昨日に引き続きDVD「Shizuka Kudo THE LIVE DVD COMPLETE」を観ました。
Disc7以降。工藤ファン時代のことについてデマが減ってくれればいいと思うが。
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Disc7
1994年秋。知人のファンの情報によると、この年も工藤さんは前年までのようなコンサートをやるというスケジュールがあったそうだ。でも工藤さんがそれを取りやめにしたと聞いた。工藤さんは英語の勉強のために、アメリカに行ってしまった。実際には工藤さんの側にもいろんな事情があったようだ。この年のツアーは、秋になってから、大阪城ホール、名古屋レインボーホール(今は名前が違うかも)、代々木体育館のいわゆる大ホールのみの3公演。大阪、名古屋が1列目。僕は大いに期待していたが、正直なところ僕はこの年のコンサートについてすごく不満を感じ、僕は少し怒っていた。がっかりした部分がある。
僕は工藤さんのコンサート、1列目というのはそれほど多くない。大阪は1列目の中央に近い。楽しみにしていた。でもステージが高い。ほとんど見上げるような角度でコンサートを観るような感じ。空中に絵が浮かび上がるという演出も、1列目だとまったく見えない。途中で客席中央のステージで歌うので一列目だと離れたところから後姿を見る感じ。音も?全然おいしくない1列目。楽しみにしていたのになんだこの1列目、と思った。3公演通じてあまり好印象はなかった。席のせいもあるかな。
名古屋のコンサートのあと、僕は工藤さんと同じ新幹線で東京に帰った。東京駅で工藤さんに面と向かって、「コンサートよかったです」などと言ってしまった。本心ではかなり不満を感じていたのだが。「反対のこと」を言ってしまった。このころ工藤さんから僕の心は少し離れて行きつつあったように思う。他のアーティストがいい、悪いは関係なく、僕に対する接し方を含め、ファンに対する接し方、それに工藤さんの音楽やコンサートに対する姿勢にも疑問を感じつつあった。工藤さんに対して、今まで抑えていた不満が沸いて出てきた。僕が誤解している部分もあっただろう。でも工藤さんもこれまでとかなり違って見える。僕が徐々に工藤さんについていけなくなりつつあるということか。工藤静香ファンを続けるかどうか、僕にとって大きなヤマ場を迎えることになった。そういう年だった。
でも今改めてDVDを観ると工藤さんがやはり前年までとずいぶん雰囲気が違う。やはり工藤さんの側にもいろんな事情があったんだろうね。いまさらながら僕ももう少し違った心で対応していればよかったという気もする。でもあまり変わらないか。「僕よりいい人と・・・」これもいい曲だね。「Step」。「I'm nothing to you」もいい曲。「Ice Rain」も人気あったな。最後の「Door」はまた格別。いろんな想いがよぎる。
Disc8
1997年春。僕は転勤していた。職場は元の職場と同じ区内。前回のコンサート・ツアーから少し間隔があく。その間、東京大阪でファンクラブイベントもあった。ファンも徐々に減りつつある。前回までよく見かけたファンが次の年から、ばったり来なくなるのは時々ある。僕は多少の心のゆれはあるものの、結局やっぱり工藤静香はいいな、というところに行き着いてしまう。時々疑問に感じることはあるけれど、また以前ほどの熱狂的ではないにせよ、やはり工藤静香がいいということでファンを続けることになる。熱心な工藤静香ファンではあった。
この年の工藤さんのコンサートは全部で10回。僕は1回を除いて全部行った。行かなかったのは、札幌。この年あたりから僕のツアー限定追っかけも失敗が目に付くようになっていった。工藤さんの移動スケジュールはパターン化していて、わかりやすかったのに段々移動も以前とは違うようになって来た。「硝子のサンクチュアリ」「例えば」「銀の爪」もありました。「おたより」もファンの間で人気ありました。「A.S.A.P」。僕も一時の屈折しまくり状態を脱し、工藤さんに対し怒るというようなことは減った。でも、一方で工藤さんとの心理的な距離の広がりも意識していた。ほとんどファンレターなんて書かなかったし、今になって考えることは多い。
