“坂の上の雲”

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が
輝いていてもいなくても、また坂を登っていきます。

分水嶺7

2017-11-26 | 四方山話

久し振りの四方山話しは、山岳小説『分水嶺』のご紹介です

 

小説「分水嶺」を秀岳荘で手にした理由は、

他でもなく..

分水嶺マニア だ・か・ら・

 

笹本稜平作:「分水嶺」

 

著者紹介「笹本稜平」

 

前回の分水嶺シリーズを振り返ると、直近の分水嶺6が2014年6月に

書き込んだものなのですでに3年が過ぎています。

このテーマはもうネタが尽きたか?と思っていたところに、

目に飛び込んできたのが小説「分水嶺」です

 

専ら、広い大地を二分する地図上の分水嶺を追い求めるのが

Toshiが好きで始めたテーマでしたが、

この小説の題名として使われている分水嶺は、

小説らしく、

人生における分岐点”としての分水嶺です。

 

小説の舞台となるのは東大雪の石狩岳~音更山周辺。

1人の写真家が、日本では珍しい手つかずの自然を残した奥深い

石狩連峰の山中で、遠い昔に絶滅したはずのエゾオオカミを目撃

したという男との数奇な運命の出逢いを描いています。

 

小説の関連地図

 

Toshiのブログでも、過去6回に渡り解説してきた分水嶺でも取り

上げた「三国山」を擁する石狩連峰は雄大です。この山懐で

山岳写真を撮り続けた(写真家の)父の後を引き継いで、自らも

自然と人間との関わり合いを強く意識することになっていく・・・

  

メインとなっている季節は厳冬期の東大雪ですが、

秋のニペソツ山石狩岳という過去のブログ報告を観ていただいて、

稜線上の分水界をイメージしていただければ小説がさらにリアル

になりましょう

 

細かい感想文は省きますが、新田次郎が描いた山岳小説の時代

と違って、携帯電話の位置情報やGPSが当たり前に使われている

ところが新たな臨場感と思いながら楽しく読みました 


 


分水嶺:ぶんすいれい

分水界になっている山脈

雨水を異なった水系に分かつ山の峰々

分水山脈。(『大辞林 第三版』三省堂)

 


 

お正月休みの比麻奈山、いや、暇なときの読書にお薦めします

 

そして、

2冊目はこれ

 


 

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Webカラー

2017-10-28 | 四方山話

いつもToshi のゼンマイブログにお付き合いいただきありがとうございます

 

さて、今回の四方山話はWEBカラーについてです。

皆さんはWEBカラーというものについてご存知でしょうか?

 

インターネットでよく眺めたり利用するサイトの色のことです。

FacebookやTwitte、あるいはLAINのようなSNSは、皆さんアプリを

毎日のように操作していますから、瞬時に色の違いを見分けられますね 

 

ご存じTwitterは水色で~す

 

美味しいお店を探したいときは“食べログ”

料理メニューのレシピを調べたいときはcookpad、

皆さんがよく利用するアプリやサイトの基本色にはオリジナリティが

確立されています。

 

似たような字体であっても、色が微妙に違うと偽のサイトだと

その色で偽物を判断したりもできるはずです。

そのぐらい独自に作りだしたそのサイトのカラーには、一種の

ブランドイメージが出来上がっていると言ってもいいでしょう。

 

 

 LINEは黄緑だよぉ~

 

今やインターネット上で視覚化できる情報は、すべてデジタルの

情報ですから、当然その色情報もデジタルで作りこまれていて

画像ソフトで簡単に再現できます。

 

そのデジタル色は6桁のアルファベット小文字(aからfまで)と

0~9の数字の組み合わせでHTML標記する。

 

例えば白はffffffで、黒は000000

 

 

難しいことはさておき、あまり知識のないToshiも、ここはイッパツ

オリジナルな色をブログに施そうかと考えていた時期がありましたが、

挫折しました。

 

それよりも、見慣れたサイトの色の方をパクって使用した方が、

なんだか解らないけれど目に馴染む・・なんていう効果を期待して

実はヤマ○コというサイトの緑を今は拝借しています

以前使っていた色はFacebookでした。(知ってましたか?)

 

 

 Facebookは紫紺で「いいね!」

 

 

 

営利を目的としないToshiブログ

ヤマ○コさんから苦情がきたら、すぐさま色は変えます。

(こないと思いますが)

 


著作権法上では配色やレイアウトを真似しても問題なしとしているようです。

でも、法律のことは詳しくは解らないのでここでは触れないことにします


 

そして、飽きが来たらその時はすっかり引越しして、また何処かで

気に入った色に差し替えてアップします。

 

ヤマ○コって山屋さんしか知らないかぁ~

 

まっこと個人のブログなのでこんな緩いこと・やっていま~す




 

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空知る人のアイデンティティとは?

