コメント
 
 
 
Unknown (matsu)
2024-01-18 08:05:13
初めまして。いつも楽しみに拝見させて、頂いてます。私の記憶だと、ヒグマじゃなく、マレーグマだと思います。間違えてたら、すいません。
 
 
 
Unknown (ジェレ)
2024-01-18 22:39:53
とうとうサル舎もなくなってしまうのですね。
子供の頃にはもっと大きく見えたはずのサル舎が、おとなになってから見るとこんなに小さかったのかと驚いたものです。

サル舎の横にはオットセイ?のプールがあって、そばにはライオン舎もありましたね。
サル舎の後ろには小動物が並んでいて、梅子さんがいたゾウ舎のそばには孔雀などの檻があったのを覚えています。
城址公園もだいぶ変わりましたね。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2024-01-19 18:56:42
ヒグマもいましたよ
いつも檻の中をグルグル回っていました
ライオンも一時は夫婦子供、合わせて五匹いたこともありましたな
 
 
 
>matsuさん (端々)
2024-01-20 01:05:54
ヒグマが飼育されていたのは昭和27年の頃ですね。昭和27年の広報おだわらの記事で確認できたのは象・ワニ・熊のみです。マレーグマは昭和50年代に飼育されていたのは記憶にあります。
 
 
 
どうぶつ (七枚橋)
2024-01-20 15:58:03
曖昧な記憶ですが…飼育されていた熊は、ヒグマ・マレーグマ・ツキノワグマだと思います。ワニは知りませんでした。
グルグル回る動物はたくさんいて、ライオンやアシカ、孔雀もいつも回っていました。テナガザルも飛び回っていたと思います。子供の頃は、動物たちが愛嬌を振りまいていると思いましたが、ストレスが溜まっていたのかもしれませんね。
ノンビリ暮らしていたのは報徳神社側の斜面にいた狸や鹿でしょうか。
てすり・・・残して欲しいな。ぶら下がったりしましたよね。
猿舎のフェンスに巡らせたシートに、ウメ子の写真が紛れていますね。見に行きたいな。
 
 
 
>ジェレさん (端々)
2024-01-27 00:38:50
昭和時代は本丸広場に動物園とステージと売店があって、土日は賑やかでしたね。かつて飼育されていた梅子やライオンは標本として入生田の生命の星・地球博物館に収蔵されています。公園内の木々も年々伐採されて寂しいばかりです。
 
 
 
>Unknownさん (端々)
2024-01-27 00:40:28
そういえば熊は檻の中で同じような動きを繰り返していましたね。熊の檻のあった場所は数年前に公衆トイレが整備されて、まったく名残がありません。
 
 
 
>七枚橋さん (端々)
2024-01-27 00:45:22
飼育されていた動物は年代ごとに異なっていて、開園当初はゾウ舎近くでワニが飼育されていたようです。その後、ワラビーカンガルーが導入されたことは広報おだわらで記事を確認できます。小田原城址公園内でアニューメント的な要素はこども遊園地くらいになってしまいましたが、豆汽車が修理不能な故障をしたら閉園してしまいそうです。
 
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