あけぼの

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傘寿に届く黄金の手

2011-08-07 09:40:57 | アート・文化

最近は歳のせいか早朝目覚める。ジーと両手を眺める。骨太の痩せた手、2~3ミリ浮き上がった血管が際立つ。浅黒く日焼けして丈夫そうに見える。顔と違ってシミはない。掌は血色がよいが指には縦皺がある。まあ健康な手だろう。14年前のことが、脚立の最上部から落ちて右手で身体を支えたためこの手が外れて手首からぶら下がった。救急で運ばれてレントゲン撮影で正常位置を確認しながら引っ張り、ギブスをかけられた。「60歳を過ぎているので完全には機能回復しない」といわれた。後のリハビリが大変だった。痛くて辛い思いをしたことは忘れられない。今は殆んど正常に動く。

 さて、他人より大きいこの手、伸縮しない手袋は使えない。外出時には苦労した。寒くても辛抱するだけだった。48歳のころ左右の手の握力は41、ノンプロ野球のキャッチャーほどあった。とにかく腕力は人並み以上だった。若い頃に百姓の手伝いをしていたからだ。背筋力や肺活量は衰えたとはいえ平均以上はあるだろう。今と違って20代は作業に手袋などしたことは無い。爪には土や木くずなど入っていて黒色に染まっていた。それが当然と思って仕事をしていた。多少の切り傷、擦り傷、打ち身など消毒もせず水で洗い流すだけ、治癒は自らの免疫力だけだった。健康はありがたかったが、今の健康は若い頃力仕事をしたからだと思う。

人の手にはその人の歴史が刻まれている。器用、不器用を手先のせいにする人が多いが、指先が太くても器用な方だった。大工仕事や工作は得意だった。物を曲げたり折ったり掴んだり、と、大きい手は便利だった。鍬を握って畑を打ちこむ、肥料を掴んで撒く、などの農作業もした。薪を掴んで運び、まさかりで割った。下木刈りで鉈を振りおろし、枝木を束ねる山仕事など、手袋せずによく働いたこの手。社内野球で一塁守備の折り、飛んできたボールを咄嗟に素手で掴み、珍プレイ賞をもらったことがある。グローブより素手が早く出たのだが、賞を得たのはこの手だ。ある時期には関連会社の社長として、午後の眠気がつく頃よく現場を手伝った。おばちゃんたちには重い金属部品の入った箱を運ぶのは負担ゆえ手伝いをした。そのせいか握力維持と背筋力が鍛えられた。アメリカ生活20年間中、毎年11月はレイク(熊手)で落ち葉をかき集め捨てるためにクリークまで運んだ。12月になると80mのドライヴウエイの雪かきだ。雪の量によっては2時間以上費やした。よく働く手だった。8月には日本に帰って植え木刈りをしたものだった。暑い最中、流れる汗を拭きもせず1週間で2つの家の庭木を剪定した。松の剪定では他家の木まで手伝った。

何もやらなくなれば皺だらけの貧弱な手になるだろう。精々絵筆が使える華奢な手に。注意力、集中力の衰えと共にいずれは労働力としては役立たない力の失せた手に代わっていくだろう。当然なのだろうか、司令塔の脳にやる気がなくなった今は剪定を1日延ばしに延ばしている。黄金の手も意思には勝てないのだろうか。(自悠人)