四日目。
今回の"青春18きっぷ"の旅も、いよいよ後半となってきました。
今日の旅の始まりは、広島駅。
天気がイマイチだったので、コインロッカーにメインの荷物を預け、
ウエストポーチのみで改札に入ります。
‥‥天気がイマイチだったことと、コインロッカーに荷物を預けるのと
何の関係があるのかについては、また後ほど説明します。
広島 742 -【可部線】- 832 あき亀山
正確には、広島から横川までは山陽本線。
横川から、可部線に入ります。
時間帯が時間帯なので、広島駅構内では写真は撮りませんでした。
可部の駅名標。
今年の春まで、この駅が終着駅でした。
反対方向からの列車の待ち合わせのため、数分間停車します。
可部駅に停車中の国鉄113系電車。
一日目や二日目に山陽本線や赤穂線で乗った国鉄115系電車とは、見分けがつきにくい。
特に、塗装を黄色で均一化されてしまったので、余計に見分けがつきにくい。
"かべ"の、壁、じゃない、柱。
‥‥はい、またスベりました。
可部から先は、今年の春に延伸開業した区間に入ります。
可部線は、もともと横川から可部を経て三段峡
(当時の広島県山県郡戸河内町、現在の同安芸太田町)までを結ぶ路線でした。
しかし、可部までの区間が電化されていたのに対し、可部から先の区間は非電化で、
運行本数も極端に少なくなり、輸送密度も段違いとなってました。
そのこともあって、平成15年12月、可部から先の区間は部分廃止されました。
ただ、可部の一つ先にあたる河戸までの区間については、部分廃止の前から電化計画があり、
廃止されてからも電化した上での路線復活を要望する声が大きかったことから、
今年の春、廃線区間の路盤を活かして、あき亀山までの区間が開業した、というワケです。
いったん廃止された路線の一部が再開業するのは、JRとしては初めてのケースとなりました。
旧河戸駅は、復活区間に新設された河戸帆待川とあき亀山の両駅のほぼ中間にありました。
なので、実際は廃線の復活というより、廃線を利用した路線新設、といった方が良さそうです。
ちなみに、可部線はこの部分廃止により、線区全体の輸送密度が大幅に上昇。
地方交通線としては全JR路線で最も高くなりました。
あき亀山の駅舎。
横から撮ってみると、こんな感じ。
改札口。
なお、あき亀山駅は無人駅です。
あき亀山駅に停車中の、国鉄113系電車。
車止め。
この先の区間についても復活が検討されていた時期がありましたが、
資金面などの問題で断念、現在は白紙の状態です。
あき亀山の駅名標。
なお、あき亀山の"あき"がひらがななのは、
可部線の部分廃止区間にあった"安芸亀山"駅と区別するため、とのこと。
室木線の廃止後に筑豊本線上に開業した"鞍手駅"の例もあるし、
別に区別する必要はないのではないか、と個人的には思うのですが‥‥まあいいや。
あき亀山 842 -【可部線】- 925 広島
いったん広島駅に戻り、コインロッカーに預けておいた荷物を取り出し、
駅構内のマクドナルドで朝マック。
ホテルでも、チェックアウトの前にモーニング食べてるんですけどね、一応。
そういえば、マクドナルドの店員さん、カープのユニフォーム姿だった。
さすがは、広島の玄関口です。
またまた登場、広島駅。
それにしても、今回の旅で、いったい何回、広島駅の改札を"18きっぷ"で通過しただろう。
‥‥数えてみたら、7回でした。
再び、改札内に入り‥‥。
今回の旅で何度となく乗ってきた、国鉄キハ40系気動車。
前日は三次から広島まで乗りましたが、この日は逆に、広島から三次まで乗ります。
昨年までの段階で、広島県内の鉄道線のうち未乗車区間がぶつ切りに残ってしまっていたので、
今回の旅では敢えて"同じ回の旅で、盲腸線でない路線を逆方向に乗る"行程をつくりました。
"18きっぷ"期間中でなければ、このような行程はつくりづらい。
なんか、もったいないので。
広島 1005 -【芸備線・みよしライナー】- 1126 三次
広島を出た列車は、広島市の郊外の住宅街を、三篠川沿いに北進します。
安芸矢口。
もともと芸備鉄道の矢口駅として開業したものを、国有化と同時に安芸矢口に改称。
国鉄にはほかに矢口駅は無かったと思うんですが、
なぜ"安芸"を冠するようになったのかは、謎。
この付近、先ほど乗車した可部線とは、太田川を挟んで対岸を走る形となります。
