『一九六四年五月二日午後四時 、横浜の桟橋から移民船 「アルゼンチナ丸 」に乗りこんで 、私はアメリカ合衆国に向かったのだ 。四 、五日間 、北アルプスの山旅に出かけるような汚ない登山靴をはき 、手にはピッケルを持ち 、先輩 、仲間の使い古しの山の装備をつめたザックを背負っていた 。四万円をドルに替えた百十ドル 、それが私の持参する金のすべてだった 。オレはこれから日本語の通じない外国の旅に出るのだ 。帰りの切符を持っているわけでもなく 、生活水準の高いアメリカは物価も高いという 。手持ちの百ドルなんか十日もせずにハネが生えたようになくなるだろう 。私は行ったきりの鉄砲玉である 。しかし 、私は仲間の前では懸命に笑顔をつくり 、仲間とテ ープを結び合った 。船は汽笛を空高く鳴らし 、小型船に引かれて桟橋を離れた 。 「オ ーイ 、ドングリ !カミカゼ野郎 !しっかりな ! 」 「オ ーケ ー 、オ ーケ ー 」テ ープが切れて陸から離れ 、見送る人の顔が判別できなくなる 。とうとう陸地が一条の帯になって水平線に消えてゆき 、太陽が傾いてゆく 。』
マッキンリーという山の名前は先住民のつけた名前に変わるらしい。失敗したら無謀と言われることを分かっていながらアメリカ行きの船に乗った植村も迷いが洋上で続く、体さえあるならなんとかなる。そういう根拠もなく自信を持てた青春は遠い思い出だが、
ウルマンの「青春」ではないが、いまだって命を失うわけじゃない。植村が遭難していなければ、そう思い出させる青春の名著だったかもしれない。
「どんな小さな登山でも、自分で計画し、準備し、ひとりで行動する。これこそ本当に満足の行く登山ではないかと思ったのだ。」
植村直己29歳の時、1971年の出版。しかしそこには東京オリンピックも70年安保も出てこない。ただ自分を信じて土方に励み、海外を放浪していた。冒険家という言葉も出てこない。もちろんスポンサーもなく所持金たったの110ドル。越境してきたメキシコ人に紛れて不法就労し、牢屋に収監されながらの登山放浪は、志を果たすまで帰らないと決めていた星一の渡米を連想し思い出させる。
29歳で常人が思いつくようなチャレンジ登山とアマゾン川下りを全部やり遂げて、電通と組んでしまったのが犬ゾリ北極圏冒険が唯一汚点となったが、世の批判の結果、意固地にになって、単独隠密行動に拍車をかけたのかもしれない。植村直己は43歳の誕生日にマッキンリー厳冬期単独登頂を果たして翌日から連絡が取れず俗世には帰らなかった。
今、無謀と思えても、踏み出してみなければ、楽観すぎたのか悲観すぎたのかはわからない。今の一歩がどんなに今の小さな自分にとって飛躍していても、次の次があるなら挑戦すべきだろう。
そしてまた挑戦する人 野口健
2023/08/18
マナスル...
マナスルか...
4度目のマナスルとなるのかな。
まるで流れ星のように音もなくスッと消えてしまった淳くん。
淳くんと一緒にマナスルで「。」をつけようと誓いあっていたのに、まるでけいさんの後を追うかのようにあまりに呆気なく先に逝ってしまったね。
クレバスの中、薄れゆく意識の中、最後に何を思っていたんだい。
どんなに気をつけても時に人は山で死ぬ。「運命」だったと言う人もいる。しかし、命を運ぶと言っても人の努力で運べる運命もあれば、人の努力など砂漠の砂つぶのようにひと吹きで飛ばされてしまう、運命もある。運命とは時に理不尽で儚いもの。
淳くん、今回のは、どうだったんだ。お前さんの最後は本当にやむを得ない「運命」だったのかな。
その現場にいなかったから何もわからない...ただ、今となっては、何もかも全てが虚しく木霊するばかり。
しかし、淳、お前さん、さぞかし無念であったろうな。息子の成長もまだまだ見届けたかっただろうに。淳の無念さが日増しに僕にじわりじわりと浸透してくるのを感じている。クレバスの中、1人寂しい時間を過ごしたのかな。無念だ。
でも、あの「チリン」の音色は美しかった。まるで風鈴のように。あれは単にボタンの落ちた音ではなかったね。淳くんは僕に何かを伝えたかったんだね。
ただ、「弔い合戦」というのはどうしても「死」というものを大前提に捉えてしまう。それが時に歯車を狂わせ、負の連鎖へと繋がってしまう。死というのは、それだけ人を寄せ付け、時に人を飲み込むだけのエネルギーをもっている。
マナスルに向かうには弔い合戦という重箱から解放され「無」にならなければならない。情けない事にこの期に及んでも自分の状態がよく分からないんだ。今、果たしてその時なのかどうかも。ひょっとして、僕は淳くんと共に彷徨っているのかもしれない。
まずは、3週間、エベレスト街道でモンスーンの雨に打たれながら自身と向き合い集中。この3週間は大切。
薄い幕を一枚一枚、剥がしていかないとね。その先の一歩を求めて。
2023年8月17日 機内にて 野口健
追悼
K2の山頂を目指し、滑落した登山家の平出和也(ひらいで・かずや)さん(45)と、中島健郎(なかじま・けんろう)さん(39)