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山梔窩由来

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真木和泉守(まきいずみのかみ)とは・・・・・
幕末に活躍した勤王派の志士、久留米水天宮神職だった真木は久留米藩政の改革を巡る対立で1852年から10年間水田の山梔窩に蟄居させられた、その水田にて地域の若者に塾を開き学問の大切さを広められました。長州藩と御所を守る会津、薩摩藩などが京都で交戦した蛤御門の変で長州藩に加勢し敗れ16人の同志らと天王山で自決されました。

山梔窩(さんしか)とは・・・・・・
真木和泉守保臣が当時弟である水田天満宮宮司の縁で水田の地で10年間蟄居生活をした屋敷。日本一小さな武家屋敷として存続しています。藩革以降口出ししないとの意味で口無/梔子 (クチナシ)の屋と言われるようになりました。

この山梔窩の屋はばおばぶの実家の一部分でした。言われある家屋の為曽祖父の代に切り取り水田村に寄贈したそうです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%9C%A8%E4%BF%9D%E8%87%A3
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