雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

衆院選2009

2009-08-30 23:37:45 | Weblog
きょうは衆院選の投・開票日でした。
投票所とおかったなぁ・・。

前の家の管轄の投票所は、
Perfumeの「かしゆか」さんの母校なのですが、
そっちのほうが
いまの家から近いのです・・^^;

ちーともわからん。

2009-08-24 22:29:12 | Weblog
私がここで使わせていただいているのは
「gooブログ」さんなので、
きょうは否が応でも
目に入ってしまったのですが・・・↓



goo日替わりランキング 「意味がわからない略語、若者用語ランキング」



白状します。

私、このなかの、
ひとっつも
意味がわかりませんでした。

もちろん
「若者」ではございません^^;



KY=空気がよめない(その後「漢字がよめない」)
チェンソー=チェンジ総理
KWSK=くわしく
MJSK=マジっすか
リーマン=サラリーマン
・・・これぐらいは前後の文脈とかで分かりましたが、



今回のランキング登場用語
たとえば・・

ATM=あなたの たよりを 待っている
(「たより」って若者のみなさんが日常会話で使う範疇なんでしょうかね・・?)
NHK=なんか ヘンな 感じ
NSX=なにを しても ダメ
DJ=だいじょうぶ
(小田和正さんのシングル曲に「ダイジョウブ」というのがあるんですけど
 あの曲は「DJ」ってことになるんっすか?)
IK=イラっと くる
KD=顔 デカい
JAS法=ちょうど40歳(←just 40)
あざま=ありがとうございます
どいたま=どういたしまして


 
なんのことやらチンプンカンプン。
(チンプンカンプンって
 いまどき誰も使わないですかね・・)


ここまでくると
暗号のレベルかもしれない・・^^;

「アタマやわらかいなぁ」と思いますけどね。
誰が考えつくんですかね。



それじゃあ
たとえば
MD=まるで ダメ
とか
いうのかなぁ?
(ミスタードーナツってのもあるのか・・)
よーわからん。



まっ、
わからんでもいいんです。
そのうち定着してくれば、
「イマドキのあたらしい言葉」を
見る機会も増えるでしょうから、
自然と覚えていくでしょう。



そうやって
言葉は移り変わるのです。
言葉は生きものですからね。



言うよね~。



=本文に関係ない「きょうの1曲」=

JAM」 by ARASHI

アルバム「いざっ、NOW」の収録曲なんですけど、
ユニゾンばっかりじゃない嵐が聴けるんですよ。

以前も書いたことがありますが、
私はドラマ「魔王」以降に
嵐の楽曲を知ったので
(もちろん、入り口は「truth」です)、

こんな曲調をかつてはうたっていたんだなぁ、とか思うと、
ちょっともったいない感じもしますけどね。


かつて、
森且行さん(現:オートレーサー)が在籍されていた頃の
SMAPの曲を
勧めてくれたひとが複数いらっしゃいましてね、
「アイドルだからってバカにはできない、
 彼らの楽曲の制作陣はスゴイから!」って。

元FLEXのChokkakuさん(広島御出身)とか、
岩田雅之さんとか、
長岡成貢さんとか・・
アレンジがめっちゃカッコよかった。
手をまったく抜いてなかった。

その頃のSMAPの楽曲を
どこかほうふつとさせる感じがあるんですよ。
アレンジが岩田さんなんですね。
「あーそれでかぁ、なるほどなぁ」と思いました。

作詞は、元 THE 東南西北 の
久保田洋司氏(広島県尾道市御出身・・尾道東高校が生んだ有名人!)。



この曲の1番で、
相葉ちゃんが背伸びした感じで
ファルセット交えながらうたっている箇所が、
好きなんですよ。

4人のユニゾンに
大野さんが上でハモって重なる感じも良いし。

なにより、
やっぱりアレンジが好きだ!!



岩田さん、
やっぱセンスいい。
さすがです。

鍵盤屋出身のはしくれとしては、
この手で来られると、
かないません。
お手上げです。




岩田さんは
うたもハンパなくお上手なんですよね。
コーラスワークさえまくりますからね・・。

マジかわいいんですけどっ!!

2009-08-24 22:10:48 | Weblog
めっちゃカワユっ^^
ちょーマジ激ヤバでかわいすぎる。
くぁーいい。かわいすぎて言葉がみつからない(←矢野健太口調で)。


毎日新聞社さんのニュースサイト 毎日jpより 「USJ:かわいくて食べられない ハローキティまんじゅう 9月発売」

中川“しょこたん”翔子さんだったら
「ギザかわゆす」とか「テラかわゆす」とか
おっしゃるんでしょうか・・?