2017-10-21 | 四方山話

今回の四方山話は、

生まれ育った地域人としてのアイデンティティについてです。

以前「真谷地」の紹介をさせていただきましたが、

今回は「空知」です。

空知(そらち)は行政単位では北海道庁の空知総合振興局で、以前は空知支庁と言っていました。

Toshiの生まれ育った夕張市もその地域にある市の1つです。

そして真谷地はその夕張市の中にあります。

 

今回は札幌座公演の『空知(そらし)る夏の幻想曲』という演劇の内容から

考えてみました。

同公演は先週の土曜日(10/21)、北広島市の芸術文化ホールで鑑賞しましたぁ


新さっぽろサンピアザ劇場公園(既に終了)

 

演劇の内容は、旧産炭地といわれた空知地区の今と昔をテーマに、そこに暮らす人(暮した人)の

アイデンティティとは何かを考えさせられるものでした。

舞台は地中深い炭鉱の坑内、薄暗いセットの中、遠くから聞こえる北海盆歌・・、昔の炭鉱で

おこった歴史の一部を今の若者が訳も分からず体現していくうちに、過去と未来が交錯する。

舞台の最後、空知に広がる麦畑、今ここに立って空の大きさを知ることの不思議さをあたかも

夢の中で起ったことの様に描いていく・・・。

アイデンティティなどと頭に浮かんだのはToshiだけかもしれず、それを重く感じたかというと

そうではなく、幻想曲(ファンタジー)として演出しているところがこの演劇の素晴らしい

ところでした


作・演出・音楽 斎藤歩(さいとう あゆむ)

 

 

さて、これからが本題です。

重くは無いけど...、

「本を読んで考えないのは、食べて消化しないことと同じ」といわれるように、

演劇だって観終わった後は多少考えないと人間生きている価値がなくなります。

 

ということで、

北海道人>空知人>夕張人>真谷地人

という単位でいうと、今回は「空知人」としてのアイデンティティの考察です。

 

全国で唯一財政破たんした町“夕張”で生まれ、暮したことのある人のアイデンティティは、

世代によって認識が大きく違っていることを甥っ子などと接していて感じます。

Toshiの世代は「炭鉱とメロン」、今の世代は「メロンと映画祭?」でありましょうか?

夕張メロンは同じでも、もう一つ代表される記憶は?と挙げてもらっても、それは皆同じではなく、

それぞれに頭に浮かぶものが違います。



Toshiの世代以上の年齢の人に代表される炭鉱の記憶は、夕張だけではなく、当時黒ダイヤと

もて囃された石炭を産出していた旧産炭地「空知」に住んだ人の記憶に深く刻み込まれています。

盆踊りには必ずかかっていた「北海盆歌」は、夕張というよりも空知人のアイデンティティで、

その歌の内容はよく知らずとも、そのフレーズのところどころは今でも口ずさむことができる

というのが共通するところでしょう。舞台でも女優さんがこの北海盆歌を聴くとひとりでに

踊り出してしまう役どころのところで皆爆笑していました。


 


美唄、三笠、芦別、赤平、歌志内、そして夕張に多くあった炭鉱長屋といわれた住宅が建ち並ぶ風景

冬には石炭ストーブの煙突から出る噴煙で町全体がくもり、スズメも黒く化粧する。

川は炭を洗うため濁り、鼻毛と耳毛が長いおじさんの風体が特別なものとは思はなかった..

