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犬と私と羊...合言葉は「自然体」

別れのとき

2010年03月12日 | 介護のこと

2月最期の日曜日に義母は眠るように息を引き取りました。

母が病気になって、7年でした。

葬儀は、家族・親戚のみで執り行いました。

 

私自身、義母がいなくなってこれほどまでの喪失感に襲われるとは、

思ってもいませんでした。

葬儀が終わって、その週末は、何もする気が起きず、

何も手につかず、気力と言うものが

すっかり萎えてしまいました。

風邪をひいたせいもあるのかと思いましたが、

体調のせいだけではない心にぽっかりと穴が開いた感じがして、

何にも埋めがたい、失ったものの大きさを感じる日々でした。

 

この家に住み始めてから今まで、常に義母の気配を感じながら

生活をしてきました。

はじめて、時間に制約されず、義母のものさしで測られることのない生活に、

どう慣れたら良いものか?

ふと気がつくと、制約やものさしは果たして義母の目だったのか?

実は自分で勝手に作っていたものだったんじゃないか?と、

規制に慣れ切った身体や頭は、つい義母のことを考えてしまうのでした。

 

そして、義母が楽しみにしていた木曜日のお風呂の日には、

「あぁ、これからはいつお掃除をしてもいいんだ~」と

安心しながらも、木曜日にしなければならないことが減った淋しさと言うか・・・

じわ~っと感じるのです。

義母がいるときには、玄関や外の掃き掃除をしていても、

義母の「ご近所の目があるんだからキレイに!!」という言葉を

「私は、近所の目を気にしてるんじゃなくて、きれいな方が良いから

やってるだけだ!!」と否定しながらやっていたのだけれど、

義母がいなくなると、

「こうして毎日義母が掃いていてくれたからキレイだったんだ~」と

してくれていたことに感謝しながら掃除をしている自分に気づく。

 

義母が亡くなってから、どうしてもお線香があげられなくて、

申し訳なかったり、お世話ができなかったことを恨んだり、

今までのことを怒ってみたり、感謝してみたり、

死んでから感謝してる自分を責めてみたり、

色んな思いが交錯して、

お骨の前に座ることができなかった。

今朝、初めてお線香をあげることができました。

 

ごめんね。やさしくないこともたくさんあったと思う。

いろんな事みんな含めて、ありがとう。おかあさん。

 

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のぞいてみてね。

 


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