それにしても
よくできてますよ、このおまんじゅう。

リボンの質感とか、
目と鼻の位置関係とか、
微妙な部分を
丁寧に研究して
つくってあるなぁと
感心します。


KITTYちゃんって
目鼻・・・顔立ちが
微妙に変化しているんですけど・・
(初期のKITTYちゃんって
 そんなには丸みを帯びたやわらかさが
 感じられない気がするんですよね)

このおまんじゅうは、
まぁるくて、ころんとした
ふんわり癒し系の
お顔の再現なので、
ポイント高いです。





ことしで35歳のKITTYちゃん。
東方神起のジェジュンさん&ユチョンさんが、
テーマソングを手がけていらっしゃるはずです。



USJに行ったことがなく、
興味の「き」の字もなかったのですが、
KITTYちゃんのおまんじゅうだけを目当てに、
ほんのちょっとだけ
行ってみたくなりました。



人混みとか
長い間立っとられんから
むりだなぁと
現実に引き戻されるんですけどね。

この人がいたからこそ・・

2009-08-23 22:24:49 | Weblog
月曜日に、診療時間ギリギリかけこみで
申し訳なかったのですが、
線維筋痛症の主治医の先生(開業医さんです)のもとを
訪ねました。

身体相変わらず痛くて痛くてしょうがないので。


先生は、
「さわった感じで、前回には
 10の10(最悪レベル)だったものが、
 きょうは
 10の9になっているのだから、
 頼むから希望だけは捨てないでください」
そうおっしゃいました。

筋肉量については
「心配するほど落ちてはいないから、
 神経質にならないで」と。

お薬の眠気やふらつきについては
「それなら夕方と夜眠前処方に変えましょう。
 ほんとうは、日中眠気が来るぐらいのほうが、
 身体のためにはいいんですけどね・・。
 あまり仕事に対して神経質にならないで、
 ラクに構えることはできないでしょうかね・・」と・・。


仕事は仕事ですから・・
使わなくてもいい神経を
すり減らさなければならないような
厳しい状況が
日々続いていますのでね・・

私ひとりでどうこうできることではないので、
しょうがないですからね・・

主治医の先生御自身の
かなり疲れたお顔が
気になりました・・・


院内には、
この秋、新型インフルエンザが大流行するおそれがあること、
そのため、
自宅から最寄りの調剤薬局と連携を図るために
登録したいので、
最寄りの調剤薬局を申告してください、との
貼り紙がありました。
(うちは近くに調剤薬局がないんですよね。
 ある程度出て行かないと、どうしようもないんですが・・
 どっか探さないといけません)


ここまでは前置きでして。
以下本題です。




投稿がおそくなってしまいましたが・・
韓国の元大統領、キム・デジュン氏が
亡くなりました。

キム・デジュン氏というか
きん・だいちゅう(金大中)さん、という感じが
いまだになじみがある。


金大中事件のことは
よく知りませんが、
同氏がその後大統領に就任されたとき
「あぁ、日本で拉致?されたひとだっけ?」と
名前を思い出しました。

流暢な日本語話者でいらした記憶があります。


日本文化開放政策を進めたかたです。


もし同氏が大統領でなかったら、
日韓サッカーワールドカップ共催は
なかったのではないかと思いますし、
韓国の芸能人が来日して
芸能活動を行うようなことも
なかったのではないか、と思います。
日本国内にいながらにして、
K-POPを聴くことも
なかったかもしれないな、とも思います。

(東方神起のジェジュンさんの本名は
 キム・ジェジュン=金在中=さんなのですが、
 おかげさまで
 とても覚えやすかったです)


わたしも
同氏の政策の恩恵にあずかる者の
ひとりなのかもしれません。

キム・デジュン氏の御冥福をお祈りします。





同じような時期に、
愛媛県大洲市の
現役の市長さん(大森隆雄市長)が
亡くなりました。
まだ60歳でした。

何年か前に、
生体肝移植の手術を
受けられていたように思います。

体調を崩されて
愛媛県東温市重信町の病院(おそらく愛媛大医学部附属病院だと思いますが)に
入院されており、
市長辞職の意思を
報道で拝見したばかりでした。

病状が思わしくなかったのでしょうか・・・。

市町村合併後の大洲市の舵取りの最中に
志半ばで、
さぞ無念だったことでしょう。


大森市長は、
大洲の御出身でした。
大洲が生んだ大洲の市長さんでした。

私は大洲市の出身ではありませんが、
その近隣の某市町村の出身です。
ですので、
中学校ぐらいまでは、
遠足だの何だので、
たまにですが、
大洲市内に足を運んだことはあります。
なぜか大洲御出身の先生が
多かったことと、
母方の伯母が大洲市内に嫁いでいた
縁があります。

