「Mai Kuraki 2005 Live Tour
"LIKE A FUSE OF LOVE"」の13回目。
2005年10月16日鳴門市文化会館
長崎は朝6時台の特急で博多駅に向かい、そこから新幹線で岡山まで。駅のホームでうどんを食べる。広島にしても、岡山にしても、中国地方のうどんは美味しいと思います。もちろん、僕は中国地方の出身ではありません。瀬戸大橋線で高松まで行き、時間に余裕があるので、外のスーパ-でお惣菜とお弁当を買う。昨年高松に寄ったとき、お惣菜がとても美味しかったのでまた食べたけど、僕の記憶ほどではなかった。しかし、全国を回ると、地方のスーパーのお惣菜コーナーを見ると、微妙に品揃えが違うのが面白い。その地方の特色がお惣菜に現れている。
JRの社員には意地悪な人もいるがここら辺りの職員はとても親切でよい。高松から特急で池ノ谷へ。この駅に着いたとき雨が降っていた。ここから普通電車で鳴門駅へ。途中の横を川の流れる景色はとてもよい。乗客もそこそこいて決してど田舎ではない。鳴門というところははじめてくるところ。駅に着いて駅前の地図でホテルを探すが見つからない。電話番号簿で大体の住所を知る。斉田という地名のようだ。
駅で帰りの切符を取った。高速鳴門から大阪駅までのバス。タクシーでホテルに向かう。ホテル名を言っても運転手はわからず、運転免許を取るのに利用するホテルだとか、なんか言っていたけれども印象の悪い運転手。駅から割りと近いところにホテルはあった。ホテルヴィルベルというところ。ここは2泊。なかで一休み。
夕方何か食べに行こうと思ったが、雨が降っているし、初めてのところで土地勘がなく、前にコンビニがあったのでそこで買い物をしてホテルの戻る。翌日昼過ぎ食事をしてそのまま会場へ行こうと思った。どうも鳴門という都市がよくわからない。ど田舎ではないけれども、大都市というほど大きな商業地が見当たらない。どこか違うところにあるのか。でも都市は川を挟んで整備されている印象。
ただ、外の飲食店などが少ない様子。鳴門の人は外食をあまりしないのか。駅近くのスーパーも規模が小さく、駅前の通りもそれほどにぎやかでない。にぎやかなところはどこだろう。でも甲子園で活躍した高校もあるところだし、とらえどころのないよくわからい都市。言葉が関西なまり風イントネーションがとても感じがよい。
駅近くにお好み焼き屋があった。以前テレビで徳島南部のお好み焼きが紹介されていた。僕はうまく焼けないけどとりあえず何とか焼いて食べましたが、美味しかった。ちゃんと焼けばもっと美味しくなるのかもしれない。その後駅の反対に回り、会場に行く途中のうなぎ屋さんで、うなぎを食べました。ここの前は商店街になっているけれどそれほどにぎやかな印象がない。
川沿いのベンチに座っていたら、蚊が飛んでくる。蚊が多い。会場近くのベンチに座っていました。入場のとき前を並んでいた女性は、倉木さんの真似をして腹だしルックでした。似合わない人は似合わない。さ列21番。11列目かな。今回のライブ・ツアーで一番前の席。
ライブはまずまずよかったと思います。ただ、やはり僕自身倉木さんに信用されるまではまだはるかに遠い印象で、多くの日本人は、理由はどうあれ、理由はあろうがなかろうが、僕を悪者にするのを楽しんでいます。麻衣さんもそんな立場にいるのではないか。そんなことを言うと政治家やマスコミや一般市民は喜ぶかもしれないが、倉木さんはそれでも僕の心の支えになっている。それに比べると政治家やマスコミや一般市民は僕に対し、デマを流し、悪者にして喜んでいるだけ。
今はまだ駄目かもしれないが、麻衣さんに信じてもらえるようになりたい。きっとそんな日が来てほしい。そう思いながら現時点での厳しさに直面してしまう。
なんとなく今回も沈んだ気持ちで、途中コンビニによりホテルへ戻りました。
翌日は、高速鳴門というところが分からないので早めにホテルを出て、うろうろしながら探していたら、やっと見つかった。今まで長距離のバスを利用するとき、いつも始発から乗っていて、こういうところを利用するのは初めてでした。ダンサーのコスプレをやっているらしき人がいて、うんざり。こういうやつが良くまとわり着くんだ。
バスに乗り、鳴門海峡の景色を眺め、淡路島を始めて通り神戸経由、なんば経由で大阪駅へ。途中で犬を連れた女性が見えて、キャスパーちゃんは元気かなと考えました。ヒルズパン工場カフェにもよりたかったけれども、気持ちが沈んでしまっているのでそのまま新大阪に行き、新幹線で東京に戻りました。
来年の倉木麻衣のライブ行くかどうか。もちろん経済的には問題ないけれども、世間の悪質な嫌がらせのなかで、麻衣さんの信用を得られないままライブに行き続けるのは、精神的にかなりきつい。孤立無援の厳しさ、そうかといって極悪非道と妥協する気もない。この先自分の倉木麻衣ファンとしてのあり方、そして自分自身のあり方が問われ、それに対し自問自答を繰り返す状態が続く。
生きる価値のない日本人は今後も僕に対しデタラメな噂を流し続けるだろう。そいつらに天罰が落ちてほしい。
少し今までより退いた形で倉木ファンを続けるしかない。まだまだ自問自答は続く。