可部線の駅から芸備線の駅まで徒歩で移動し、乗り換えようと思えば、できないこともない。
私も、当初はそのつもりでした。
しかし、先ほども書きましたが、この日は天気がイマイチだった。
なので、徒歩移動は諦め、おとなしく広島駅まで戻って乗り換えることにしました。
結果、広島駅のコインロッカーにメインの荷物を預けることができた、というワケ。
もし可部線の駅から芸備線の駅まで徒歩で移動するとなると、広島駅に荷物を置けないし。
なお、芸備線の列車内からは、対岸にある平成26年の大規模土砂災害現場の様子も窺えました。
砂防ダムの整備も進んでいますが、まだ土砂崩れの爪痕が生々しく残っていました。
志和口の駅名標。
安芸矢口の近辺と比べると、かなり長閑な雰囲気が漂っていますが、
駅名標に"広"の文字が記載されているとおり、ここも広島市内の駅です。
お出かけ前に、まずは夕食。
広島名物、お好み焼き。
そば麺も入っていて、これだけでかなりのボリュームがあります。
広島 1845 -【山陽本線】- 1905 瀬野
この時間、帰宅ラッシュにつき、無闇に写真を撮るのははばかられました。
しかし、ここまでして出かけなければならなかった理由が、私にはありました。
今回の旅の目的、ひとつは、姫路城の見物。
そして、もうひとつは、"広島県内の鉄道線全線完乗"を達成すること。
ここ数年、島根県、鳥取県、山口県と、
毎年、"鉄道線全線完乗"の都道府県を1県ずつ増やしてきました。
そこで、今年は広島県の"鉄道線全線完乗"を目指すことに。
そのためには、この路線にも乗らなければなりますまい。
そんな訳で、瀬野で下車。
みどり口駅 1912 -【スカイレールサービス】- 1917 みどり中央駅
瀬野駅に隣接するみどり口駅から、みどり中央駅までを結ぶ、スカイレールサービス。
モノレールとロープウェイが合体したような、新交通システムです。
広島市の郊外、瀬野地区に、"スカイレールタウン"として開発された住宅街。
スカイレールサービスは、瀬野駅と住宅街を結んでいます。
駅は基本的に無人で、使用済みの乗車券はこの箱に入れるようになっています。
自動券売機。
スカイレールサービスは、全線均一運賃(160円)です。
といっても、途中の駅はみどり中街だけですが。
自動改札機。
ここの改札機、券売機で購入した乗車券にQRコードが印刷されていて、
そこを改札機上部の青い部分に読み取らせる方式となっています。
みどり口から乗車するとき、切符の挿入口が無いので戸惑っていたら、
通りがかった人が教えてくれました。ホント、あのときは有難かったです。
みどり中央駅 1927 -【スカイレールサービス】- 1933 みどり口駅
夜景、その1。
夜景、その2。
‥‥写真では、まったく伝わらないと思いますが。
瀬野の街並みだけでなく、遠くに広島市街地も望むことができ、なかなかの夜景でした。
なお、これまた写真では分かりづらいと思いますが、
スカイレールサービス、かなりの急勾配を行き来します。
なので、遊園地の絶叫系が苦手な人が乗りつぶすなら、夜の方がオススメかも。
そんなこんなで、みどり口駅に戻ってきました。
みどり口駅。
奥にはJRの瀬野駅も見えます。
山の方から、スカイレールサービスのゴンドラが、降りてきた。
うーん。夜の撮影は難しい。
でも、雰囲気はだいたい伝わったのではないかと。
なお、スカイレールサービスのゴンドラ、中は無人です。
スカイレールサービス、私の中では"鉄道"の仲間に入れるかどうか迷ったんですが、
時刻表の巻頭地図では、水色のジグザグではなく黒で示されているため、
私独自の基準で、鉄道線に含むことにしました。
なお、ケーブルカーは水色のジグザグなので、ロープウェイと同じ扱いとしています。
ケーブルカーまで鉄道線に含めた場合、私は九州の鉄道線を全線完乗していないことになる。
皿倉山もラクテンチも行ったことがないので。
瀬野駅。
夜の駅の雰囲気、なんか、好き。
瀬野駅の駅名標。
東隣の八本松との間の勾配は、機関車時代、"セノハチ越え"と呼ばれ、
難所として知られていました。
瀬野 1943 -【山陽本線】- 2003 広島
こうして、三日目の夜は、更けていきました。
さて、新見を出発。
新見 1301 -【芸備線】- 1425 備後落合
新見を出ると、次は布原に停車します。