中学校の音楽の先生も
大洲の御出身でした。

公立の中学校でしたが、
そこから学年で1人~2人、
募集定員30人(=当時)の
愛媛大の教育学部特別教科音楽教員養成課程
(地元愛媛では「特音」と略称しています)に
合格者を輩出するようなレベルでした。

私はブラバンに所属していました。
卓球部の「グラウンド外周10周」に始まる猛練習は
運動神経のないヘタレな私には無謀でついていけず
すぐに挫折しまして、
卓球部挫折仲間に誘われて、
ブラバンの門を叩きました。

顧問の先生は、
「みんなと合わせて奏でる」
音楽の楽しさを
まず第一に教えてくださいました。
中学校ほぼ3年間で学んだ
音楽的素養は
その後の私の
おおきな支えになりました。
大洲御出身の先生によって
私の音感の基礎は
培われたことになります。


顧問の先生がある日
大洲に連れて行って
くださいました。

愛媛県立大洲高校の前まで行って
校舎を眺めただけでしたが、
「ここが先生の母校なんよ」
先生は誇らしげでした。

外から眺めた
大洲高校は
伝統のある
落ち着いた学校に思えました。
当時中学生だった私の目からは、
高校生が
ずいぶんおとなで
おにいさん、おねえさんに
見えました。


できれば
その
大洲高校で
学びたかったのですが、

実家は、
出身地内にある
県立の某進学校以外の進学を
はじめから許可するつもりは
ありませんでしたので、
ハナっからあきらめました^^;
(あ!お断りしておきますが、
 大洲高校も立派な進学校ですよ。
 私の母校である某高校と
 レベルさほど変わらないぐらい・・
 いまでは大洲高校のほうが
 ちょっと上かもしれないです・・。
 
 私の母校は何年か前に、
 「21世紀枠」で
 センバツ=春の全国高校野球甲子園大会=出場を
 果たしましたが、
 理由が「地方にありながら文武両道を果たしている」とかなんとかで。
 
 卒業生のはしくれとして、出場はうれしかったんですけど、
 「ウチが文武両道で甲子園行けるんだったら、
  愛媛県立のどの高校も、みんな甲子園行けるよなぁ^^;」とも
 ついつい思ってしまったものです・・)



大洲市の発展には
目を見張るものがあります。
もともと土地の広さや
交通の便には
比較的恵まれていましたから、
何らかの形で、
愛媛県南予地方の
結節点、
中心的役割を
果たすことになるだろうなとは
思っていました。


大森市長
おつかれさまでした。
ふるさと大洲の行く末を
みまもってください。
御冥福をお祈りします。

花火大会でも見るとすっか!

2009-08-16 22:22:27 | Weblog
・・テレビ番組で^^;


NHK 秋田大曲 全国花火競技大会2009 中継放送

・・NHK秋田放送局の司会御担当アナウンサーさんのおなまえが・・ ♪リニアモーターガ~~ル by Perfume (すいません)



花火の競技大会・・花火のコンテスト的なものといえば、
茨城県の土浦で行われる大会
有名だそうですね。





いまの家からは
地元の花火大会の様子を
見ることはできませんが、

山陰に住んでいた当時は、
高い建物のない場所でしたから、
家から遠くの花火大会が
バッチリ見られました。

家にいながら
まったりと
ナマ花火。

なんて贅沢なんだろう。




地元の花火大会が終わると
「あぁ、夏ももうすぐ終わりだな」と
名残惜しく思ってしまうのは、
気のせいでしょうか。




=きょうの1曲=
あの夏の花火
ドリのうたです。
歌詞はもちろん by よしだみ。
作曲者がマサさん(中村正人氏)と、元メンバーの西川氏
共同クレジットじゃなかったかなぁ・・?
・・ということは
もううたってくれないのかな。

ドリのライヴずっと行ってないので
わからんですが。

おつかれさまでした!

2009-08-15 21:59:28 | Weblog
NHKの連続テレビ小説(いわゆる「朝ドラ」)

つばさ

クランクアップ(撮影終了)だそうです。



玉木つばさ役の「多部ちゃん」こと
多部未華子さんをはじめ、
キャスト・スタッフのみなさま
おつかれさまでした!



