宇垣少将は苦虫を噛み潰したような顔で沈黙した。だが、宇垣少将は次のようにあびせかけた。
「GF司令部は雰囲気が女々しいなあ。君達の言うことを聞いていると、山本長官は私のものよ、手を出さないで、と言われているような気がするぞ」。
それを聞いて、黒島大佐は苦笑した。宇垣少将はなかなかしたたかであった。
昭和十六年九月十一日から十日間、目黒の海軍大学校において図上演習がおこなわれ、そのうち、十六日と十七日、特別室で、富岡課長の約束どおり、ハワイ作戦特別図上演習が実施された。
出席者は山本長官をはじめ連合艦隊幕僚、第一航空艦隊の各司令長官、参謀長、先任参謀、航空参謀。軍令部からは、第一部長・福留繁少将、第一課長・富岡定俊大佐をはじめ、第一部(作戦課)の部員数名が出席した。
青軍(日本)と赤軍(アメリカ)の模擬戦闘は三時間に及んだ。結果は、アメリカの戦艦四隻撃沈、一隻大破、空母二隻撃沈、一隻大破、巡洋艦六隻撃沈破、飛行機撃墜・破壊一八〇機だった。
だが日本海軍の損害も、空母二隻が撃沈され、二隻が小破、飛行機一二七機喪失と出た。
「山本五十六」(半藤一利・平凡社)によると、この日本の空母小破二隻は、翌日、赤軍の長距離爆撃機の追撃を受け、一隻が沈められ、もう一隻も大破・自沈した。
この惨たる結果に、演習の統監である参謀長・宇垣少将は驚愕した。沈鬱な雰囲気に満ちた部屋の空気を破るように、宇垣少将は「もう一度判定をやりなおせ」と怒鳴ったという。
再判定、つまりサイコロの振り直しが行われた。当然、サイコロの目は変わったが、結果はさして好転しなかった。青軍の空母四隻全滅が、半減したが、大損害であることは変わらなかった。
この結果、軍令部側は反対論に力を得た。だが、黒島大佐ら連合艦隊司令部は結果について、次のように主張した。
「空母は差し引きゼロとしても、戦艦四隻撃沈は大収穫ですよ。敵の受ける心理的ダメージは途方もなく大きい」。
これに対し軍令部は次のように意見を述べた。
「いや、奇襲に成功してこの程度の戦果では成功とは言えないよ。実戦では我が航空隊は敵に反撃され、かなりの損失が出る。戦果もすっと小さくなるはずだ」
「敵の工業生産力を考えると、戦艦四隻を屠ったからといって満足はできんな。四隻くらい敵はすぐ補充がきくだろう。工廠や石油タンクを徹底的に破壊しなくてはならぬ。だが、それには我が飛行機が不足だ」。
これに対し、連合艦隊司令部は次のように応酬した。
「いや、第一、第二航空戦隊は攻撃に十分自信がある。空母三隻は撃沈できる。艦攻すべてに水平爆撃をやらせれば、戦艦五、空母三はやれるはずだ。搭乗員の技量はそれだけ向上している。信用してもらいたい」。
結局、図上演習は、ハワイ作戦を実行すべきか断念すべきか、どちらともいえぬあいまいな結果を残しただけだった。山本長官は無表情に部屋を出て行った。軍令部は依然としてハワイ作戦には消極的だった。
実施部隊である第一航空艦隊の司令長官・南雲忠一中将と参謀長・草鹿龍之介少将は、怒ったような顔でなにか話し合っていた。二人ともハワイ作戦には乗り気でない様子だった。草鹿少将は次のように反対論を唱えた。
「成功するには、絶対に奇襲であることが必要だが、その確算はない。開戦となれば、一刻も早く南方地域を制圧すべきだ。真珠湾攻撃は、いわば、敵の懐にあえて飛び込んでいくようなもので、国家の興廃をかける戦争の第一戦に、このような投機的な危険をおかす作戦をとるべきでない」。
黒島大佐は憮然とした面持ちで、第一航空艦隊航空甲参謀・源田実中佐に、「軍議は戦わずですよ」と言った。さらに黒島大佐は次のように言った。
「軍令部は仕方ないとしても、機動部隊の親分があんなに消極的では困ったものだな。南雲さんという人は、あれでけっこう肝っ玉が小さいのではないか」。
源田中佐は「さあ、どうですかね。私はまだ仕えて日が浅いのでよくわからんのです」と答えたという。