布原の両隣の駅は、新見と備中神代。
前回の記事で、伯備線の新見と備中神代の間にひとつ駅を挟む、と紹介しましたが、
その駅が、この布原です。
伯備線と芸備線の正式な分岐駅は、次の備中神代。
備中神代から新見までは、あくまで芸備線の列車が伯備線に乗り入れている形となる。
なので、布原駅は、本来であれば伯備線の駅、ということになります。
ところが、伯備線の列車、なんと、布原には一本も停まらないのです。
布原に停車するのは、芸備線からの乗り入れ列車のみ。
唐津線の本牟田部のように、隣に筑肥線の線路が通っているのにホームが無い、というケースは
全国にもいくつかありますが、ホームがあるのに停まらない、というケースは非常に珍しい。
さて、次の備中神代から、いよいよ芸備線に入ります。
野馳駅。
駅名標が木造駅舎の窓に張り付けてありました。
東城。
野馳と東城の間で、岡山県から広島県に入ります。
ここから備後落合までは、特に輸送密度が低い区間とされていますが、
18きっぷの利用期間中ということもあり、列車はそれなりの乗車率となっていました。
内名駅のホームには、なぜか季節外れの鯉のぼりが。
東城から小奴可(おぬか)あたりまでは、成羽川に沿って走ります。
道後山駅。
無人駅ですが、駅舎はそれなりに立派な造りとなっています。
駅が無人化されると、小さな待合所みたいな造りのものに建て替えられてしまうケースも
少なくはないのですが、ここはそのまま残っていました。
道後山駅の駅名標。
少しブレてしまいましたが。
そんなこんなで、備後落合に到着。
ここでは、三次行の列車に乗り換えます。
佐用から津山、津山から新見、新見から備後落合と乗ってきたのとこれまた同じ
JR西日本キハ120系気動車ですが、いままでの列車がセミクロスシートだったのに対し、
こちらはオールロングシートとなっていました。
備後落合の駅名標。
芸備線と木次線の分岐駅であるとともに、
芸備線の運転系統も備後落合で分かれているため、三方向の乗換駅となっています。
備後落合駅の駅舎。
この駅を訪れるのは、これで三度目。
新見から乗ってきた列車と、三次へ向かう列車。
木次線の列車も停車していましたが、そちらは人がかなり多くて
とても写真を撮れる雰囲気ではありませんでした。
前回や前々回に訪れたときは、もう少し落ち着いた雰囲気を感じたんだけど、
思えば、二回とも18きっぷの利用期間外だったな‥‥。
ホームより、新見方面を望む。
備後落合 1443 -【芸備線】- 1603 三次
この区間はこれまでにも乗ったことがあるし、ロングシートだし、
窓外の景色を楽しむこともなく、ひたすら俯いていました。
庄原市の代表駅、備後庄原。
反対方向から来る列車の待ち合わせのため、数分間停車。
反対側のホームの駅名標を、撮ってみた。
余談ですが、平成の大合併により、庄原市は近畿以西では最大を誇る面積をもつ市となりました。
先ほど紹介した東城も、現在は庄原市に含まれます。
東城から備後庄原まで、乗り換えの時間を含めた所要時間は2時間弱、というところ。
‥‥どんだけ広いんだ、という感じです。
ホームより、備後落合方面を望む。
ホームより、三次方面を望む。
途中、塩町で、学校帰りの高校生が続々と乗り込んできて、かなりの混雑となりました。
もっとも、三次までの3駅の辛抱でしたが。
そんなこんなで、三次に到着。
三次駅の駅名標。
三次駅では、こちらの国鉄キハ40系気動車に乗り換えます。
三次 1609 -【芸備線・みよしライナー】- 1734 広島
備後落合から乗ってきた列車の混雑具合から、こちらの列車もそれなりの混雑となるのでは
ないかと思われましたが、意外とそうでもなかった。
もっとも、1両編成が2両編成になるので、それだけでもだいぶ違うと思うけど。
そんな訳で、広島に到着。
広島駅の駅名標。
芸備線の列車が映り込んでいますが、これはホームの反対側・呉線のりばのもの。
こちらが芸備線のりばの駅名標です。
こちらは山陽本線・上りの駅名標。
これは一瞬分からなかったのですが、可部線のりばの駅名標でした。
一方、こちらは山陽本線・下りの駅名標。
それぞれののりばがこうして色分けされていると、外国の方にとっても分かりやすいですね。
さて、この日は広島に泊まったのですが、
ホテルでチェックインを済ませた後、再びお出かけしました。