Disc9
1998年春。9公演、僕は全部行った。回数も回数だし、このころになると全部行くファンも珍しくなかった。「Pop corn」なんて曲もあった。声が気になった。「doggie」工藤さんも犬が好き。バーボン、シーボー、モンロー。「ノスタルジア」。やっぱり今DVDを見ても当時の工藤さんのコンサートの面白さよみがえってくる。工藤さんの移動はやはりわかりにくい面が増え、この点は以前と違う。でもスケジュールを知っているファンもいるようだった。
秋田の大館に行ったのはこの年。いい感じの街でした。駅の食堂で食事した。仙台のあと大館。僕は仙台で一泊。工藤さんも仙台で一泊すると思ったんだが、後日他のファンの情報によると当日移動したらしい。
Disc10
僕が参加した最後の工藤さんのコンサート・ツアー。全部行った。同一年度10公演以上のツアーで全部行ったのは、1992年以来2回目。思い出します。これが僕が行った最後の工藤さんのコンサートツアーか。この年のコンサートは結構よかった。面白かった。ほんのちょっと前のような気もするけれど、もう8年前。工藤さんがまだ29歳。翌年30歳。次の年もツアーをやると思ったんだけれども。DVDで広島が出ているけれども、たしかこのあと新潟の弥彦、富山の朝日で終わったはず。僕が行った工藤さんの最後のコンサートは、富山の朝日サンリーナ。ステージから少し距離のある最前列。帰りは車で帰るファン、翌日飛行機で帰るファン、夜行の急行能登で帰るファンがいた。僕は急行能登で帰った。工藤さんは翌日飛行機。僕は上野に着くともう一人の男のファンと羽田に直行。工藤さんの出迎えをしようと思ったけれど、うまくいかなかった。最後だというのに。僕のファンとしての立場というか、そういうものを象徴しているようで寂しい気持ちになっていた。時々あるけどね。結局工藤さんはその後ずっとコンサートやらなかった。何年か前単発で工藤さんは、ZEPP東京でコンサートやっている。僕はそれを直前に知ったけれど、急な仕事の勤務変更は難しく、行けなかった。工藤さん関係のイベントも時々僕が全然知らないということもあった。だんだんと僕は工藤さんについていけなくあることを感じていた。周囲の嫌がらせもひどく警戒もしないといけなくなった。嫌がらせの実情がつかめず、気にしすぎになることもあっただろう。
1999年は、札幌、青森十和田、秋田湯沢、岩手花巻、仙台、静岡駿河小山、名古屋、三重鈴鹿、大阪、広島、福岡、東京と上の2箇所。あと一箇所思い出せない。神奈川綾瀬だったかな?埼玉戸田かな?綾瀬は1997年かな?当時はあまりきちんと記録もしていなかった。会報の一部や市販コンサートのビデオテレビ番組を録画したビデオ、ラジオを録音したカセットテープ、ポスター、購入した写真など処分してしまったものも多い。
2000年11月、工藤さんは結婚。2001年夏には僕は倉木麻衣さんのファンクラブに入会。また職場の内外での嫌がらせのひどさに苦しみ、僕に対する嫌がらせには工藤ファン時代のことが絡むこともあり、僕はファン活動に行き詰まる。工藤さんと倉木さんの二人のファンをやっていたけれど、徐々に僕の倉木熱が高まり、2003年10月の倉木さんのバースデーライブで、僕は倉木麻衣さんのファンだけをやる決心をする。2004年2月には工藤静香ファンクラブに退会届を出した。14年間の工藤ファン活動に幕を下ろした。
工藤静香さんには感謝しています。ありがとう。ずっと工藤静香さんおよびご家族の方のお幸せを祈っています。
こうしてみると結構工藤さんだけでもNHKホールって何度も行っていますね。「工藤さん関係のイベントも時々僕が全然知らないということもあった。」・・・と書きましたが、インストアイベントがあり、僕は直前まで知らなかったということもありました。急な仕事のやりくりは無理な場合が多い。行けなかった。他のファンの中には工藤さんのドラマ、映画の撮影現場に出没したファンもいるようですが、僕の場合そういう情報はまったく入ってきません。行ったことがない。テレビ、ラジオの出待ち、入り待ちも実質まったくやったことがない。他のファンとの交流もあるし、自然と情報は入ってくる部分もありますが、僕は、情報通とはいいがたかった。
