かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.7島根芸術文化センター

2006-11-06 04:26:00 | 2007年までのライブの思い出

10月6日朝ホテルで朝食、チェック・アウトし、博多駅へ。益田までどう行くか。普通電車でいこうと考える。時間に余裕もある。山陰本線経由は依然逆方向だけれども一度載ったことがある。山口線は乗ったことがない。そこで山口線経由で行くことにした。時刻表を確認すると普通電車を乗り継ぐと午後4時近くに益田駅に着きそうだ。

博多駅のホームで立ち食いのラーメンを食べる。とんこつ。おいしい。僕は結構とんこつラーメンは好きですが、他のラーメンよりとんこつはお店のラーメンの味に差が大きいという印象。まずいところはすごくまずい。門司港行きの普通電車に乗る。途中北九州近くになって高校生の集団。からかわれているのか。このあたりの高校生は全国でも有数といってもいいほど電車内の高校生の態度の悪いところ。特に福岡東部地区。毎度毎度のこと。能無しで意地の悪い高校生ども。

門司で降り、下関行きに乗る。僕の周囲では時々話題にされていた下関である。僕自身ここに来るのは小学校5年生の社会科見学以来である。電車で通ったことは何度もあるが立ち寄らない都市である。今回もホームから街の様子を見ていただけである。31年ぶりに下関の駅周辺を見る。前回のときの様子なんてほとんど覚えていない。ただその小学校5年生のとき、雨が降っていたこと、下関の駅構内に水槽があり魚が泳いでいたこと、サンデンという地元のバス会社があり、バスのデザインがけばけばしく派手だったこと、そんなことは覚えている。関門人道トンネルを通ったり、門司港と下関の間のフェリーにも乗った。

今回見てもバスは見えなかった。トラックの運転手とばったり会う。一緒に益田まで行くことにした。新山口駅まで行く。そこで乗り換えて2時間半。山口線の沿線の景色は意外に山あり、川あり、りんご園あり、変化に富み面白い景色。田舎暮らしなどしたい人にも良いところかもしれない。ただこの路線は電車の本数が少ない。益田を基準にすると普通電車で新山口まで2時間半。バスで広島まで3時間である。特急電車があるとはいえ本数は少なく、やはりバスのほうが便利が良い。

僕は当初益田のあとは周南だけれども宿泊は広島にしようかと考えていた。そのほうが益田からいきやすく、また翌日新幹線で東京に戻るのも都合がよさそうだと思ったからだ。でも荷物が多くなりそうで、周南のライブ当日に思い荷物を持ってうろうろするのもいやなので、結局周南(徳山)に一泊することにした。途中津和野を通る。内田康夫氏の津和野殺人事件を思い出し、赤い稲荷の鳥居を電車の窓から探すが見つからない。津和野は文学向きの土地柄なのか。益田に着く。駅前の大阪王将で食事をしてチェック・イン。

ホテルグリーンモーリス。地方のホテルでは比較的安く設備もよい。なかに入ると見たことのある連中を見かける。トラックの運転手に寄ればスタッフだということ。スタッフだったのか。ファンと見分けができない。一休みし、外で食事。また大阪王将へ。他にもファンらしき人を見かける。前日から来ているファンもいるらしい。僕は「もう来ているんですか」などと声をかけられたこともあるけれども他のファンも同じだと思う。

朝は新聞が入れられていたので、読む。山陰のローカル新聞。こういう地方の新聞をたまに読むのも楽しい。朝食はバイキング。まずまず。少しおなかの具合が悪い。昼食時を除き、ホテルの部屋に滞在。ここの益田というと以前益田競馬場があり、日本で当時一番小さい競馬場だった。2番目が大分県の中津競馬場だった。益田競馬というと廃止後、沖野、御訓本、岡田騎手らが南関東に移籍し活躍。かつては女性ジョッキーの吉岡牧子さんが活躍したことでも有名なところ。

夕方5時を回り、会場に行く。途中にはコンビニもある。会場は地方の会場にしては大変立派な会場。まだ新しく、館内を見学してみたくなるほど。僕は会場に到着したのが遅いので見学はせず、サンドイッチと、ちらし寿司を買って食べる。ちらし寿司がなかなか良い。1階19列48番。ライブはまずまず良い。倉木さんは雪舟のゆかりのお寺にいったようです。

ライブが終わり、僕はすぐ帰る。また大阪王将で食事。4回目。なかなか好感度の高い街です。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.5福岡サンパレス

2006-11-06 04:24:00 | 2007年までのライブの思い出

新幹線で福岡に着く。グリーン車で来たのだが、隣の乗客はたくさんの新聞を持ち、とっかえひっかえ次々と新聞を読んでいた。その次はモバイル。わざと僕の隣の席に座っただろう。僕の隣の席がどこかについて誰から情報を得ているのか。JRT海あたりが情報を流しているのか。JRT海が僕に嫌がらせして何のメリットがあるんだろう。恨まれ、強い殺意を抱かれるだけだが。JRT海の社員も死にたいのか。グリーン車に座ってもこの状態じゃね。高いお金を払ってもちっともサービスが良くない。隣の客も隣の客だ。なんだお前は。手当たり次第にたくさんの新聞を読み、モバイル。僕以外のところでやれ。許す必要はないだろう。10月4日ののぞみ19号だ。

