見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

戦争への皮膚感覚の違い

2021-07-23 21:03:48 | 日記

今日も新庄で一杯やっています。
あっ、我が家を締め出されたわけではありません(^^;;
たまにはちゃんと言い訳しとかなきゃ、今朝も朝5時起きで畑仕事、明日もそんな感じでと思うと、起きてすぐに畑にかかれる環境、捨てがたし。

ということで、酒の肴にと気になっていたエノハを炊きました。
ここ数日、お刺身が続いていたので煮魚をと思いながら魚屋に行くと、少し羽のいいエノハがあったのでこれこれ!
小さいお魚だから面倒と言えば面倒ですが、とても上品な味、300年ほど前、5代松平藩主に公家から降嫁した岩姫も食したのかなあ?


「抹殺された古代出雲王朝」
内田樹の著作を読み終えたので、本棚から「抹殺された古代出雲王朝」を出してきました。
著者の藤原としえさんって、北海道出身なんだ!

そして、まえがきにいきなり、「国家と民族と個人の誇りと尊厳は虚偽と欺瞞の歴史からは生まれない」とでてきて、オット~~(@@

前書きに記された、国民中心の歴史書としての内容はと3点指摘されていますが、ちょぴっと異議あり!
②、③に記された、どのように交わり、文化を学んだか、という点は、文化を育み学んだか。として欲しいもの。
上古代、私たちの祖先は、深遠ともいえる生きる知恵を形として残してきたと思うし、それは近隣の地域にも大きな影響を与えたと思うから。

戦争への皮膚感覚の違いと歴史認識
本文最初は、まえがき冒頭の一文がキャプションとなっていますが、これ、読み終えた内田樹の著作のあとがきに書かれたことと通底しています。
それは、戦中世代と戦争未経験世代(戦後の困難期を経験していない世代)との太平洋戦争の捉え方の余りに大きいギャップ。
少し広げると団塊の世代までとその後、と言えるかもしれませんが、戦争責任への皮膚感覚の違いというのか、、、

僕たちくらいまでの世代、いや、もう少し前までかも知れませんが、、、
恐らく、自虐史観は考えられない。
戦争が終わった安堵感、そして、自分たちが戦争で行ってきたことへの自責、それを感じる術のないところに、自分たちの知るところではない戦争、故の自虐史観という捉え方。

かつて、読売の渡辺恒雄が、戦争の総括がされたことがない故の我が国の危うさについて述べていたと思いますが、それは、我が国が凋落していく一つの大きな因かも知れないなあと思っています。
私達の国はどのように進むべきなのでしょうか?

コメント
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