ファンの中には情報や人脈という点で、非常に有利な立場でファンをやる人もいる。恵まれたファンもいる。その点でいうなら、僕は「一般のファン」と同じ。単にコンサートに行った回数が多いというだけで、僕は「有利な立場のファン」ではない。だからこそ僕は有利な立場のファンから見ると目の上か下かのたんこぶのような存在のだったのだろう。僕よりはるかに恵まれていると思われるファンが、僕に対する攻撃に加わっている。それは他のアーティストでも基本的には変わらないと思う。何とかしようと思ったこともあるけれど、逆効果だった。「流れ」に逆らったようなものか。
工藤静香さんは歌手と女優をやっていた。絵は趣味の延長だろうし、サーフィンは趣味そのもの。僕は工藤さんのドラマ、映画の仕事にはあまり好意的でなかった。歌に対する期待が大きく、もっと歌でがんばってほしいと思っていた。二束のわらじがいつもだめというわけでないけれど、僕はあえて倉木麻衣さんには歌でがんばってほしいと思う。
以前仕事をしていたとき、それも2000年以降だと思うけど、ファンクラブの会報に自分の職場と同じ町域に住むファンのメッセージが掲載されていた。全然知らないファン。僕はそういうのを見ると警戒する。気にしすぎだったかな。
僕はたくさんコンサートに行ったけれど、その間仕事はどうしていたかというと、ほぼいつもどおりに仕事をしていました。郵便局員(本務者)でした。ライブは本来の休日、有給休暇、宿明け勤務で行っていました。工藤さんは1990年まで3日連続コンサートというスケジュールがありましたが、1991年以降はありません。地方だと2日コンサート1日開きその次コンサートというパターンが多い。あいだの一日も休みになったときもありましたが、そうならないことも多く、その場合、2日地方でコンサート1日東京に戻って仕事、その次また地方へ行ってコンサートというようになる。仕事仕事ライブライブ仕事ライブ仕事仕事仕事ライブ仕事仕事仕事ライブライブ移動日ライブ仕事というような感じになる。東京と地方を行ったり来たり。交通費が大きく、コンサートにたくさん行くとものすごくお金がかかる。2005年以降の倉木さんのライブツアーは、僕は無職で行っている。送付されるチケットの受け取りの都合もあるのでずっと地方に行きっぱなしというわけにも行かないけれど、東京に戻らず地方から地方へという移動が増え、東京・地方の行ったり来たりは減る。工藤ファン時代は安いサウナカプセルホテルの利用が多かった。倉木ファンになって普通のホテルの利用が通例になったけれど、ツアーでの総経費は倉木ファンになってずっと安くなっている。東京・地方の行ったり来たりが減り、その分大きく交通費が減ったから。
いろんなことを書いていますが、僕は工藤静香さんのファンをやって本当によかったと思います。コンサートも楽しかった。工藤静香さんには心から感謝します。
木村拓哉&工藤静香の結婚について
木村拓哉という人は以前僕は大変印象が悪かった。詳しくないけれど、大嫌いだった。でも、工藤静香さんと結婚することで印象は改善。僕が工藤さんのファンをやっていたとき、「あんな○○キーみたいな女・・・」「鶏がらみたいな女」などといわれて悔しいこともありました。たしかにテレビ、グラビアで見ると印象の悪いときもある。どうしたら工藤静香の魅力を他に伝えられるか。難しいものでした。結婚の話を聞いて、「え~、木村拓哉って、工藤静香の魅力を理解できるのか」と思い、それまで印象の悪かった木村拓哉君の印象はよくなりました。といっても詳しいわけじゃないが。工藤さんの幸せを願う立場からすると、「いい人とめぐり合ってよかったね」と思いました。いつまでもお二人とご家族の幸せを祈ります。
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今日は朝10時半くらいからこのDVD観始めた。Disc7から。今、夜20時を回った。やっと1回観終わった。カットされている部分が気になるな。けど楽しみました。泣けてくるところもある。でも意気消沈か。結局僕の人生って・・・。わっはっは。
こちらもまだ、書きかけ段階とも言えますが、お疲れなので、一度ブログに公表します。加筆修正の可能性はありますが、内容的に大筋ではほぼ間違いありません。
加筆部分は青字。