2月最期の日曜日に義母は眠るように息を引き取りました。
母が病気になって、7年でした。
葬儀は、家族・親戚のみで執り行いました。
私自身、義母がいなくなってこれほどまでの喪失感に襲われるとは、
思ってもいませんでした。
葬儀が終わって、その週末は、何もする気が起きず、
何も手につかず、気力と言うものが
すっかり萎えてしまいました。
風邪をひいたせいもあるのかと思いましたが、
体調のせいだけではない心にぽっかりと穴が開いた感じがして、
何にも埋めがたい、失ったものの大きさを感じる日々でした。
この家に住み始めてから今まで、常に義母の気配を感じながら
生活をしてきました。
はじめて、時間に制約されず、義母のものさしで測られることのない生活に、
どう慣れたら良いものか?
ふと気がつくと、制約やものさしは果たして義母の目だったのか?
実は自分で勝手に作っていたものだったんじゃないか?と、
規制に慣れ切った身体や頭は、つい義母のことを考えてしまうのでした。
そして、義母が楽しみにしていた木曜日のお風呂の日には、
「あぁ、これからはいつお掃除をしてもいいんだ~」と
安心しながらも、木曜日にしなければならないことが減った淋しさと言うか・・・
じわ~っと感じるのです。
義母がいるときには、玄関や外の掃き掃除をしていても、
義母の「ご近所の目があるんだからキレイに!!」という言葉を
「私は、近所の目を気にしてるんじゃなくて、きれいな方が良いから
やってるだけだ!!」と否定しながらやっていたのだけれど、
義母がいなくなると、
「こうして毎日義母が掃いていてくれたからキレイだったんだ~」と
してくれていたことに感謝しながら掃除をしている自分に気づく。
義母が亡くなってから、どうしてもお線香があげられなくて、
申し訳なかったり、お世話ができなかったことを恨んだり、
今までのことを怒ってみたり、感謝してみたり、
死んでから感謝してる自分を責めてみたり、
色んな思いが交錯して、
お骨の前に座ることができなかった。
今朝、初めてお線香をあげることができました。
ごめんね。やさしくないこともたくさんあったと思う。
いろんな事みんな含めて、ありがとう。おかあさん。
「Atelier sucre sale」に「ウッドビーズを使ったネット編みのbag」をUPしました。
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