町が黒くすすけて茶色く濁った川の風景は、豊かさの裏返しだったというのが空知人の

アイデンティティとしての共通するところだったわけです。



さて、今の夕張には有り難いことに全国的にも名の知れた『夕張メロン』がありますが、

空知の町という町のほとんどすべてが、今は農業に頼る産業構造になっていることを凡そでも人々

は知っています。

しかし、空知に限らず北海道あるいは日本全体が稲作に依存していた構造が少しずつ変化して、

今ではコメ以外の作物をその町の農業の柱に育成しようと努力しているという現状をどれだけの

人が知っているでしょうか。

十勝のように稲作に向かない土地には早くから補助金に頼らない農業が確立していきましたが、

稲作が主流だった地域である空知の変遷は一気には進まず、紆余曲折ありながら強烈な

アイデンティティが確立されず今日に至っています。


これは国策によって翻弄された炭鉱と構図は同じでありながら、農業特有の補助金体質を徐々に

克服していくという点で時間軸がまったく違います。

つまり、じわじわと産業構造が変っていく姿は、そこで暮らす人の記憶にインプットされづらい

のだということです。

米はブランド米に移行させて、減反による転作はより付加価値の高い農作物へと移行・・と一口に言っても、

その農作物への移行はお金のかかる土壌改良なくしては行えません。

こうして、空知では徐々に稲作からの転作奨励作物である麦や大豆に活路を求める動きを進めてきたのです。

空知に住む若者に自らのアイデンティティを覚醒させる。



親の苦労する姿を心に刻むことで成長過程に出来上っていくのがアイデンティティだとするならば、

数多くの人がその産業で食べていく、働ける場所の底辺を広げて行かなければその記憶はインプットされない。

自分が何者であるか語れる人間にならない。

炭鉱があった記憶のほとんどが今は存在しない空知に、十勝にも見劣りしない大豆や麦畑の風景の記憶を

植え付けさせることなど出来るのか?

生まれ育った土地に愛着があり、空知に恩返ししたい人は、

是非この『空知る夏の幻想曲』を観て楽しんでいただきたい。そして、楽しんだ後は考えること、

それは子供達に自分は何を残していけるのかであろうと思います。

 


米 ⇒ 「ゆめぴりか」「ななつぼし」

小麦 ⇒ 「キタホナミ」「春よ恋」

大豆 ⇒ 「ゆきぴりか」 


 

空知出身者は空知産の農作物を食べましょう

そして北海道外の人に沢山紹介しましょう

そのことが巡り巡って「空知人の・・・」を確立する原動力になるのではないでしょうか。


 

実は、この「空知る夏の幻想曲」は10月24日(火)岩見沢公園を最後に公演が終了しました。

なので、面白かったと紹介しても皆さんに鑑賞いただく術が暫くはありません。

札幌座による公演が近い将来また行われたときには是非足を運んでください。

演出、主演の斎藤歩さんの演技は本当に素晴らしい


最期に、空知の田畑を一望できる風景は、全回の樺戸山縦走路からの眺めです。







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“ひよっこ”

2017-09-04 | 四方山話

皆さん『ひよっこ』視ていますか~

楽しいですねぇ~

 

Toshiはエネーチケー朝の連ドラ(連続テレビ小説)を視始めて

もう何年になるんだろう?と考えて、ホームページを覗いて歴代の

作品一覧を眺めてみました


 

作品名だけをみても記憶が曖昧で、どうやら1992年(平成4年)

あたりから視てはいるようでも、内容まで思い出せる作品が出て

くるのは北海道の留萌が題材の「すずらん」(1999年4月)

ぐらいからでした


その同じ年の10月からの作品「あすか」はToshiの好きな京都が

題材で、食に関係のある和菓子職人をテーマにしたものだったので

記憶が割と鮮明で、その年あたりから熱心なファンになっていった

と思われます。

 



とすると、視聴歴は凡そ18年にぐらいになりましょうか?


「すずらん」と「あすか」は、Toshiが西宮からの転勤で(その年の4月

勤務先の本社札幌に戻ってきた年の作品だったので、しばらく離れていた

北海道への郷愁と30代の貴重な数年間を過ごした関西への心残りのよう

ものが交錯して、特に思い入れ深くなったように思います



作品が記憶に残るかどうかは、その時のヒロインの印象と、自分の関心

のあるテーマかそうでないかが決め手なので、その範疇から漏れる作品は

ほとんど惰性というかゼンマイに巻かれて視ているだけ

内容など忘れている作品がほとんどです。


 

関心が高いのは、まず関東製作か関西製作かです。


4月と10月に入れ替えとなる同番組は、製作を関東と関西で交互に

行い、そのことがテーマとなる題材の関係地域が東日本か西日本の

どちらかになるということです。

 

朝の連続テレビ小説、のど自慢などは出来るだけそれぞれの地域に

スポットライトが当たるように工夫をして、日本全国偏らず順繰りに

行って、そこに住む人達の関心を保つことが意図されているように

思います。


唯一の全国放送なのだから当然ですね

 


毎回、地方色を際立たさせる手法に“方言”があります。

現在放映されている「ひよっこ」の舞台は奥茨城なので、茨城弁を話す

主人公家族、友人の会話がファンの間では半年間第二公用語になります

 

アクセントも、

おとうちゃん

みね子はがんばっていますよ

早く戻ってきて下さいね

といったぐあいに語尾が上がります

可愛いですね


 

というわけで、今回の四方山話は現在放映中の「ひよっこ」の宣伝を

するタイミングを失ってしまったので、連続ドラマ小説そのもののPR

になってしまいました


「ひよっこ」は、増田明美さんのナレーションの人気とともに、

今や視聴率がかなり高いようなので、今さら紹介はいらないでしょう。

ヒロイン有村架純ちゃん、あまちゃんの時にはここまで人気になると

とても思いませんでしたね


 

末永く愛される良い役者さんになってください

 

それでは、

戦後に生まれた懐かしい家具や家電製品、日用雑貨のジオラマに囲まれて

流れる「若い広場」(桑田佳祐)でお別れしましょう






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手稲山を愛した人

2017-07-25 | 四方山話

登山好きの皆さん


手稲山というと何(誰)を思い出しますか?