このドラマ、
西城秀樹さんが
斉藤興業社長役で
出演されているので、
土曜日のBS-2の週間一挙放送分を
留守録するかたちで、
拝見しておりました。
(NHKの「つばさ」公式サイト↑で、「斉藤興業KKグッズ」公開中です)


・・・と言っても、
6月下旬くらいからは、
録画するのが精いっぱいで、
見るほうが追いついていないんですけどね。



見始めた頃は、
「えらくハイテンションなドラマだなぁ・・」
半分ぽっか~~ん!な状態だったのですが、

多部ちゃん演じる玉木つばさ嬢は、
宅間孝行さん(他局「スマイル」の脚本執筆と同時進行だったわけですね)扮する
「ラジオぽてと」マナセ社長が名づけた

愛称「いも」がピッタリ(=もちろん、いい意味で)。

まったく嫌味がありません。



脇の役者さんもかなり良かったですし、
小ネタも満載ですし、
含蓄のあるせりふもあって、
「騒々しいドラマだなぁ」という
退いた感じはなくなりました。



むしろ
「いや、好きかもしれんな」と。




とにかく、
半年放送の長丁場
撮影終了おつかれさまです!



多部ちゃん、もとい
玉木つばささんの父上様である
和菓子職人役の
中村梅雀さんのブログ に、
ドラマ「つばさ」撮影エピソードが
満載なのですが、

↓やはりこちらをどうぞ。
おいしそうでしょ。


中村梅雀さんのブログ 「梅雀のひとりごと」より 2009年4月23日御投稿 ~甘玉堂の『あまたま』~




=本文にまったく関係ない「きょうの1曲プラスアルファ」=

きょうは(いやきょうも)、EXILEのライヴが
さいたまスーパーアリーナで開催されていて、
知り合いも見に行っているはずなのですが・・・

あの、大橋“ポニョ”のぞみちゃんも出演している、
新曲「Fireworks」のPVを拝見していると、
途中で(=かなり後ろのほうですけどね^^;)、
ネスミスと八木さんが
ヴォーカルを取っている場面があるんですよ。

あっちゃん(ATSUSHIさん=佐藤篤志さん)や
たかひろさん(田崎敬浩さん)には悪いですが、
元J SOULのヴォーカリスト2人の歌声を
もっと聴いてみたい衝動に
かられてしまうんですよね・・。

「Be On Top」 J SOUL BROTHERS
「WE!」 J SOUL BROTHERS
「My Place」 J SOUL BROTHERS

サンマリへ・・

2009-08-15 20:24:49 | Weblog
きょうの広島サンマリ、
辛うじて2階席のチケットを
どうにか確保していたので、
行きたかったんですが、
身体の状態がよくなくて、
断念しました。


サンマリ=SOUND MARINA ~Feel the Voice~ 
TSSテレビ新広島主催の、広島の音楽夏イベです。
ロック系のほかのイベントとは一線を画して、
しっとり聴かせる系のアーティストさんが多いのが特徴です。



ことしのサンマリは、
広島市制120周年記念、ということで、
旧・広島市民球場での開催でした。

サンマリが旧・市民球場で開催されることを
ずっと知らなくて、
東方神起さんの広島ライヴの会場へ行く途中、
かつての市民球場の横を通りかかって
たまたま知りました。


旧・市民球場は
このままの姿でずっと残されるわけではなく、
取り壊される運命にあります。
「市民球場でのサンマリ」は
この夏がきっと最初で最後だ!!

市民球場で響く
「なりきりゴスペラーズ」
どんなに気持ちいいだろう。

SEAMOさんの
「マタアイマショウ」も、
いきものがかりの
吉岡聖恵さんのまっすぐな歌声も、
あの会場で聴いてみたい。




かつて、
まっさん(さだまさしさん)のイベントが
市民球場で開催されたときに、
足を運んだことがあります。
外野席最後尾から拝見しました。

あの球場が
あんなに
音の感じのいい
おおきなライヴハウスになるとは
思いもしませんでした。

いまどきありえない
屋根のない球場。
時刻とともに
空の色が移り変わるのを
見ながら、
ジェット風船が飛んでいくのを
見ながら、
ウェーブの列に加わりながら、
ほかでは味わえない空間を
共有しました。


ことしのサンマリのテーマ(タイトル)は、
Feel the Voice2009 ~Love&Peace
だそうです。

「こんな『8月15日』が
 あったっていいんじゃない♪」


だからこそ
遅ればせながら、
席を取りました・・。





この夏の気候と
このところの状況のせいでしょうか、

きのうから
状態がよくないんです。

それでも
仕事場に出てしまえば
ひととおりのことは
やらなければならないから、
力仕事含めた下働きも
私の仕事になる。

レーザープリンターの不具合調整とか
荷物運び、書類運びを
していたときに、
右上腕が
とてつもなく痛んで、
作業を終えた後、
しばらく身体が
動かせなくなりました。

