11月6日から別府に行った。これは僕の母親の考え。母親は、大分県東国東郡安岐町朝来出身。朝来小学校から、朝来中学校、杵築高校を卒業。現在は千葉県在住。僕は母親が東京在住時代に東京で生まれた。その後健康面や家庭の事情があり、大分県の祖母の元で育つ。祖母は現在同じ安岐町の海岸に近い、叔母(母親の妹)夫婦の家に住む。
母親は祖母と以前から二人で別府に来ていた。祖母は足が悪く、出歩くのが不自由で、それほど喜んでいるわけではないけれど、母親は親孝行のつもりで、別府に連れてきていた。もう10数年になるようだ。費用は祖母が自分の年金から出すこともあった。数年前から、僕も加わり、3人で別府に行くようになった。今回の費用は母親が持つ。
叔母も性格がきつく、母親も性格がきつい。どちらも一緒にいると参ってしまう。祖母には他にも二人娘がいるが、やはり性格がきつい。母親とその妹たちはそろってきつい性格。僕は祖母が朝来に家に一人でいるとき、ときどき帰省していた。1年に1~2回。祖母がある年風邪で倒れ、ひとりで田舎の家には置いておけないということで、叔母が引き取り面倒を見ている。それからは僕は帰省のとき、叔母の家に行くようになった。
ただ、叔母の夫婦は今は仕事を退職しているが、田舎の田んぼ、畑、山などの作業をしていて、とにかく多忙で、僕などが行くことを快く思わないらしい。それはこちらもわかっているが、それだとなかなか祖母に会う機会がなくなる。母親は、祖母を別府に連れ出すことで、叔母に負担をかけずに祖母に会うことを考えたようだ。年によっては祖母のほうが千葉の母親の家に来ることもあるが、もう年齢が90歳を過ぎ、千葉に来させるのは難しいと思われる。
今回は別府に祖母を連れ出し、3人で出会うことになった。宿泊したのはホテル白鷺、別府の北浜にある。晴海荘やホテル美松など近隣のホテルに以前は宿泊していたけれども、そちらもよいホテル。晴海荘やホテル美松だとすぐ前に海が見えて景色がすごくよい。左に国東半島、右に高崎山から大分市街が見渡せる。別府港から、さんふらわあという客船が出る。今年もそのあたりのホテルかと思ったが、今年はホテル白鷺だった。少し海が離れ、一部の部屋しか海が見えない。母親は祖母の足の悪さを考え、バリアフリーにこだわったようだが、どうやら他の人から、ホテル白鷺も安くていいという話を聞かされ、それで決めたようだ。
値段は僕は知らないが、入り口の階段などを見るとやはり足の悪い人には不便。別府のホテルも徐々にバリアフリーに変わりつつあるという話を聞かされたが、このあたりのホテルは、以前と変わっていなければ、入り口や温泉に行くところなどどこかでやはり階段を数段上がらねばならず、その点はどこでもあまり変わらない印象。食事はすごく豪華な食事で、とても美味しかった。
母親は1日前に叔母の家に来て、当日6日に祖母を連れてここのホテルへ。僕は6日の直接東京からホテルに直行。新幹線の利用で、小倉駅で「鶴の子」饅頭を買う。これは祖母の大好物。土産にする。別府駅からは徒歩、キリスト教の人や公明党の人が募金を集めていた。募金の日だったのだろうか。ホテルに着き、祖母と久しぶりに会う。元気そうで何よりだが、やはり足の具合は悪そう。
ホテルの温泉は、3階が男湯、4階が女湯だけれども、深夜12時で入れ替わる。僕はだいたい1日2回くらい入浴。僕は無職で先々、再就職する。祖母もいろいろ心配しているようで別府にいる間何度も説明をした。母親は相変わらず、自分本位で、自己中心的で性格が悪い。僕は母親とは仲が悪い。たとえば食事にしても自分より早ければ、早食いはよくないといい、自分より遅いとそれはそれで悪く言う。自分がテレビを見たいとき、祖母がおしゃべりするとうるさがるが、祖母がテレビを見たがるときは、お構いなく母親は平気でおしゃべりをする。他人と他人の間に祖母が入ると話がおかしくなるが、母親はさらにひどい。でも母親は、祖母のことはとやかく言うが、自分のことは気にならないらしい。まるで「おばたりあん」そのまんま。
翌日は祖母を車椅子に乗せ、母親と僕の3人で別府の観光港まで歩く。さんふらわあが入港している。しばらくの間潮風にあたる。帰りに別府の交通センターでみやげ物を見たあと、食事。たこ丼を食べる。ホテルに戻る。
3日目の8日。また母親と、僕、車椅子の祖母の3人で外出。楠銀天街を歩く。松原公園で一休み。その後別府駅に行く。駅のところが以前と変わっていたので見て歩く。駅で長い椅子に座っていると、小さな子供がじろじろ見に来る。おそらく親の指図だろう。凶悪な子供である。NHKの連続ドラマの関係のグッズも置いてある。駅から戻る途中郵便局により、そのあとトキハデパートの上のほうの階にある飲食店で食事をする。ざる蕎麦。ホテルに戻る。
4日目の9日は、タクシーで竜巻地獄に行く。ここも久しぶり。間欠泉で熱湯が吹き上がる。次に血の池地獄へ行く。鉄さびのような濁った赤い熱湯の地獄。そこからタクシーで海地獄へ。青い海のような熱湯の地獄。温泉玉子が有名。外のレストランで食事。ちゃんぽんを食べる。タクシーでホテルに戻る。さすがにタクシーの運転手は地元のことに詳しい。
5日目の10日は、祖母は出歩くのを嫌がる。母親がトキハで昼の食事を買い、祖母と母親の二人で食べる。僕は外に出て、別府駅まで歩く。駅前のビルの3階の店で、ダンゴ汁を食べる。そこから別府駅の横を通り、朝見川の横を通り、
浜脇へ行く。数年前とは様子が違う。壊れかけていた家があったけどなくなっていた。そこから海岸沿いに歩きホテルに戻る。ホテルではやはり母親は、独善的で、勝手なことばかり言う。祖母は年齢のせいか物忘れがひどく、同じことを繰り返していい、また母親は怒る。僕と母親も考えが会わないし、母親はきつい性格なのでたびたび衝突。正直なところ母親と一緒の行動にはうんざりする。
6日目の11日、この日は雨で、母親と祖母は前日と同じ行動。僕は帰る準備で荷物を自宅に2個送る。その後食事のため駅の前の通りを歩くが、雨がひどく、トキハの地下で食事。うどん定食とたこ焼き。雨がやはりひどく早めにホテルに戻る。その後もかなり雨が強く降る。
7日目の12日、この日で別府を去る。別府市内に住むいとこが祖母と母親を安岐町の叔母の家に連れて行く。母親はその後飛行機で羽田経由で千葉県松戸市の家に戻る。僕は別れた後、別府駅まで行き、また北浜まで戻る。小泉首相が別府に来ることや泉都のイベントがあるらしい。トキハ前でも催しが行われていた。僕はイベントを見たい気がしたが、とりあえずこれまでの部分とは、気分的に分けたいという考えがあり、別府を出て、大分にバスで向かいました。
別府にいる間、多少つきまといらしきものがありましたが、何でしょうか。祖母に久しぶりにあえてうれしく思いました。元気でいてほしいと思います。ただ、母親の性格は相変わらずで、今までの多くのこともあり、正直なところ親子関係を継続させるのは無理だろうと思いました。母親の性格は全然変わりません。
この話は、日々Mai-k、LOVE!ーNo25「別府・大分行き、後半」に続きます。