.テイネハイランドスキー場?

.平和の滝?

.テレビ局の電波塔?

 

Toshiとhiromiちゃんは間違いなくAmigoさんです。

Amigoさんは、最近でこそ環境が変ってあまり登らなくなりましたが、

その手稲山を間近で見上げる千尺高地(旧スキー場)に以前は年に数十回

と登っていることで有名でした(我々の中だけで

 

さて、今日の四方山話は、その手稲山本峰(1,024m)に登頂500回を目前

にして帰らぬ人となった伊野昌司さんという登山愛好家についてです

 

[17.7.11 北海道新聞記事]

  

88歳だったそうです。

 

伊野さんは、新聞記事にもあるように今年5月23日、朝6時、北広島の自宅

に「499回目の手稲山」という書置きをしたまま帰らず、山仲間の皆さんの

非公式の捜索が続けらていたにも関わらず発見できぬまま..、7月11日

なって別の登山者が登山道を外れた沢の近くで伊野さんの遺体を発見した

のことです。



登山仲間からは手稲山500回登頂のお祝いを一週間後にやろうと話していた

矢先のことらしく、とても残念でならないと・・・

しかし、米寿まで自分は登山を続けたいと言って、その通り88歳まで登山を

実践して山中で亡くなったことは、残念ではあっても羨ましい最期だなとい

う感情が湧いくるのはToshiだけでしょうか?

 

 登山の途中で亡くなること

 88歳という高齢で山に向かうこと

 5年前脳梗塞を患い、回復したものの視野が狭くなっていたこと

 行方不明の捜索に次いで、遺体となって発見されたときの捜索費用が掛かっ

 ていること

 

について、賛否両論あると思いますが、北海道内の報道においては、ご覧の

記事同様「残念な結果」という論評が多く、「人に迷惑をかけて・・」という

非難の声はみあたりません。

実際のところ世間の皆さんは、このような場合をどのように受け止めているのか

知りたいところです


 

Toshiとしては、同じく山を愛する者として「人様に迷惑は掛けたけれども、

それは程度問題として許される範囲であり、むしろ誰しもが長期入院中に力尽きて

亡くなるより、自分もそうありたい・・と願っているのでは?」というのが正直な

感想です。

 

消防車数台とレスキュー隊員が駆けつける事故には、少なくない費用がかかります

が、さてどうでしょう、仮に70歳からベッドに寝たきりで、88歳までその環境下

で介護を受けたとしたらどれだけの費用がかかるのか?


脳梗塞から回復以降88歳で亡くなる当日までは、ピンピンとして登山をするぐら

ですから、自力で起き、食事も自分で摂り、公共の交通機関を使って移動し、

車は使わない。

このような人が自己責任の世界の登山途中で亡くなって、凡そ1ヶ月半発見されず

周囲に心配かけたといっても、周りの人が迷惑と考えたかどうかについては、

必ずしもそう思わない人の方が多いのではとToshiは期待感を込めてそう思うの

です。

 

誰しもが「寝たきりで家族や周囲の介護者のお世話になる」よりも「亡くなる

直前まで元気で生活し、あるときポックリと倒れて死ぬ」という最期を選びたい

と思っているのではないでしょうか。


 

人生観は人それぞれであり、年齢によって変っていくこともあるでしょう。

これはToshiの今現在の希望的人生観であり、世間一般の皆さんは違うのかもし

れません。

しかし、巷の報道はうまくしたもので、亡くなる直前まで善行を続けているよう

人には、それが登山途中の死であっても比較的温かい取り上げ方をしてくれて

いるのではないか思います

 


88歳になっても登山に励むその姿は、身近な周りの人に「自分にだってやれる」

というパワーを放射していたという意味では、それも善行の1つでしょう。

 

Toshiは今年54歳なので88歳まではまだ34年もあります。


伊野さんは50歳という年齢で登山を始め、67歳でキリマンジャロに登頂し、60歳

ぐらから、幼少期見上げて育った手稲山の登山回数を記録し始めたと書いてあり

ます。

北海道内岳でも、探せばいろんな記録に挑戦している人がいらっしゃるでしょう。

藻岩山、塩谷丸山、羊蹄山、そして手稲山への連続登頂、

Toshiだって、皆さんだって、人生下り坂に差し掛かったって

元気があればなんでも出来る


(定年後)人知れず低山の頂を毎日登る人はかなり多いと思います。

明日思い立って始めたって遅くはないの

ダー!!


