1.ハラホリンへ行く途中見た道祖神の傍らで
2.埼玉県の社会科の先生と会った日本人墓地
日本人墓地と好青年たち 20㎞離れた郊外に日本人墓地を訪ねた。広い丘の斜面に慰霊塔があり、第二次大戦でソ連の捕虜となり過酷な使役で死亡した日本人の遺骨1087柱が葬られている。解釈改憲で平和憲法が壊れかけている今、日本の若者がこのように異郷に埋葬されることの無いよう合掌。そこに先客が一人居た。祈りを捧げていた日本人の若者は埼玉県から来た社会科の先生だった。彼は長期休暇を取り地球個人旅を終えるところだった。社会科の先生が世界を見て歩くのは素晴らしいこと、「百聞は一見に如かず」と共鳴しあった。若いうちの苦労は報われる 別の場所でほぼ同年齢のモンゴルの青年にも会った。35歳の社長さん。大学はモンゴルで終え来日、朝日新聞の配達員をしながら言葉を覚え、武蔵野大学で修士号を取得、滞日中は常に睡眠との戦いだったと述懐していた。勿論日本語は流暢、今は従業員3人を抱える旅行会社を経営、若き成功者だが、懐かしさからかASAと着いた朝日新聞従業員のシャツを着ていた。若いうちの苦労・努力は報われる。朝青龍も同年齢、本年9月で35歳になる。ウィキピディアには「評論家、映画俳優、慈善家として多方面に活躍」とある。朝青龍公園を訪問したが、日本風の鳥居が両入口にあり、しっとりした良い公園。彼がこの公園を寄贈してから公共の公園が出来始めたそうだ。彼は孤児院も作っている。後になったが、ハラホリンへの道中、草原に点在するゲルの1つを訪れ、「突然だが中を見せて頂けないか」と頼んだら気持ちよく招じ入れてくれた若夫婦、4WDの運転手も優しい青年で、筆者に「寒かろう」と自分のジャケツを羽織ってくれた。モンゴルの若者たち、有難う!すぐ会いに行きたいと毎日思っている。(彩の渦輪) 3.朝青龍公園の入口の一つ
4.日本の朝日新聞販売店で新聞配達しつつ武蔵野大学で修士号を取り、今はモンゴルで旅行会社の社長さんだ
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