と、街灯が道を照らしているのが見え、香港らしい眺めですが九龍城っぽい立地ではありませんでした。
五右衛門風呂の中は緑の濃い有機的な液体がたまっていて、なんとなく温かいように見えました。まるで藻が茂ったかのようで透明度は全くなく、どろどろとしているように見えます。そこに一緒にやってきた人たちが足からスルっと飛び込んでいきます。
部屋の中のはずなのに、飛び込んだ人の姿は液体の中に消え、次々に人が入っていき、誰かが「この先はオーストラリアに通じている」と言っています。とうとう夫まで行ってしまい、私も慌てて鼻をつまみ、目をつぶって足から飛び込みました。
五右衛門風呂はチューブのようで、私は落ちるというより滑るように深く深く潜っていきました。あまり怖くはなく、苦しくもありません。体温のように生温かい感じがしました。中で目を開いたように思いますが、緑が濃く暗くて何も見えません。正確に言うと無我夢中で見る余裕がなかったようです。
なんとなく苦しくなってきたと思うや、気がつくと暗い部屋に戻り、五右衛門風呂の横に横たわっていました。身体が濡れてしまったせいか薄ら寒く、部屋には私は1人で、「どうしよう」と思った瞬間に、夫が風呂の中から出てきました。
「いや~、あんなにキレイなものが見られるなんて。」
と感動しています。私は何も見えなかったものの、あまりの脱力感から「何が見えたの?」と聞くのも億劫で、「そうね」と話を合わせました。
何人かが次々に戻り、床に横たわっています。私も含め身体が緑の濃い液体でどろどろしているようですが、よく見えません。その時になって、「よく潜水具もつけないで潜れたな。ボンベもゴーグルもなかったのに」と思いながら、ダイビングをしていた頃の道具が一つ一つ頭に蘇ってきました。その時、おもりだけは腰につけていたのに気付きました。
不意に日本人の女性に声をかけられ、
「まさか、龍が見られるなんて!」
と彼女は興奮していました。暗い部屋で夫の顔さえ見えなかったに、なぜか彼女の顔は明かりが当たっているようにはっきりと見え、
「高垣さん!」
と驚きました。彼女は中学生のときの同級生で天然パーマといい、つるりとした肌といい、当時のまま大人になっていました。
翌朝の新聞には、アメリカ人研究者3人が昨晩の探検から戻らず死亡したと報じられていました。なぜか私たちもその場に居合わせたことは書かれていませんでした。赤毛にそばかすのある、いかにも研究者風の細身の若い男性と話をしたことを思い出しました。内容は思い出せませんでしたが、彼は底まで潜る意義を説いていたようです。
研究者とは戻ってから話したように思います。彼は新素材風の軽めのスポーツジャケットを羽織りピタピタの細身のパンツをはき、緑の液体が付着していなかったので、底まで行かなかったのでしょう。いずれにしても新聞を読んでからとても危険なことをしたのだと気付き、夫とともに無事戻ってこられてよかったと思いました。
目覚めた瞬間、纏わりつくような緑の濃い液体の感覚がまだ身体に残っていました。手足は動いてもなんとなく重く、スローモーションになってしまうのです。液体はベタっとしていましたが、特に嫌な感じも不潔な感じも、匂いもありませんでした。その感覚が残っていたので「経験した」と思えたのです。逆に、「あっ、あれ(液体)がなくなってる」と思い、「そうか夢だったんだ」と現実に引き戻されました。
=============
編集後記「マヨネーズ」
正直な話、人の夢の話を聞くことほど、ある意味つまらないものはないと思います。当の本人は夢ならではの荒唐無稽な経験を感情豊かに語るのですが、辻褄の合わないハチャメチャな話は本人にしかわかりようのない世界で、聞いてるこちらは感動の外に置き去りにされたままです。
それがわかっていながら今回の配信に踏み切ったほど(10秒ほど考えましたが)、不思議な目覚めでした。シリーズ化しないように気をつけます(笑)
(これは香港・湾仔の雑居ビル。夢に出てきたのはこれよりもっと古く、怪しげなビルでした)
後日談「ふたこと、みこと」(2022年7月):
これが記念すべき最初の夢日記だったと思います(部分的にどこかに書いていたとしても)。あれから10年。夢見ストはだいぶ進化を遂げ、4年後には夢日記と旅行記限定のブログ「みたび」を立ち上げ、「シリーズ化しないように気をつけます」どころではなく、6年後の今も続いています
夢を「見た」のではなく「体験した」と強く感じ、その衝撃から書き残した最初の夢日記。その意義の大きさは後になればなるほど実感でき、なぜ人から「夢日記をつけた方がいい」と勧められたのかがわかりました。このチューブ体験は臨死体験だったのだと、後から推しはかられるところとなったのも記録しておいたおかげでした。
本で読んだり、何人かの人にアドバイスされて早幾年。どうも記録の手間と効果のほどの相関関係がピンとこない現実主義者。しかし、昨朝の夢はそんな疑念を霧消させるような、不思議で鮮やかな夢でした。そして何より目覚めたときに、これは「見た」のではなく、「経験した」と強く自分で信じることができた夢でした。
いくら鮮明でも夢は夢。目覚めた瞬間から指の間を水がこぼれていくように消えてしまいます。枕元にメモ帳を置いて、夢から覚めるたびに覚えている限りを記録していくとだんだん記憶力が鍛えられるそうで、それも夢日記をつける目的の一つというのもわかるような気がします。前置きはこれぐらいにして、思い出せる限り昨日の夢を記録してみます。