フロアに段ボール箱を敷いて
しばらく横になり、
痛みのヤマの通過を
ただ待つしかありませんでした。

午後からは、
痛みでしびれて使えない右手の代わりに、
左手で
パソコン操作をしていました。
(手書きじゃこうはいかないので、
 パソコンが導入された職場環境に感謝しました^^;)
左手で仕事をしたのは
昨日が初めてでした。

変な疲れ方をしてしまい、
帰りは
身体全体がフラフラの状態でした。


いまは右手で文字を入力していますが、
いまだにしびれるんですよ、
痛くて。



きのう左手に
慣れない作業をさせたのが
たたったのか、
今朝からは
左上腕までが激痛で使えなくて、
痛みは全身に
広がってしまいました。

サンマリ
断念するしかありませんでした。
くやしいなぁ・・。
めっちゃくやしい。
音楽好きの広島人として
泣くに泣けない。



いや、正直
日中はマジ泣きしてました。

可動域が狭まっているのが
如実で、
なさけなくて、
くやしくて。


ふと思ったんですよ。
「拓郎さん、ツアー断念したとき
 どんな心情だったんだろうな」って・・。






SE7ENが3枚めのアルバム
「24/7」をリリースした当時、
単なるおバカなミーハーのはしくれでしかない私は、
一時期
「壁腕立て伏せ」を
日課にしていたんですよ。
こっ恥ずかしい話ですけど^^;


当時のSE7ENは、
かつてのアイドル的「キュートな花美男(コッミナム=イケメン)」
かわいらしいイメージからの脱却を狙って、
韓国男性の典型的な男らしさの象徴というか、
筋骨隆々(モムチャン)な肉体美を
前面に押し出すプロモーション戦略へと、
方向転換を模索していたんです。

腕に、
ト音記号と羽根をあしらった図柄の
タトゥーを彫り、
その腕を強調するような衣装が多くなった。
Tシャツの袖口がパンパンになるぐらい、
上腕の筋肉で
腕が膨れ上がっていた。

SE7EN 「ナン アラヨ (I KNOW)」 (from 3rd Album「24/7」)
SE7EN 「ワジョ (COME BACK TO ME)」 (from 1st Album「JUST LISTEN...」)

アピールポイントである
腕の筋肉を細らせないために、
ちょっとした空き時間に
スタジオの床での腕立て伏せ、
楽屋の椅子を使った逆腕立てなどを
激しく繰り返す映像が、
よく放映されていたものです。
チューブトレーニングをしている写真も
ありましたかね。


「筋力を落とさないためにはコレだ!」




もともと運動神経に定評のある
SE7ENのようなことは
私には出来ないですから、

家でもできる
「壁腕立て伏せ」と
なんちゃってクランチを
20回ずつ毎日
ゆっくりとやっていました。
体重計である程度のデータは取れます。
少しずつですが、
筋肉量が増えているのが
わかりました。

もちろん罹患する前のことです。





いまでは、
そういう運動ができないので、
体重はその頃より落ちているのに、
筋肉が弱っていて、
体脂肪率が格段に増えています。

筋力へのダメージが
てきめんにくる。

自分を支えることができない。






次の土曜日
予約がとれたら、
お医者さんに
相談しに行こうと思います。

方法があるのか、
ないのか。

9月で還暦。

2009-08-12 21:32:09 | Weblog
この夏は、
お天道さまの御機嫌が
どうもよろしくないみたいで、
大雨の次は地震か!って・・
それもお盆前のこの時期に・・。
容赦ないですね・・。




