公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

コミュニティと家族

2010-03-03 12:17:53 | 日記
「コミュニティと家族は安定のためのものである。安定を求め、変化を阻止し、あるいは変化を減速しようとする。しかしわれわれは、人の手によるあらゆるものが歳をとり、硬直化し、陳腐化し、苦しみに変わることを知っている。」

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 安定した経営が賞賛されるのは、変化しないからではなく、企業の使命が一貫しているからだ。
 コミュニティと家族をここに敢えてしめす理由は、家族的経営や、運命共同体を意識した組織があったとしても、企業使命抜きには組織が自己目的とならないことを教えたいからだ。
 コミュニティと家族という安定な基盤も2世代 およそ40年間安定していなければ価値観で3世代目と衝突する事になる。

 
 価値観が安定していないところに組織の使命が定められるはずがない。利益のところでも触れたが、事業が継続するということが利益の正当性を信任している。事業(なりわい)の継続と組織(すまい)の永続は本来別のものであるところが、家族やコミュニティと大いに違うところだろう。

 40年前の日本社会を思い起こせば、家族の価値観は大巾に変わっている。1970年代の結婚式には仲人がかならず必要だったし、長男は必ず正月には帰郷しなければならなかった。
 先立つ価値体系と価値感が異なるところに同じ組織は共存できない。当然大家族制は分裂してゆく。


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