広報北広島 2014.8.1



 

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やすらぎの郷

2017-07-14 | 四方山話

やすらぎの郷をご覧の皆さん(ご覧でない皆さんも)こんにちは

 

Toshiは、基本的にエネーチケーの番組しかテレビは視ませんが、たま~に

話題の番組や、関心のある特集の時に民放を視ることがあります

 

   

 

この『やすらぎの郷』(テレビ朝日)が始まったのは今年2017年4月3日、

すでに3ケ月以上が経過しているので、今さら紹介するには「遅すぎますよ」

と言われてしまいそうですが、脚本家:倉本聰がすでに第二弾を考えている

らしいというので、敢えて久し振りの四方山話しにさせていただきました


2017年


といっても内容はこちらのホームページをご覧ください。

http://www.tv-asahi.co.jp/yasuraginosato/intro/

 

Toshiからは感想をちょっと違った角度からお伝えしたいです。

 

この番組の放映中、キャストの野際陽子が6月13日、81歳でお亡くなりになり

ました。

この『やすらぎの郷』はウィークデーの週5日放映で75話が終わったあたりで、

まだ、その野際陽子が出演しています。

で、その野際陽子や主役の石坂浩二を取り巻く環境が“老人ホーム”という設定

ため、番組としても周りの人が亡くなる場面が多く出てきます。

華やかなテレビの世界から、ひっそりと人里離れた老人ホームで第二の人生を

歩む役者やタレントといったテレビ関係者の末期は意外にも寂しく、誰しも死ぬ

時は同じ、一人死んでいく・・だけど人付き合いはすべて縁、生きている間の

行いで末期の迎え方も変ってくる・・・


野際陽子が同僚の葬儀で手を合わせているとき、自身は癌と戦っていて余命も

そう残されていないことを知っていたはずです。

最後まで役を演じ切り、生き抜いて亡くなった野際陽子の演技を視るのは

ちょっと辛いところではあっても、その女優魂は素晴らしい。



また、この番組の放映開始から間もなくしてToshiの父もまた永眠したため、

その前後の出来事と内容がなにかオーバーラップして番組の印象が深まります。

 

それともう一つ、番組の主題歌を中島みゆきが歌っていて、これが視聴率を

上げいるようです。

中島みゆきほど息長くフォークソングというかジャパニーズソウルを歌い続け

ている歌手はいないのではないか、と思う訳で、Toshiとしてはドリカム以上

に北海道民の誇りと思っています


https://www.youtube.com/watch?v=6UWz5wBPfdE

 

最後に、この『やすらぎの郷』は、あのAmigoこと“ミニ山の会”リーダーも

視ているらしいです

テレビはあまり視ないはずの人がみる番組だから、結局面白いんだと思います。

人生下り坂が最高なれど、その道は人それぞれ

さいごは笑って、いきましょう

 

第二弾放映の前に、今回の番組を少しでもご覧になることをお薦めします

 

 

次回の四方山話は手稲山500回登頂目前で亡くなられた伊野昌司さんについて

語る予定です。




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2016台風被害(十勝)

2016-09-15 | 四方山話

少し遅くなりましたが、今回立て続けに襲った台風被害、

とりわけ台風10号で甚大な影響を受け、大変な思いをされているすべて

の地域の皆さんには、心より

お見舞い申し上げます

 

被害の状況写真 

 

熊見山で知り合った岳友のOさん(清水町)を取り巻く環境も激変、

一時は牧場(主)の存亡が危ぶまれましたが、なんとか酪農家の生命線で

ある搾乳が始められるまでになり、徐々にではありますがライフラインが

繋がってきました。

 

その窮地を救った酪農家間の連帯が先週道新の記事になりました。

 

 9月8日木曜日、北海道新聞37面記事(写真は息子さん)

拡大できます。

 

Oさんは数年前事故で障害を受け、今では酪農のすべてを息子のIさん

と家族に譲っています。

そのOさんも、月に数度の登山で息抜きができないばかりか、お風呂にも

満足に入れない生活が続いています...