広島も
夏らしいお日さまに
なかなかめぐりあえません。







仕事場近くのセブンーイレブンさんに、
イープラスのプレリザーブ告知ポスターが
貼ってありました。


矢沢エーちゃんの広島公演の
受付期間は
先週で終了していました。


ライヴの遠征が
むずかしくなったので、
広島公演は
なんとかしたかったですけどねえ・・

でも
公演日が
平日みたいですし、
たとえチケット取れていたとしても
むずかしかったかもなぁ・・・。


何年前のことになるのかなぁ、
広島公演のチケットが
取れていたんですよ。
初参加になるはずだったんですが、
当日残念ながら
行けなかったの。






エーちゃん
この9月で
還暦だそうです。

かっけーなぁ。
矢沢永吉 「止まらないHa~Ha」



もともと
エーちゃんのことは
あまり好きではなかったんですが、

数年前の
ある日から
ふと
「いいなぁ、かっけーなぁ」と
思うようになりました。




プレミアムモルツのCM、
SONYのBRAVIAのCM。
いろんな雑誌のインタビュー。


あの色香と
あのたたずまいと
あの潔さと
あの渋さと
あの存在感。

いったいなんなんだ!と。

圧倒されてしまって。



創る音も
なにげに
バッキングとか
無駄がなくて
かっこいい。

洗練されていながらも、
適度に
バタくさい。
その加減がいい。
塩梅がいい。
YAZAWAスタイル。
確立されていて
ブレがない。

顔に刻まれた
皺の一本一本すら
かっこいい。

まさに年輪。





東京ドーム公演に
行かれるかた、
マジうらやましいです。

エーちゃんの還暦祝い公演。
もりあがってください!

一生懸命なブサイク。

2009-08-09 22:52:20 | Weblog
この土曜日と日曜日は、
ほんとうにひさびさに、
両方おやすみをいただきました。

この前、週末2日間をまるっとおやすみできたのは
いつのことだっけなぁ・・?
それが思い出せないぐらい
久しぶりのことでした。


ここのところ報道されている、
「マンモスうれピー」「いただきマンモス」などの
(歌で言えば「碧いうさぎ」ですか・・オダテツ=織田哲郎さん楽曲提供の)
元アイドルさんの例の件には、
さすがに驚きましたけどね・・^^;



それはさておき・・





この土曜日、
広島路上手紙人(うたし)の
「くま」さんに、
色紙を書いていただきました。


私の実名(下のなまえ)が入っていますので、
ここには公開できませんが・・


「くま」さんは、
「あなたを見て『手紙(うた)』書きます」という
イベントを
東急ハンズ広島店で
開催なさっていました。


いまの私をご覧になった印象で
手紙(うた)を書いていただくことを
お願いしました。


「くま」さんは、
はじめに私の名前を尋ね、
そのあと、
1分間ぐらい、
私の顔を・・・私の目を
じっと見据えていらっしゃいました。

威圧するでもなく、媚びへつらうのでもなく、
穏やかに、静かに、
私を見据えていらっしゃったのですが、
あまりにもまっすぐでフラットだったから、
ど真ん中のストレートだったから、
射抜かれているようで
なんだかつい緊張してしまいました。


その後、
「くま」さんは、
硯に墨汁を落とされ、
筆を握られ、
巧みな筆づかいで、
言葉を紡いでゆかれました。




「くま」さんは、
色紙の中央に
太く力強い筆致で、
しかも色紙の左端および右端・・
色紙の4辺のうち2辺に
あえて文字がかかるようなかたちで、
私の下の名前を書かれました。

その後、
細い筆に持ち替えられて、
「くま」さんの思いと言葉が
紡がれていきました。

そして、
薄墨で、
「葉」という一文字を
重ねて書かれていました。



色紙4辺のうち
左右の2辺に文字がかかる形で
筆を運ばれるのは、
「必ず誰かとつながっているんだよ、
 ひとりっきりではないんだよ、
 いまここにいなくても、誰かとつながっているんだよ」
そういうメッセージなのだそうです。


「葉」という文字は、
「主役は花でもなく葉でもない。
 葉をちぎりとられた花はどこか寂しげにみえるし、
 花の咲かない葉はまた寂しく、
 生気をすぐになくしてしまう。
 葉があっての花であり、
 花があっての葉だと思う。
 『おかげさまで生かされている』というのは
 まさにそういうことなのではないでしょうか」
・・そんな思いから、
どなたに対しても重ね書きされる一文字なのだそうです。



