天狗のほし納豆
神保町デビューをして間もなく、一冊の古書を買いました。
『食物誌』(中公新書)です。
食に関する58のテーマで書かれておりまして、エッセイ風でありながら、
内容は研究に裏付けられており、なんだかとても勉強になる本なのであります。
さて、その58もあるテーマの中に、「納豆」というのがあります。
本来、納豆は「くき」と言い、もとは副食物としてよりも調味料として愛用されてきたのだそうです。
造り方は色々あるようですが、熟成させた大豆(煮豆)を保存のために乾かすこともあったそうです。
現在は豆ち(とうち)と呼ばれているそうです。
私たちがよく口にしている納豆は「糸曳き納豆」だそうでして、豆ちの超速製品と言えるものなのだそうです。
さて、前置きが長くなりましたが、何が言いたいかと申しますと、
水戸納豆の老舗「天狗納豆」から発売されております「天狗のほし納豆」、
これがめっちゃおいしいんであります!
保存食にするため、昔から農家で作られてきたのだそうですが、良く乾かされているので、
とても固く、簡単には噛み砕けません。
しかし、旨味が凝縮されており、噛めば噛むほど、ジュワ―と旨味が口の中に広がります。
超速製品とは言え、納豆がその昔、調味料として用いられてきたことも頷けます。
あまりにも固いので、おつまみとして付き合う方が無難かもしれません。
しかし、この旨味を味わったら、もう病み付きになること間違いなし。
我が家では水戸のお土産と言うと、この「天狗のほし納豆」でありまして、
夫が水戸駅のキオスク(NEWDAYS)で買ってきてくれます。
「天狗のほし納豆」を食べながら、歯の大切さもまた噛みしめるのでありました。
天狗納豆とは。
戸時代末期の安政元年に水戸藩士で勤王家の笹沼家に生まれた初代笹沼清左衛門が明治22年に興し、
今日の水戸納豆の礎を築いた。
中世から近世初期の常陸国主・佐竹常陸介旧臣の系譜を持つ藩士庄屋神官層が主軸となり、
八代水戸藩主徳川斉昭公に重用された「藩政改革・尊皇攘夷派」に属した。
故に、明治維新の魁となった水戸藩の尊王攘夷激派、「水戸天狗党」の名を戴き「天狗納豆」とした。
(納豆メーカーのブランド名にキャラクターが多いのは「天狗」を模倣したため)
極早稲の小粒大豆を使用したこと、また、近代的食品工業としての製造技術を確立し、
更にはそれまでの販売員に頼る手法ではなく、
開通間もない鉄道の駅や観光地(偕楽園)などでの販売を行う等販売ツールの革新もはかったことで今日の名声を得る。
現在、数社の「天狗」ブランドが存在するが清左衛門の流れを引くのは二社。
それぞれ「水戸元祖」と「総本家」を名乗り「老舗」の暖簾を守っている。
(ウィキペディアより)