「蒼い空へ」
新刊書のタイトルです。
「『青い』ではなくて『蒼い』なんだな」って…
初めにそう思いました。
個人的に、「蒼」の字が表すイメージについて
どことなく寒々としたもの、ややダークなものだと
とらえていたからかもしれません。
「顔面蒼白」の「蒼」だよね、的な…。
「青空」と同様の意味で「蒼空」という字を当てることも
昨今ではあるそうですが、
他方で、春の淡い空のことを「蒼天(そうてん)」と呼ぶそうで、
そこからあえて著者の木本美紀さんが
「蒼」の字を当てられたのかな、とも思いました。
木本美紀さんは、今年(2018年)5月に亡くなった、
広島市東区御出身の歌手・西城秀樹さんの奥様です。
広島が輩出した音楽系有名人の方達は多数いらっしゃいますが、
西城秀樹さんは、分かりやすくメジャーな存在でいらした
スーパースターのひとりに相違ないと思います。
63年という短かった生涯のうち、約20年間を
脳梗塞との闘病に費やすしかなかった運命は
つくづくもったいないし、惜しまれます。
今年夏、西日本を襲った集中豪雨災害に際し、
御遺族はすみやかに、秀樹さんの郷里広島県への寄付をなさいました
(広島県の各種ソーシャルアカウント様の御投稿によると)。
ありがたいことだと思いました。
秀樹さんの訃報は、お昼時間に携帯電話のニュース速報が流れて知りました。
驚いたと同時に、
「長い御闘病お疲れ様でした」との心情がありました。
難病の末に早逝してしまったNさん(秀樹さんの大ファンであり、音楽や語学に精通した、心やさしい友達でした)に
思いを馳せました。
そして
「蒼い空へ」を一読したあと
言いようのない、せつなく重たい気持ちになりました。
感想としての言葉が出てきません。
御結婚してから、子育てそして旦那様の御闘病のケアにすべてを捧げてこられて
気丈にならざるを得なかったであろう奥様や、
物心ついた頃からずっと、お父さんが脳梗塞の後遺症に苦しみながら闘っている姿を目の当たりにしてきたお子さま達…
そうした御家族がおられたからこそ、
表舞台に立ち続けること、そして
壮絶なリハビリ含め闘病する姿をメディア通じて公開することを
選択された西城秀樹さん。
私は父を数度の脳梗塞(最後は硬膜下血腫からの約2年寝たきり〜廃用症候群〜心不全でした)で亡くしましたが、
父の場合は年取ってからの脳疾患罹患でした。
秀樹さんは40歳代での罹患です…
「秀樹さんを忘れないでください」と
奥様美紀さんは記しておられました。
存在そのものや歌声そして楽曲などを忘れずにいることが
供養になるのであれば、
広島に住むしがない素人の音楽好きではありますが
忘れずにいようと思います。
映像メディアや音楽メディアのありがたみを感じます。
元気な姿を覚えていようと。
新刊書のタイトルです。
「『青い』ではなくて『蒼い』なんだな」って…
初めにそう思いました。
個人的に、「蒼」の字が表すイメージについて
どことなく寒々としたもの、ややダークなものだと
とらえていたからかもしれません。
「顔面蒼白」の「蒼」だよね、的な…。
「青空」と同様の意味で「蒼空」という字を当てることも
昨今ではあるそうですが、
他方で、春の淡い空のことを「蒼天(そうてん)」と呼ぶそうで、
そこからあえて著者の木本美紀さんが
「蒼」の字を当てられたのかな、とも思いました。
木本美紀さんは、今年(2018年)5月に亡くなった、
広島市東区御出身の歌手・西城秀樹さんの奥様です。
広島が輩出した音楽系有名人の方達は多数いらっしゃいますが、
西城秀樹さんは、分かりやすくメジャーな存在でいらした
スーパースターのひとりに相違ないと思います。
63年という短かった生涯のうち、約20年間を
脳梗塞との闘病に費やすしかなかった運命は
つくづくもったいないし、惜しまれます。
今年夏、西日本を襲った集中豪雨災害に際し、
御遺族はすみやかに、秀樹さんの郷里広島県への寄付をなさいました
(広島県の各種ソーシャルアカウント様の御投稿によると)。
ありがたいことだと思いました。
秀樹さんの訃報は、お昼時間に携帯電話のニュース速報が流れて知りました。
驚いたと同時に、
「長い御闘病お疲れ様でした」との心情がありました。
難病の末に早逝してしまったNさん(秀樹さんの大ファンであり、音楽や語学に精通した、心やさしい友達でした)に
思いを馳せました。
そして
「蒼い空へ」を一読したあと
言いようのない、せつなく重たい気持ちになりました。
感想としての言葉が出てきません。
御結婚してから、子育てそして旦那様の御闘病のケアにすべてを捧げてこられて
気丈にならざるを得なかったであろう奥様や、
物心ついた頃からずっと、お父さんが脳梗塞の後遺症に苦しみながら闘っている姿を目の当たりにしてきたお子さま達…
そうした御家族がおられたからこそ、
表舞台に立ち続けること、そして
壮絶なリハビリ含め闘病する姿をメディア通じて公開することを
選択された西城秀樹さん。
私は父を数度の脳梗塞(最後は硬膜下血腫からの約2年寝たきり〜廃用症候群〜心不全でした)で亡くしましたが、
父の場合は年取ってからの脳疾患罹患でした。
秀樹さんは40歳代での罹患です…
「秀樹さんを忘れないでください」と
奥様美紀さんは記しておられました。
存在そのものや歌声そして楽曲などを忘れずにいることが
供養になるのであれば、
広島に住むしがない素人の音楽好きではありますが
忘れずにいようと思います。
映像メディアや音楽メディアのありがたみを感じます。
元気な姿を覚えていようと。