森島氏の妻が取次ぎに出ると酒気を帯びた花谷少佐のただならぬ剣幕だったので、官邸に取り付けてあった領事館警察の非常ベルを押したため、官邸は武装警官で取り囲まれた。
森嶋氏が浴衣のままで応対すると、花谷少佐は威丈高に「政府が朝鮮軍の越境を差し止めたのは、総領事館から中国軍は無抵抗だとの電報を出したためだ」
「こんな有害無益な電報を出すなら、いますぐ一小隊の兵を持って来て無電室を打ち壊す。閣議の席上で幣原外相から中国軍は抵抗をしていないから、我が軍も攻撃を中止すべきだとの意見が出たが、右は総領事館の誤った電報の結果だ」とのことだった。
森島氏は反論し、念のため総領事にも引き合わした上、帰した。
「戦死」(文春文庫)によると、昭和12年日華事変が始まると、徳島の歩兵第四十三連隊は華中のの上海に上陸、戦線に出動、南京を目指して進撃した。
この時、花谷大佐が連隊長として着任した。連隊は混城湖を舟艇で渡って、対岸の敵陣に突入した。
その夜は暴風雨であった。この時、堀井大隊長の舟艇が遅れた。強風に流されたためであった。
あとで、花谷連隊長は多くの将兵の前で堀井大隊長を口汚く叱りつけた。その後の追撃戦で、後方にいた花谷連隊長の本部が、堀井大隊に追いついた。
その時、「なにをぐずぐずしているか」と花谷連隊長は堀井大隊長にムチを振り上げて殴りつけた。
その後、連隊が台湾の高雄に移動したとき、将校ばかりの宴会が催された。その最中に、花谷連隊長は突然、大声を上げた。「堀井、ちょっとこい」
堀井少佐が前に行くと、花谷大佐は口をきわめて、ののしった。
堀井少佐は花谷大佐とは陸軍士官学校二十六期の同期生であった。一方は大佐で一方は少佐のままだった。堀井少佐は頭の悪いことを自認していたから、進級が遅れても不満を持たなかった。
花谷大佐は陸大卒であり、満州事変の首謀者の一人で、関東軍を動かして満州国をつくり、軍の実力者となっていた。
突然、花谷大佐はビール瓶をふりあげて、堀井少佐の頭を殴りつけた。堀井少佐は前のめりに倒れこんだ。その座にいた他の将校たちは飛んで逃げてしまった。
間もなく連隊は徳島にもどった。その頃から、堀井少佐は何かを悩んでいるようだった。
堀井少佐が三河軍医の部屋に入って来た。目つきがおかしかった。「三河少尉、わしの頭が変になったんじゃないか。見てくれ」
三河軍医は妙に思ったが、頭の外面には何も異変は見られないので、「なんともないですよ」と、帰した。
それから三日目の朝であった。連隊の弾薬庫の裏の堤防にもたれて、堀井少佐が死んでいた。ピストルでのどから一発撃ちこんでいた。
遺書はあったが花谷連隊長が没収した。診断書には「神経衰弱のため自決」と書かれていた。
森嶋氏が浴衣のままで応対すると、花谷少佐は威丈高に「政府が朝鮮軍の越境を差し止めたのは、総領事館から中国軍は無抵抗だとの電報を出したためだ」
「こんな有害無益な電報を出すなら、いますぐ一小隊の兵を持って来て無電室を打ち壊す。閣議の席上で幣原外相から中国軍は抵抗をしていないから、我が軍も攻撃を中止すべきだとの意見が出たが、右は総領事館の誤った電報の結果だ」とのことだった。
森島氏は反論し、念のため総領事にも引き合わした上、帰した。
「戦死」(文春文庫)によると、昭和12年日華事変が始まると、徳島の歩兵第四十三連隊は華中のの上海に上陸、戦線に出動、南京を目指して進撃した。
この時、花谷大佐が連隊長として着任した。連隊は混城湖を舟艇で渡って、対岸の敵陣に突入した。
その夜は暴風雨であった。この時、堀井大隊長の舟艇が遅れた。強風に流されたためであった。
あとで、花谷連隊長は多くの将兵の前で堀井大隊長を口汚く叱りつけた。その後の追撃戦で、後方にいた花谷連隊長の本部が、堀井大隊に追いついた。
その時、「なにをぐずぐずしているか」と花谷連隊長は堀井大隊長にムチを振り上げて殴りつけた。
その後、連隊が台湾の高雄に移動したとき、将校ばかりの宴会が催された。その最中に、花谷連隊長は突然、大声を上げた。「堀井、ちょっとこい」
堀井少佐が前に行くと、花谷大佐は口をきわめて、ののしった。
堀井少佐は花谷大佐とは陸軍士官学校二十六期の同期生であった。一方は大佐で一方は少佐のままだった。堀井少佐は頭の悪いことを自認していたから、進級が遅れても不満を持たなかった。
花谷大佐は陸大卒であり、満州事変の首謀者の一人で、関東軍を動かして満州国をつくり、軍の実力者となっていた。
突然、花谷大佐はビール瓶をふりあげて、堀井少佐の頭を殴りつけた。堀井少佐は前のめりに倒れこんだ。その座にいた他の将校たちは飛んで逃げてしまった。
間もなく連隊は徳島にもどった。その頃から、堀井少佐は何かを悩んでいるようだった。
堀井少佐が三河軍医の部屋に入って来た。目つきがおかしかった。「三河少尉、わしの頭が変になったんじゃないか。見てくれ」
三河軍医は妙に思ったが、頭の外面には何も異変は見られないので、「なんともないですよ」と、帰した。
それから三日目の朝であった。連隊の弾薬庫の裏の堤防にもたれて、堀井少佐が死んでいた。ピストルでのどから一発撃ちこんでいた。
遺書はあったが花谷連隊長が没収した。診断書には「神経衰弱のため自決」と書かれていた。