一に水道、二に電気、三に道路・ガス・情報(電話、報道)のライフラインが

寸断されると生きていけないのは人間だけでなく牛も同じです。

さすがに6回も上陸されると“モウ”勘弁してと・・・

 

被害の状況写真


被害の状況写真

 

被害の状況写真

 

被害の状況写真

 

 でも、昨日から地域の銭湯が営業を再開し、

少いながら飲食店も復活したようです

少しずつ希望を取り戻しつつあるようで良かったです

 

とは言え、収入補償などの見通しはまだこれからで、牛と人間の生きるた

のインフラが多少戻ったと言うだけですから、引き続き復旧にはかなり

時間を要するものと思われます。

崩れた道路を通ってでしか行けない日高山脈の山々への登山は残念ながら

しばらくの間お預けです。

 

その間における地域の

一日も早い復興をお祈り申し上げます

皆さん応援宜しくお願いしまっす

 

 

 

 

 

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山菜採り

2016-06-13 | 四方山話

しばらく“四方山話し”もご無沙汰していましたが、

ちょっと書かずにはおれない考察シリーズのネタが出てきましたので、

もう辛抱堪らず書きます

 

先日、狩場山の報告の際に、羆の糞がゴロゴロ転がっている画像をアップ

しましたが、あれは明らかにヒグマが自分のテリトリーに人間が入り込んで

くるのを警戒してのマーキングですと書きました。

さて、今日はその熊の習性山菜採りについての話題です


 

この時季の風物詩ともなっている「山菜採り」は、趣味と実益を兼ねた嗜み

として、特に年配者に人気が集まっています。

そんな山菜採り客と登山客、山に入り込むという点では同じだけれど、

一度遭難したり、熊に襲われたりしたときの取り上げられ方には両者の間で

随分と違いがあると思いませんか?

 

全国で驚くべき数の人が山菜採りをして事故に遭遇しています。

北海道のヒグマだけでなく、ツキノワグマだって襲うんだぁ?という事故が

つい最近も立て続けに報道されました。

その他にも道迷いによる低体温症、滑落などによる怪我はもとより、山で

亡くなるというケースは登山者の比ではありません。

登山と一口に言っても、岩壁登攀を志向するクライマーが転落するなどと

いうケースは別で、そこは登山道を登り降りするものに限って言うと、

登山で死亡に至るような事故の発生率はそう高くないと言ってよいと思います。

 

登山道で熊と対面したなんていうことも実際にはそうあることではなく、

遭いたくても遭えないのが熊という動物です。

 

何故こんなに山菜採り客による事故が多いのか・・・

その要因もどうやらはっきりしているのに、自治体はなぜもっと具体的な対策に

乗り出さないのかがよく分からないというのが正直な気持ちです。

 

要因として挙げられるのは、

装備

知識

体力

の欠如でしょう。

 

こう考えると登山と変わらない装備や能力が本来揃っていないと危険だと

いうことなのに、何故世間(マスコミ)はそれを求めないのかが不思議です?

(知識の中には、食べられる山菜・キノコとそうでないものを誤食して亡く

なるケースだってあるので安全確保のための知識量はもしかすると登山以上かも?)

 

何年か前、北海道の沢で転落、流されて発見された死亡事故のケースでは、

ザックの中はタケノコで一杯。他に食料も防寒のための衣類も鈴もヘッドランプも、

地図さえもまったく入っていなかったといいます。

ザックの空間すべてを山菜で埋め尽くしたいと思って山に入ったと言われると、

遺族は亡くなることの寂しさに加え、巷の人の目を気にして生きていかないと

いけません。

 

こうして観ていると、の他に、

決定的に登山と違うもう一つの要因があることがわかります。

 

それはルール(の欠如)です。

 

登山には、はっきりとしたルールやマナーが存在しています

しかしどうでしょう?

山菜採りのルールやマナーは多少あったとしても、それが守られないからと

いって、強く非難されることもなく今日来ているのではないでしょうか。

むしろ、ルールというか暗黙の了解事である「人に教えない」というのが、

逆に安全性を体系化できないルールになっていると思うのです。

ここまできて、よくよく考えていくとその原因となるものが人間の本性というか煩悩に

根ざしたものにまで行き着くので、とても難しいテーマなのだと気づかされます。


いずれにしても、自分で植えたものでもないものを勝手に貪る行為だからこそ、

ルールを決められない、伝えて行けないということがあるように思います。

 


の体力の程はわかりません。

どのぐらいの距離を歩くつもりなのか、タケノコ目当てにあの太く背の高い笹を漕ぐ

体力たるや相当なもので、予期せぬ急斜面の登り下りは、たまにやることがあるので

そのシンドさを知っています

 