色紙を裏返して
「生(お)ってくれてありがとう」
そう書いてくださいました。





さらに
「くま」さんは、

「好きな言葉はなんですか?」
私にそう尋ねてくださいました。

色紙を入れるための
何の変哲もない
茶色のクラフト紙製の袋に、
好きな言葉を書きますよ、と。



私は
「愚直」を
リクエストしました。

そして、
「余白のどこかに
 8分音符のマークを
 入れてください」と
お願いしました。



「くま」さんからは、
「愚直」という熟語や
8分音符のほかに、

「ぶち一生懸命なブサイクに
 勝るものなし。」という
細筆で書かれた言葉を
加えていただきました。




「くま」さんからは
プロフの印刷物もいただきましたが、
広島修道大学の御出身であると書かれていました。

広島修道大学というのは、
広島市内・・いまでは学究都市ゾーンになっている
安佐南区大塚にある、
私立の伝統校です。
「修大」と呼んでいます。

演劇部の活躍は有名で、
修大御出身のかたたちが
結成した劇団が、
広島の市民演劇シーンを支えているようなことも
以前聞いたことがありました。

この春、南区民文化センターで
修大演劇部OBのかたたちが、
「郵便配達夫の恋」を上演なさっていました。


そして、
学内には
吉田拓郎さんの歌碑があります。
拓郎さんの母校が、
修大の前身である、
広島商科大学なのです。

かつて、
おいちゃん(南こうせつさん)や山本コウタローさん、
大友康平さんなどが毎年開催なさっていた音楽イベント、
「広島ピースコンサート」の第一回は、
コンサートホールでの開催ではなく、
修大のグラウンドで開催されたような記憶が
うっすらとあります。



広島における
芸術・文化の発信・興隆の
基盤となる
ひとをはぐくむ場所。
感性をそだてる場所。


「くま」さんもまた
そうした伝統のある学び舎から巣立った人材のおひとりです。





「くま」さん。
ほんまに、ありがとね。ありがとうございます。

生きることそのものが
ブサイクじゃったりするんよね。
それを卑下せんでもええんじゃと
思えたことが
ぶちうれしかったし
ありがたかったです。




=久しぶりにきょうの1曲=

いつか」。
山下達郎氏の楽曲です。

私は達郎氏のオリジナル以上に、
西城秀樹さんがかつてライヴで歌っていらしたものが好きです。

♪SOMEDAY SOMEDAY SOMEDAY 
 ひとりじゃなくなり~



秀樹さんといえば、
「BOMBER」(♪ビ~ルのた~にまへと~~ 滑り込んでゆくような~~)
あの曲もライヴでカヴァーなさっているんですよね。
しかもかなりお若い頃に。
吉田美奈子さん作詞・山下達郎氏作曲の
ファンキーなあの曲を。

音楽的に幅広なかたですよね・・。


右京くんとF1と日経アソシエ

2009-08-07 22:38:28 | Weblog
ときどき「日経Associe」という雑誌を
読むことがあるのですが、

そのなかに、
片山右京くんのインタビュー記事が
掲載されていました。
「ターニング・ポイント」についての
記事でした。

インタビュアーは
小松成美さん。
スポーツノンフィクションライターさんです。
(この方の書かれる記事は
 以前から好きでした。)


右京くんは
私とほぼ同世代です。





右京くんの「ターニング・ポイント」は
白血病の少年との出会いだったそうです。
F1レーサーになるのが夢だった少年。

あるボランティア団体からの連絡で、
右京くんは
その少年の存在を知り、
励ましに行ったそうです。
あきらめずに頑張れよ、と。


その後
2ヶ月ほどして
その少年は
亡くなったそうです。

その少年が
「片山さんに謝っておいて」と
残した言葉。

ここで引用するのは
差し控えますが、
右京くんは
その少年の言葉に
衝撃を受けたそうです。
少年の言葉が
右京くんの転機=
ターニング・ポイントになったそうです。



記事を拝読した私も
右京くんとはちがうかたちで
その少年の言葉に
衝撃を受けました・・・

「わたし、
 いま
 なんに
 負けてて、
 なにを
 あきらめようとしているんだろう」

そう思った。
あまりにもタイムリーで
びっくりしました・・。




写真のなかの
右京くんの目は
穏やかに思えました。






F1ドライバー時代の右京くんは
失礼な言い方になるのですが、
かわいらしく
アイドルっぽい感じに
私の目には映っていました。
もちろんそれは
個人的な感想にすぎません。

それまでの日本人F1ドライバー
中島悟さんや
鈴木亜久里さんと比較して
かわいらしい顔立ちの男性だなぁと
単にそう思ったのです。
モータースポーツには
まったく詳しくありません。


ただ、
フォーミュラワン
モータースポーツ界最高峰の競技は
大きな事故と隣り合わせで、
大きな事故は
命の危険につながっている。
そのことは
認識しているつもりです。


F1ブーム最盛期、
ユニコーンの奥田民生(=当時)や
オフコース(=当時)ファンである
会社時代の元同僚と
よく遊んでいたのですが、
その元同僚は
「音速の貴公子」
アイルトン・セナのファンでもありました。