結果的に、この日のうちにこれを済ませておいたから、
あれを達成できた、という訳なのですが‥‥。
そのことについては、後日の旅日記で触れることにします。
朝の津山散策を終え、津山駅へ。
津山駅の駅前広場に保存されているSL、C11-80号。
津山駅。
4番のりばに停車中の国鉄キハ40系気動車、津山線快速の"ことぶき"岡山行。
津山線には中学生の頃に乗ったことがあるので、今回の旅ではこれには乗りません。
津山駅の駅名標。
こちらは津山線カラーとなっています。
反対側は、JR西日本カラーの青でした。
3番線で待っていたら、国鉄キハ40系気動車がやってきた。
この列車に乗るのかな‥‥と思ったら、違った。
キハ47形は、国鉄キハ40系気動車に含まれる形式のうちのひとつです。
キハ40系気動車がホームから出ていき、しばらくすると‥‥。
JR西日本キハ120系気動車が入線してきました。
この列車に乗ります。
ワンマン列車ならではの、運賃表。
最近は、ローカル線でもLED化が進んでいるようです。
津山 1005 -【姫新線】- 1147 新見
本当はボックスシートの部分を確保したかったのですが、
そこは18きっぷ利用期間中ということで、競争率が激しく、ロングシート部分に。
とはいえ、ロングシート部分でも一番前だったので、
腰を半回転すれば、外の景色はそれなりに楽しめました。
津山から新見までは中国山地の南麓を走るので、トンネルが多いのかな?と思っていましたが、
意外にも、途中の中国勝山まではトンネルもなく、山間の田園地帯を駆け抜ける感じでした。
中国勝山の一つ手前、久世で、反対方向から来る列車を待ち合わせ。
久世駅の改札口。
久世駅の駅名標。
津山方面行きのりば。
久世駅の駅舎と、新見行の列車。
いかにも地方の駅、という感じの木造駅舎。趣があります。
さて、再び列車に乗り込みます。
新見駅に到着。
こちらは、姫新線と芸備線のホームの駅名標。
ようこそ、新見へ。
新見駅の駅舎。
お昼どきです。
なお、時計に注目していただければ分かると思いますが、
この写真とひとつ前の全体写真、時系列が逆です。
細かいことですが、念のため。
新見駅前を流れる、高梁川。
こちらは上流側。
同じく、下流側。
この日のランチは、新見駅前の喫茶店で、トーストとアイスコーヒー。
再び、新見駅に戻ります。
伯備線ホームの駅名標。
隣の駅に"びっちゅうこうじろ"(備中神代)と表記されていますが、
実際には、間にひとつ別の駅を挟んでいます。
その辺については、次回ご説明致します。
伯備線ホームに入線してきた、国鉄381系電車。
岡山と山陰を結ぶ特急、"やくも"です。
3年前の"出雲・石見・長門への旅"で、私もお世話になりました。
芸備線ホームより、津山・岡山方面を望む。
芸備線ホームより、米子・広島方面を望む。
列車が入線してきました。
またまたJR西日本キハ120系気動車です。
さて、三日目の朝です。
この日はダイヤの関係で、予定より一本早い列車に乗る、ということはありませんでした。
なので、ホテルを早めに出たあとは、津山市内を少し散策することにしました。
まずは、踏切を渡って‥‥。
津山駅の西側にある、"津山まなびの鉄道館"。
朝早い時間帯だったので、まだ開館していませんでした。
旧津山扇形機関車庫。
電柱の陰に隠れていますが、転車台もちらりと見えます。
南西方向から、津山駅を望む。
南東方向から、津山駅を望む。
津山駅は線路の北側に駅舎があり、連絡橋などもないので、
線路の南側からは、かなり迂回しないと駅に辿りつくことができません。
題して、"夏草の線路"。
‥‥電柱が思いっきり邪魔ですが。
再び線路を渡り、今度は北へ向かいます。
前日に夕陽を撮った橋の、ひとつ下流側の橋から、さらに下流側を臨む。
正面やや右側にある、三角屋根の茶色い建物は、高校サッカーの強豪校、作陽高校です。
今津屋橋のはじまり。
津山城跡の石垣。
津山城跡は現在、鶴山(かくざん)公園として整備されています。
ただし、入園は有料。
こちらも時間の都合で、中には入りませんでした。
江戸時代に津山城を築城した、森忠政の像。
津山城復元図。
在りし日の津山城は、それなりの規模であったことが窺えます。
津山市の街角にあった、美作国建国1300年の記念碑。
再び、吉井川を渡ります。