ひとりっこのアルツハイマー介護

要介護5の父(2011他界)と人工透析でアルツハイマーの母のひとりっこ介護と、介護で自分の人生を犠牲にしないコツ

グループホームは第二の我が家?

2010-02-15 17:32:51 | Weblog
グループホームの良さは「アットホームさ」につきる。

父は気難しいし協調性もない。(昔から)
だから他の入居者と話さない。

それでも、限られたスペースと限られた顔なじみの中で生活することは快適なようだ。

わたしも、3年ほどのおつきあいの中でスタッフの方々との距離をとても近いものに感じている。
「○○さんの娘さん」ではなくて「○○さん」と下の名前で呼ばれ、なんだか親戚のおばちゃんとしゃべっているような感覚。
母のことについても相談に乗ってもらったりしている。

あらためて、ここでよかったなと思う。


自分も癒されたいし、人も癒したい

2010-02-12 17:20:36 | Weblog
年を重ねたせいだろうか。
「人の役にたちたい」という欲求。

親の老いに向き合って、自らの老いを考える。
自分がつらい時、ほかの誰かも同じつらさを抱えていることを考える。

時には介護から心も体も解放しようよ、って知らない誰かにつぶやいてみる。

私が癒され、そして誰かにしてあげられることはアロマのマッサージ。
介護してる人、されてる人に是非体験してもらって、スキンシップから得られるエネルギーを知ってもらいたい。
商売ではなく、かといってこちらが何もかも与えるのでもない、ちょうどいいバランスを模索しております

母は我が道を行く。

2010-02-11 20:48:42 | Weblog
寒いですね。
今日は母のケアプランを話し合う「担当者会議」でした。
ケアマネさん、ヘルパーさん、送迎をしてくれてるT君と母と私。

実家には車を止めるスペースも、皆が輪になれるスペースもないので、ケアマネさんの拠点である特養ホームの会議室に行ったのですが・・・・

母は「わたしをここに入れるってこと?」と開口一番。

ゆうべ、何故そこにいくかをちゃんと説明したのにさっぱり覚えていない。

9月の終わりにあわてて始まった支援体制。
「5か月たって、いかがですか?」とケアマネさん。

あの頃の母の混乱ぶりに比べたら、記憶力は徐々に悪くなっているものの、生活に困るような問題は起きていない・・・と思う。

やはり、自分を気遣ってくれる人たちがいる安心感は大事なんだと思う。

身体介護はまだ不要だから現状のまま、通院介助と週一のホームヘルプを続行することになった。

それにしても、病気のせいなんだか年のせいなんだか、思い込んだら人の話を受け入れようとしないのにはイラっとしてしまう。
「それはちょっと違う」ということに対し、まったく納得しようとしない。

そしてケアマネさんの問いかけに対し、母の答えは「答え」じゃなく自分が話したいこと。

「お嬢さんはお子さんの世話もあるのにお母様のことも頑張ってサポートしてますよね。私たちは感心してますよ。だから少しでも他の手で負担を軽くしてあげたいんです」

母「透析してて一人暮らしなんて私ぐらいですよ。だいたいこの子は月に一回ぐらいしか家にきません」

一同シーン・・・・・
わたし、週に一度は顔出してます。みなさんも知っています。
父のところにも週一度通い、週4日仕事もしてるから物理的に精一杯です。

でも母の印象は(忘れちゃったにしても)そんな冷たい娘なんだね。

はーっ介護って報われないなあ。

母はわたしにとって絶対的な存在だった。
自分がこどもを産むまでは最も最愛の存在だった。
けれど、今や「大好きな母」は「困った母」になってきている。

「お父さんはわたしのことなんて何にも考えることなしに先にホームに入って勝手よね」という。
確かに父は「将来」に対しなんの計画性もなかった。
「一生働けるから何も困ることはない」と豪語し、結局病気で仕事を手放し貯蓄ゼロになってしまった。

母はそういう父に不満を持ちつつ離婚する勇気も生活力も持ち合わせなかった母はどうなんだろう?
心のどこかで娘がなんとかしてくれるだろうと思っていたのではないか?

いま病気を抱えているのに一人暮らしなのは、頼りにならない娘のせい。

どうやらわたしは冷鉄女のようです。