元同僚の影響で、
フジテレビ系の深夜番組である
F1中継を見るようになっていきました。



たしか
ゴールデンウィーク中の
放送じゃなかったかなぁ?
実況が
広島出身の
三宅正治アナウンサーだったような気がする。

イモラ・サーキットで開催された
イタリア・サンマリノGPの放送を
たまたま見ていたんですよ。
アイルトン・セナが
コーナーで大クラッシュして
ヘリコプターで救急搬送されて
結局亡くなったときの放送を。

ラッツェンバーガーでしたっけ?
別の選手も
前日かなにかの走行で
事故死しているんですよね。

車体が脆く感じたのを覚えています。
F1がどんなに過酷な競技であるのか
見せ付けられたような気がしました。

まだその当時は
携帯電話がなかったから
その元同僚の家に
真夜中であるにもかかわらず
電話してしまったんですよ。

「いまF1見よる?」
「いやきょうは見とらん」
「すぐテレビつけて! 
 セナがたいへんなことになっとるんよ!」

とにかく
その元同僚に
連絡しなければ、と
衝動的に
電話してしまったんですよね。




右京くんといえばF1、
F1といえばアイルトン・セナ。
セナといえば
サンマリノGP・・・





もういまでは
モータースポーツの中継番組を
見るようなことは
なくなってしまいましたけど・・・





右京くんのインタビュー記事を
じっくり読ませていただいて、

少しだけ、
ほんの少しだけですが、
開き直ろうと、
吹っ切れようと、
思い始めた
自分がいました。




ありがとう右京くん。

ありがとう小松成美さん。

ありがとう日経アソシエ。






Helter Skelter ・・・ 愛をください

2009-08-07 22:03:55 | Weblog
やっと梅雨明けしたかと思ったら
もう立秋。
夏という感じがいまひとつうすいような
そんな広島です。





そういえば、
川村カオリ(川村かおり)さんが亡くなったことについて
書いてなかったなぁと。





「川村かおり」名義で
彼女が出てきたときのことを
なぜか覚えていて。
ファンでもなんでもなかったんですけどね。


当時、
音楽雑誌を
わりとよく読んでいたんですよ。

彼女の紹介記事があって、
「ZOO」も何回か聴いたことがありました。
エコーズの辻仁成の曲ですね。

日本人とロシア人とのハーフだという
紹介文も
あったような気がします。



(「ZOO」は
 のちに、菅野美穂さんが
 主演ドラマの役名名義でリリースしたんですよね。
 扁平な感じの楽曲だなぁとしか
 思わなかったんですけどね・・。)


川村さん、
きれいな顔立ちの
ボーイッシュな女性だなと
まっすぐな歌い方をするひとだなと
思いました。
その当時
ロックヴォーカリストって感じは
持ってなかったですね・・。


彼女の楽曲で
私が知っているのは
「ZOO」だけなんですよ。

テレビ番組「やまだかつてないテレビ」を
ときたま拝見していたはずなんですが、
「神様が降りてくる夜」という曲は
なぜか覚えていないの。





その後、
「婦人公論」だったかなぁ?
何かの雑誌をパラパラとめくっていたら、
「川村カオリ」という名前があって。

「芸名カタカナに変えたんだなぁ」とか思って。


母上様を乳がんで亡くして、
御自分が乳がんにかかっていた、というような
お話(インタビュー)が
その雑誌の記事になっていました。

「Helter Skelter」という
写真集でしたっけ?
乳がんの手術で乳房を切除した姿も
そのなかで公開された、というような
お話も
記事のなかに書かれていたような
覚えがあります。

悲愴なまでの覚悟や決意を
強さとかたくましさを
感じたような
覚えがあります。


闘病のなかで
すれちがいが生じて
離婚されて
シングルマザーになって。

「Helter Skelter」
同名の楽曲が
ビートルズのナンバーにありますよね。
らせん状のすべり台。



その後、がんが転移したんですよね。





今年にはいって
キヨシローさんの没後
「川村カオリ、清志郎魂でガンに負けない」とかいう
タイトルの
ウェブ記事をちらっと拝見しました。
ついこの間のことのような気がする。

アルバムをリリースして、
ライヴもやってたんですよね。



川村さん、
生きざまそのものが
ロックミュージシャンだったのかもしれない。

キッカワ(吉川晃司氏)が社長を務める事務所に
所属なさっていたことを
没後に知りました。




川村カオリ(かおり)さん、
おつかれさまでした。
御冥福をお祈りします。


調子わるぅ

2009-08-03 12:27:35 | Weblog
このところまた厳しい状況が続いて
昨日母親に誕生日おめでとうコール
しそびれてしまいました。
仕事ひけたのが夜11時をまわっていたから
もう寝てるよなぁ、って。



そういや
まだ梅雨明けしてないよなぁ