だいたい登山道なるものは、熊にはとても申し訳なことに人間が勝手に

「人間のテリトリーにさせてもらいました」という、ある意味人間側のマーキングに

他ならないわけですから、山菜採りでする藪漕ぎは何処であれ、そこは野生動物の

テリトリーにこちらから入っていく行為なわけです。


それなのにそれなのに・・・

熊と同じ食料を貪りに分け入っていくのに、必要な装備がまったく揃えられていない

というのは、自己責任を問われる登山者側からすると「無責任と言われても仕方が

ないのでは」とさえ思ったりします。


 

深い笹の中で遭難すると最後まで発見されないケースも多く、そういった意味では

捜索者や家族の負担もより多くなります。

山菜は、凡そ無尽蔵にあると思われる資源で、誰もが収穫の喜びを味わえる貴重な

山の幸ですから、それを趣味として長く楽しんでいくためにも装備とある程度の安全ルール

しっかりと認識させる手立てを考える必要があるのでは?と思います。

 

その点では、巷の人も山菜採りを趣味とする人に「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」

同じような標語を作って送り出すのはどうでしょう

「採るなら装備、装備なくば採るな」

う~ん、これだと標語には使えない・・・


 

そして、特に北海道で登山をする人にかけられる「山は羆が危険ですから気を付けて」

という温かいご心配の言葉は、どうぞ山菜採り客の皆さんに向けてあげてください。

 

いつも入っている山だから・・・

という過信、これが禁物でしょう

かくいうToshiめも過信することなく、山に入りたいと思います





 

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台湾で一番有名な日本人?

2015-11-18 | 四方山話

皆さん、八田與一(はった よいち)という人をご存知でしょうか?


Toshiが先日訪問した台湾であなたの知っている日本人は?

と聴くと、多くの人がそれは「八田與一さんですと答えるそうです


旧東京帝国大学当時の八田與一氏

 

中学校の教科書にも登場するそうです

この人が台湾のために残した偉大な功績を知ると皆が感銘を受けます。


そんな日本人が居たことを当の日本人が誰も知りません。

いや少なくともToshiは初めて知って、これは台湾の人達だけが次世代に語り

継いでいくことではなくて、日本人がもっと記憶しておかなければならないだろう

と考えて久し振りに「日本人の~」という内容の四方山話です。


たま~にはこのような真面目な報告があっても良いですよね

 

さて、その八田與一とはどんな人だったのでしょう。


八田與一氏は石川県出身で旧東京帝国大学(現東京大学)を卒業すると同時に

台湾に渡り、1930年(昭和17年)当時、塩害などで荒れ果てて耕作には適さない

遠く台湾の南の地で嘉南大圳(かなんたいしゅう)という一大水利工事を行って

その地を豊かな農業地帯に変貌させたという歴史上の人物です。

※圳(しゅう)と言う字は日本語にはなく、台湾語で灌漑用の水路のこと

 

嘉南大圳の中心事業は、当時東南アジア最大と言われた烏山頭(うさんとう)ダム

を建設し、大規模な灌漑を行えるようにしたというものです。

その調査から着工に至るまでの現地での生活は、日本では考えも及ばない酷暑

に加えマラリヤなどの風土病との戦いであったと言われ、57歳で亡くなるまでの

凡そ30年の間の苦労の生涯をすべて台湾と台湾の人に捧げたといっても過言

ではありません。


烏山頭ダムの見取り図(歩いたのは中央の黄色い線のところ)

 

旧日本統治下の台湾に若くして赴任し、間もなくその優れた才能を発揮した

八田與一氏は当時の日本政府からも技師として特段の評価をされ、全権を委任

されることになると同時に、台湾政府からも大きな期待と信頼を得ていました。


ダム見学かぁ~? (な~んて言ってはダメ)


始めは規模の大きいコンクリート壁が一面に広がるダム見学を予想していた

Toshiとしては、この烏山頭ダムの景色はまったく意外でした(びっくりポンや)


何故ならそのダムは、スケールこそ大きいながら一面コンクリート壁で覆われた

日本の黒部ダムみたいなものではなく..

そうですね~?、自然に出来た湖の周りに橋らしきものが盛られていて、

我々はその上に出来上がった公園を散策しているというようなものです。


これがダムという感覚が後には、これこそダムだに変る・・・


八田氏の行った水利工事は当時としてはとても珍しく、今の時代にこそそれが

貴重であることに気付かされ、時代を先取りしたようなダムだとわかります。

限りなく環境に配慮された100年の大計のもとに建造されたダムが日本では

なく遠く台湾の地にある・・・ 


長く人の役に立つとはこういうことだなぁ~ 


生憎、大陸からのPM2.5と水蒸気のせいで景色は霞んでいます。

 

セメントを極力使わず、玉石、砂利、粘土などを混合して作られているため地震にも

強く、修理にお金がかからないというこの技術は、現代のダム建設にも利用できない

ものなのかなぁ?