夜。場所は香港随一の怪しげな場所、九龍城。私たち一行はバスに乗ってやってきました。7、8人、いやもっといるでしょうか。薄暗くてよく見えません。白人数人とアジア人数人のグループのようです。
いつの間にかボロボロのビルの中の薄暗い部屋に来ていて、部屋の隅、窓の下に丸くて浅い五右衛門風呂のようなものがあります。窓の外は近代的なビルの一部と、街灯が道を照らしているのが見え、香港らしい眺めですが九龍城っぽい立地ではありませんでした。
五右衛門風呂の中は緑の濃い有機的な液体がたまっていて、なんとなく温かいように見えました。まるで藻が茂ったかのようで透明度は全くなく、どろどろとしているように見えます。そこに一緒にやってきた人たちが足からスルっと飛び込んでいきます。
部屋の中のはずなのに、飛び込んだ人の姿は液体の中に消え、次々に人が入っていき、誰かが「この先はオーストラリアに通じている」と言っています。とうとう夫まで行ってしまい、私も慌てて鼻をつまみ、目をつぶって足から飛び込みました。
五右衛門風呂はチューブのようで、私は落ちるというより滑るように深く深く潜っていきました。あまり怖くはなく、苦しくもありません。体温のように生温かい感じがしました。中で目を開いたように思いますが、緑が濃く暗くて何も見えません。正確に言うと無我夢中で見る余裕がなかったようです。
なんとなく苦しくなってきたと思うや、気がつくと暗い部屋に戻り、五右衛門風呂の横に横たわっていました。身体が濡れてしまったせいか薄ら寒く、部屋には私は1人で、「どうしよう」と思った瞬間に、夫が風呂の中から出てきました。
「いや~、あんなにキレイなものが見られるなんて。」
と感動しています。私は何も見えなかったものの、あまりの脱力感から「何が見えたの?」と聞くのも億劫で、「そうね」と話を合わせました。
何人かが次々に戻り、床に横たわっています。私も含め身体が緑の濃い液体でどろどろしているようですが、よく見えません。その時になって、「よく潜水具もつけないで潜れたな。ボンベもゴーグルもなかったのに」と思いながら、ダイビングをしていた頃の道具が一つ一つ頭に蘇ってきました。その時、おもりだけは腰につけていたのに気付きました。
不意に日本人の女性に声をかけられ、
「まさか、龍が見られるなんて!」
と彼女は興奮していました。暗い部屋で夫の顔さえ見えなかったに、なぜか彼女の顔は明かりが当たっているようにはっきりと見え、
「高垣さん!」
と驚きました。彼女は中学生のときの同級生で天然パーマといい、つるりとした肌といい、当時のまま大人になっていました。
翌朝の新聞には、アメリカ人研究者3人が昨晩の探検から戻らず死亡したと報じられていました。なぜか私たちもその場に居合わせたことは書かれていませんでした。赤毛にそばかすのある、いかにも研究者風の細身の若い男性と話をしたことを思い出しました。内容は思い出せませんでしたが、彼は底まで潜る意義を説いていたようです。
研究者とは戻ってから話したように思います。彼は新素材風の軽めのスポーツジャケットを羽織りピタピタの細身のパンツをはき、緑の液体が付着していなかったので、底まで行かなかったのでしょう。いずれにしても新聞を読んでからとても危険なことをしたのだと気付き、夫とともに無事戻ってこられてよかったと思いました。
目覚めた瞬間、纏わりつくような緑の濃い液体の感覚がまだ身体に残っていました。手足は動いてもなんとなく重く、スローモーションになってしまうのです。液体はベタっとしていましたが、特に嫌な感じも不潔な感じも、匂いもありませんでした。その感覚が残っていたので「経験した」と思えたのです。逆に、「あっ、あれ(液体)がなくなってる」と思い、「そうか夢だったんだ」と現実に引き戻されました。
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編集後記「マヨネーズ」
正直な話、人の夢の話を聞くことほど、ある意味つまらないものはないと思います。当の本人は夢ならではの荒唐無稽な経験を感情豊かに語るのですが、辻褄の合わないハチャメチャな話は本人にしかわかりようのない世界で、聞いてるこちらは感動の外に置き去りにされたままです。
それがわかっていながら今回の配信に踏み切ったほど(10秒ほど考えましたが)、不思議な目覚めでした。シリーズ化しないように気をつけます(笑)
(これは香港・湾仔の雑居ビル。夢に出てきたのはこれよりもっと古く、怪しげなビルでした)
後日談「ふたこと、みこと」(2022年7月):
これが記念すべき最初の夢日記だったと思います(部分的にどこかに書いていたとしても)。あれから10年。夢見ストはだいぶ進化を遂げ、4年後には夢日記と旅行記限定のブログ「みたび」を立ち上げ、「シリーズ化しないように気をつけます」どころではなく、6年後の今も続いています
夢を「見た」のではなく「体験した」と強く感じ、その衝撃から書き残した最初の夢日記。その意義の大きさは後になればなるほど実感でき、なぜ人から「夢日記をつけた方がいい」と勧められたのかがわかりました。このチューブ体験は臨死体験だったのだと、後から推しはかられるところとなったのも記録しておいたおかげでした。