皆さん、八田與一(はった よいち)という人をご存知でしょうか?
Toshiが先日訪問した台湾で「あなたの知っている日本人は?」
と聴くと、多くの人がそれは「八田與一さんです」と答えるそうです
旧東京帝国大学当時の八田與一氏
中学校の教科書にも登場するそうです
この人が台湾のために残した偉大な功績を知ると皆が感銘を受けます。
そんな日本人が居たことを当の日本人が誰も知りません。
いや少なくともToshiは初めて知って、これは台湾の人達だけが次世代に語り
継いでいくことではなくて、日本人がもっと記憶しておかなければならないだろう
と考えて久し振りに「日本人の~」という内容の四方山話です。
たま~にはこのような真面目な報告があっても良いですよね
さて、その八田與一とはどんな人だったのでしょう。
八田與一氏は石川県出身で旧東京帝国大学(現東京大学)を卒業すると同時に
台湾に渡り、1930年(昭和17年)当時、塩害などで荒れ果てて耕作には適さない
遠く台湾の南の地で嘉南大圳(かなんたいしゅう)という一大水利工事を行って
その地を豊かな農業地帯に変貌させたという歴史上の人物です。
※圳(しゅう)と言う字は日本語にはなく、台湾語で灌漑用の水路のこと
嘉南大圳の中心事業は、当時東南アジア最大と言われた烏山頭(うさんとう)ダム
を建設し、大規模な灌漑を行えるようにしたというものです。
その調査から着工に至るまでの現地での生活は、日本では考えも及ばない酷暑
に加えマラリヤなどの風土病との戦いであったと言われ、57歳で亡くなるまでの
凡そ30年の間の苦労の生涯をすべて台湾と台湾の人に捧げたといっても過言
ではありません。
烏山頭ダムの見取り図(歩いたのは中央の黄色い線のところ)
旧日本統治下の台湾に若くして赴任し、間もなくその優れた才能を発揮した
八田與一氏は当時の日本政府からも技師として特段の評価をされ、全権を委任
されることになると同時に、台湾政府からも大きな期待と信頼を得ていました。
ダム見学かぁ~? (な~んて言ってはダメ)
始めは規模の大きいコンクリート壁が一面に広がるダム見学を予想していた
Toshiとしては、この烏山頭ダムの景色はまったく意外でした(びっくりポンや)
何故ならそのダムは、スケールこそ大きいながら一面コンクリート壁で覆われた
日本の黒部ダムみたいなものではなく..
そうですね~?、自然に出来た湖の周りに橋らしきものが盛られていて、
我々はその上に出来上がった公園を散策しているというようなものです。
これがダムという感覚が後には、これこそダムだに変る・・・
八田氏の行った水利工事は当時としてはとても珍しく、今の時代にこそそれが
貴重であることに気付かされ、時代を先取りしたようなダムだとわかります。
限りなく環境に配慮された100年の大計のもとに建造されたダムが日本では
なく遠く台湾の地にある・・・
長く人の役に立つとはこういうことだなぁ~
生憎、大陸からのPM2.5と水蒸気のせいで景色は霞んでいます。
セメントを極力使わず、玉石、砂利、粘土などを混合して作られているため地震にも
強く、修理にお金がかからないというこの技術は、現代のダム建設にも利用できない
ものなのかなぁ?
と、素人ながら考えてしまいます
この日気温32度の烏山頭ダム
やがて戦火が次第に激しくなっていた昭和17年5月8日、移動中の船「大洋丸」が
アメリカの潜水艦に撃沈され帰らぬ人となった八田與一氏でしたが、残された技術者と
現地の工事従事者や農業に関わる人は、亡くなった八田氏を敬愛し、その後は
八田氏が残した数々の功績を永久に記念するため銅像を建てました。
後ろにあるのは日本式のお墓に手を合わせ、八田與一氏の頭の埃を払うガイドの蔡(さい)さん
威厳を見せつけるための銅像ではなく、気取らない仕事途中の姿を形にした銅像
やがて日本人も台湾から去らねばならない終戦を迎えてからも八田氏の夫人
外代樹(とよき)さんは、台湾で夫と暮らした思い出の地嘉南を去りがたく、夫が
苦難のすえ築き上げたダムの入り口で身を投げて自殺してしまったそうです
今回、ガイドをしてくれた蔡(さい)さんは、この外代樹夫人が自殺してしまったという
話の途中で息を詰まらせ涙ぐんでいるように見えました。
台湾の人は、国境や民族の感情を越えてこのダムによって被った恩恵に今も感謝
しているのだと感じました。
八田氏の没後を記念するドラマの撮影をやっていました
50年という年月を経て、本来の役割を終え使われなくなったコンクリートダムが
世界中には沢山あるといいます。
そんな中、湖面に隆々と水を湛えた烏山頭ダムが農業国台湾の水利を今なお担って
いるというのは日本人が知らない日本人「八田與一」氏の功績によるものだ
というお話でした
時間がそうないので記念館の資料を詳しく観ては回れませんでした・・・
Toshiは、数年後エネーチケーでこの「日台の架け橋」が大河ドラマとは言わない
までも、土曜ドラマ(全4回)ぐらいにはなって、一人でも多くの日本人が八田與一氏を知る
ことになることを望みまっす
嘉南大圳(かなんたいしゅう)
烏山頭(うさんとう)ダム
八田與一(はった よいち)
台湾では1時間早く入るBS朝の連ドラ「あさが来た」を観て再び