「GF司令部は雰囲気が女々しいなあ。君達の言うことを聞いていると、山本長官は私のものよ、手を出さないで、と言われているような気がするぞ」。
それを聞いて、黒島大佐は苦笑した。宇垣少将はなかなかしたたかであった。
昭和十六年九月十一日から十日間、目黒の海軍大学校において図上演習がおこなわれ、そのうち、十六日と十七日、特別室で、富岡課長の約束どおり、ハワイ作戦特別図上演習が実施された。
出席者は山本長官をはじめ連合艦隊幕僚、第一航空艦隊の各司令長官、参謀長、先任参謀、航空参謀。軍令部からは、第一部長・福留繁少将、第一課長・富岡定俊大佐をはじめ、第一部(作戦課)の部員数名が出席した。
青軍(日本)と赤軍(アメリカ)の模擬戦闘は三時間に及んだ。結果は、アメリカの戦艦四隻撃沈、一隻大破、空母二隻撃沈、一隻大破、巡洋艦六隻撃沈破、飛行機撃墜・破壊一八〇機だった。
だが日本海軍の損害も、空母二隻が撃沈され、二隻が小破、飛行機一二七機喪失と出た。
「山本五十六」(半藤一利・平凡社)によると、この日本の空母小破二隻は、翌日、赤軍の長距離爆撃機の追撃を受け、一隻が沈められ、もう一隻も大破・自沈した。
この惨たる結果に、演習の統監である参謀長・宇垣少将は驚愕した。沈鬱な雰囲気に満ちた部屋の空気を破るように、宇垣少将は「もう一度判定をやりなおせ」と怒鳴ったという。
再判定、つまりサイコロの振り直しが行われた。当然、サイコロの目は変わったが、結果はさして好転しなかった。青軍の空母四隻全滅が、半減したが、大損害であることは変わらなかった。
この結果、軍令部側は反対論に力を得た。だが、黒島大佐ら連合艦隊司令部は結果について、次のように主張した。
「空母は差し引きゼロとしても、戦艦四隻撃沈は大収穫ですよ。敵の受ける心理的ダメージは途方もなく大きい」。
これに対し軍令部は次のように意見を述べた。
「いや、奇襲に成功してこの程度の戦果では成功とは言えないよ。実戦では我が航空隊は敵に反撃され、かなりの損失が出る。戦果もすっと小さくなるはずだ」
「敵の工業生産力を考えると、戦艦四隻を屠ったからといって満足はできんな。四隻くらい敵はすぐ補充がきくだろう。工廠や石油タンクを徹底的に破壊しなくてはならぬ。だが、それには我が飛行機が不足だ」。
これに対し、連合艦隊司令部は次のように応酬した。
「いや、第一、第二航空戦隊は攻撃に十分自信がある。空母三隻は撃沈できる。艦攻すべてに水平爆撃をやらせれば、戦艦五、空母三はやれるはずだ。搭乗員の技量はそれだけ向上している。信用してもらいたい」。
結局、図上演習は、ハワイ作戦を実行すべきか断念すべきか、どちらともいえぬあいまいな結果を残しただけだった。山本長官は無表情に部屋を出て行った。軍令部は依然としてハワイ作戦には消極的だった。
実施部隊である第一航空艦隊の司令長官・南雲忠一中将と参謀長・草鹿龍之介少将は、怒ったような顔でなにか話し合っていた。二人ともハワイ作戦には乗り気でない様子だった。草鹿少将は次のように反対論を唱えた。
「成功するには、絶対に奇襲であることが必要だが、その確算はない。開戦となれば、一刻も早く南方地域を制圧すべきだ。真珠湾攻撃は、いわば、敵の懐にあえて飛び込んでいくようなもので、国家の興廃をかける戦争の第一戦に、このような投機的な危険をおかす作戦をとるべきでない」。
黒島大佐は憮然とした面持ちで、第一航空艦隊航空甲参謀・源田実中佐に、「軍議は戦わずですよ」と言った。さらに黒島大佐は次のように言った。
「軍令部は仕方ないとしても、機動部隊の親分があんなに消極的では困ったものだな。南雲さんという人は、あれでけっこう肝っ玉が小さいのではないか」。
源田中佐は「さあ、どうですかね。私はまだ仕えて日が浅いのでよくわからんのです」と答えたという。