再び羆のこと、
羆の考察の2回目です。
何処かのブログから拝借した仕事中のクマ
2012年5月28日(月)、北海道新聞朝刊の「再発見・ふしぎ北海道」という記事に、
明治期から続く「クマよけラッパ」のことが書かれていました。
記事の内容は、当時から北海道のある地域一帯で郵便に従事する配達員に羆よけ
のラッパを持たせたけれども、羆がラッパの音に慣れて、人間を恐れずに近づくものが
そのうち現れてくる、だからラッパは廃止になった・・
いやいや、
そのラッパのすべては無くならず、昭和期になっても続いていた云々だったと記憶して
います。
ふーむ、
羆を追い払おうとする人間側の工夫が果たして役に立つのかどうかということでいう
ことですが、どうなんでしょう
ラッパも有効なときもあれば、まったく効かないときもある。
最後は、羆に聞いてみないと分かりませんが、
羆とのそうした共存関係が開拓の歴史になっていて、他の地域には無い北海道の
文化財として今も残っているということを大事に記憶していきたいですね。
北海道のいたるところで見る看板
さて、いささか強引ですが、そのラッパは、今は山歩きのための文化になって受け継がれ
ているいるという話に結び付けたいと思って書きました
羆が餌に困っていないときや、人間が餌になるなどということを学習していない若い羆の
場合、ラッパは有効だけれども、羆が一度、捕食行動や戦闘モードに入ってしまったら、
ラッパが仮に爆竹であってもあまり役には立たないというのが最近の生態調査からわか
ってきています。
なので、当時のラッパは、人がその羆のテリトリーに棲み続けている以上、完全に無くなる
ことなく残っていくというのは当然のような気がします。
多くの場合は有効だから、文化として残っていくわけですよね。
ただ、残るけれども、それがあるから絶対安全などとは言えない。
この話は、当時の時代背景として人里はなれた山麓の民家に郵便配達するということ
が、どちらかというと「羆の生活域に人間が入る」のであるから、それがそっくりと北海道
の山登りの際、熊鈴をぶら下げる行為に移り変わっていったわけです。
実際にラッパを鳴らしながら山登りをしている人はいないけれども、昨年、羆が札幌市の
街中にも出没した!というような報道がされた秋に、ケットルをカンカンと鳴らしながら登っ
ている若い男女に芦別岳の中腹で会いました
何故かとても微笑ましく感じて、つい「頑張って!」と声を掛けたのでした。
聴覚が発達している羆が穏やかに暮らしている山に分け入って、彼らに遭わないためには、
良く鳴る鈴を鳴らして、
我々の方から自分の居場所を知らせることが何よりも大事です。
その鳴り響く鈴の音が「煩い!」と、北海道の登山の様式に不満をもらす方もいらっしゃるけ
れど、そこは一つご容赦をいただきたいのです。
但し、10人のパーティがそれぞれ鈴を鳴らしながら歩く行為は、確かに度が過ぎますよね。
ですから、それはその会のリーダーないしガイドさんが鳴らす範囲を指示して申し合わせる
ことが必要でしょう。
夕張メロン熊だぞい
羆だってできれば遭いたくもない人間のテリトリーに出没したくはないはずです。
(昔から言われるように、人を恐れないごく一部の羆は別ですが)
彼らを無用に人里に近づけないために、山で最低限食糧が確保できる環境を羆から
奪わないこと、これが、その領域に足を踏み入れ、荒らす人間がこれから先も考え続け
て行かなければならないことなのではないでしょうか。
北海道の豊かな山や川の生態系、人間が美しいと思う湖沼や海洋の環境を守っている
のは実は羆なのです。
その領域の隅々から恵みを得ている北海道人は、もっと羆に敬意をはらうべきである、
というのが僕の考えです。
まして、いつもその領域に分け入り、飛び回っている僕は、羆基金でも創設して羆を守る
側に回らないといけない
それでは羆の生息域に「ミズナラ植樹」という話題はまた今度・・・