と、素人ながら考えてしまいます


この日気温32度の烏山頭ダム

 

やがて戦火が次第に激しくなっていた昭和17年5月8日、移動中の船「大洋丸」が

アメリカの潜水艦に撃沈され帰らぬ人となった八田與一氏でしたが、残された技術者と

現地の工事従事者や農業に関わる人は、亡くなった八田氏を敬愛し、その後は

八田氏が残した数々の功績を永久に記念するため銅像を建てました。

 

後ろにあるのは日本式のお墓に手を合わせ、八田與一氏の頭の埃を払うガイドの蔡(さい)さん

威厳を見せつけるための銅像ではなく、気取らない仕事途中の姿を形にした銅像


やがて日本人も台湾から去らねばならない終戦を迎えてからも八田氏の夫人

外代樹(とよき)さんは、台湾で夫と暮らした思い出の地嘉南を去りがたく、夫が

苦難のすえ築き上げたダムの入り口で身を投げて自殺してしまったそうです


今回、ガイドをしてくれた蔡(さい)さんは、この外代樹夫人が自殺してしまったという

話の途中で息を詰まらせ涙ぐんでいるように見えました。

台湾の人は、国境や民族の感情を越えてこのダムによって被った恩恵に今も感謝

しているのだと感じました。


八田氏の没後を記念するドラマの撮影をやっていました

 

50年という年月を経て、本来の役割を終え使われなくなったコンクリートダムが

世界中には沢山あるといいます。

そんな中、湖面に隆々と水を湛えた烏山頭ダムが農業国台湾の水利を今なお担って

いるというのは日本人が知らない日本人「八田與一」の功績によるものだ

というお話でした


時間がそうないので記念館の資料を詳しく観ては回れませんでした・・・

 

Toshiは、数年後エネーチケーでこの「日台の架け橋」が大河ドラマとは言わない

までも、土曜ドラマ(全4回)ぐらいにはなって、一人でも多くの日本人が八田與一氏を知る

ことなることを望みまっす

 

嘉南大圳(かなんたいしゅう)

烏山頭(うさんとう)ダム

八田與一(はった よいち)

 

台湾では1時間早く入るBS朝の連ドラ「あさが来た」を観て再び 

 

 


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洞窟おじさん“完全版”

2015-10-25 | 四方山話

今週は悪天につき、珍しく登山報告はお休みです


登山が休みでも週一ブログは休めません

 

話題はこれ

 

洞窟おじさん“完全版”

 

エネーチケーにはお世話になりっぱなしで

またまた面白い番組を作ってくれたのでご紹介します

 

北関東の山奥で13歳で家出して以来、洞窟で暮らすこと43年という

おじさんのお話です。

ウソのようなホントの話で笑えます

そして泣けます

涙あり、笑いあり、人間の根源的な“生きる喜び”に迫る

ハートウォーミングな番組です


BSプレミアム

第1話 10月1日(木) 午後9時~9時59分
第2話 10月8日(木) 午後9時~9時59分
第3話 10月15日(木) 午後9時~9時59分
第4話 10月22日(木) 午後9時~9時59分


すでに終了した番組の紹介でなんですが、

BSプレミアムで放送しました。

最近のエネーチケーには見逃した番組を視られる有料サービスも

あるので是非、有料でも観ていただきたい

 

あるいは、公表につき“再放送”ってこともあるかも

洞窟おじさん:加村一馬役のリリーフランキー、味があってイイ

 

山奥の洞窟に隠れ住み、ヘビや木の実で食いつなぎ、自力でイノシシを狩ることを覚えた少年は、やがて、山の幸を売って金を稼ぐ知恵を身につけてゆきます。知り合ったホームレスから文字を学びます。偶然助けた女性に恋もしちゃいます。そんな想像を絶する人生を送りながら、43年間、たった一人で生き抜いてきた男。“発見”されたとき(平成15年!)は57歳になっていました。

ただ生きるために頭と体をフル稼働し、サバイバル技術を身につけていった“洞窟おじさん”。でも、その生き様は、どこか笑えて、どこか温かくて、どこか胸を打ちます。それは、その人生が、人との触れ合いを求める優しさに溢れているから。そんな洞窟おじさんに、折に触れ人々が手を差し伸べてくれたから。事実は小説より奇なり。実話をもとにした、ちょっと見たことの無いユニークなドラマが出来ました。

原 作 : 加村一馬「洞窟オジさん 荒野の43年」
脚 本 : 児島秀樹・吉田照幸
演 出 : 吉田照幸
 

 

 

さて、来週は山に行けるかな

また来週 

 

 

 

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