博多駅着。僕は福岡出身ではないが、しばしば福岡出身呼ばわりされる。かなりしつこい。最近は以前ほどには福岡には来ていない。駅前のビジネスホテルハカタに宿泊。今年はライブの前日の会場入りすることが多いが、これは早いことにこだわっているわけではない。無職でもあり、ゆとりを持って移動しようとしているだけである。スケジュール上若干の例外もある。ここのホテルはやや古く冷蔵庫などないが立地条件はよい。便利。

夕方博多駅の飲食店街に行き、鯛麺と鯛むすのセットを注文。なかなかおいしい。駅の構内で地鶏の焼いたものやパンも購入。ホテルに戻り、ホテル内の居酒屋でチューハイを3杯飲む。魚のあらだきがおいしい。朝はホテルの朝食。

10月5日、今日はライブの前にキャナルシティで握手会が行われる。僕は午前9時20分前ころホテルを出て、キャナルシティまで歩いていく。ここはわかりやすい。HMVの側に行くとすでに多数のファンが並んでいる。前のほうには常連組みが多数。先着200名ということで、僕は200名までに入るのは難しいのではないかと考えていた。一応様子を見ようと思っていたが、9時40分くらいの時点でざっと大雑把に並んでいる人を数えたら130~140人くらいじゃないかと思った。これなら並べば200までに入るかしら。一応並んでいた。僕の後ろにも長い列。

結局200人までに入りました。整理番号は82番でした。ただ、整理番号は順番とは関係ないようでした。僕の前に並んだ人の番号が僕より大きい数字ということもあったようです。そのあとはキャナルシティ北側のアーケード街に行き、奈多利だったか。そういう店。2Fの店でミートマッシュルームのスパゲティとソーダフロートで食事。キャナルシティに戻り、B1のサンプラザステージに行く。かなりのお客さんが来ていた。

以前名古屋でファンが握手を求めていた髭の男性、男前で偉い人なのかもしれないけれども僕は知らない人が司会役。chance for you.を合唱。サインと握手会。感激していた人も多数。やっぱりうれしいだろうね。僕の番。司会役の人に名前を聞かれ、答える。マイクだったのでその辺にいた人全部に名前を聞かれてしまった。憧れの麻衣さんと握手。ちゃんと手を洗ったし、爪も切っていましたよ。麻衣さんご安心を。200名の握手&サイン会もはやばやと終わり、僕はキャナルシティを去りました。

僕はまずキャナルシティに行くときは道を間違わないが、帰りは時々道を間違う。この日も南のほうにいってしまい、住吉神社の西側を通り、東に行く。かなり遠回り。駅の飲食店でカツカレーを食べる。この店ももう3~4回来ている。ホテルの部屋に戻る。しばらく一休みし、5時半ころライブに向かう。小雨が降り始める。サンパレスまで近いようで結構歩くと距離がある。もう何度も歩いたところ。

サンプラスに着く。もう入場整理は始まっている。入場。久しぶりの会場。昨年も来たが。僕の席は1階18列。倉木さんは博多めんたいや屋台のとんこつラーメンの話をしている。僕はそういえば前日「鯛麺」を食べたが、これは対面とかけた駄洒落ではない。たまたま偶然。実際前日の時点ではまだ握手会やサイン会に参加できるか、はっきりしていないし、僕はたぶんそんなに早くは並ばないので、参加できないだろうと思っていた。倉木さんはめんたい。倉木さんはめんたいは食べたのかしら。

ライブは最初のりが悪そうで福岡なのに意外な気がしていましたが、途中から盛り上がりました。倉木さんはこの日ミニスカートをはいていました。あまり短くなくて安心。ライブが終了、僕は少し足が痛くなっていました。歩いて帰り、途中のやよい軒で秋刀魚定食を食べる。秋は秋刀魚か。そういえば秋は星座があまりにぎやかでなく夜空はさびしい。倉木さんはやはり星を見ているそうです。支えてあげたい。

ホテルに戻り部屋で休みました。


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倉木麻衣情報11・05

2006-11-05 13:28:00 | テレビ番組

倉木麻衣ファンクラブサイト及びオフィシャルサイトからの情報です。

まず、12月20日(水)にリリースされる新曲「白い雪」が、読売テレビ・日本テレビ系アニメ「名探偵コナン」の エンディングテーマとして12月4日(月)よりオンエアされることが決定したそうです。

タイアップ: 読売テレビ・日本テレビ系全国ネット
月曜夜7時30分放送アニメ「名探偵コナン」エンディングテーマ

僕はこのアニメは劇場版しか知らないけれども倉木さんの新曲が合うのかしら。いいかもしれない気もする。楽しみです。

倉木さんはどこに住んでいるのだろう。雪が降るところに住んでいるのかしら。京都あたりだったら東京よりは降りそうな気もするけど。実際どこに住んでいるのかな。雪が降るとキャスパーさんは喜んで庭駈け回るかも知れないけど、倉木さんは滑って転んだりしないように、風邪ひかないように気をつけてほしい。

次に、昨年のツアーファイナルとなった日本武道館でのライブを中心とした特別番組の再放送が決定したそうです。

スーパーライブ 倉木麻衣 NHK衛星ハイビジョン 11月10日(金) 午後9:00~午後10:30

僕はステージの倉木さんから見て真正面より少し横のアリーナでない、1階席でした。これもファンクラブのチケットだった。観やすかったけれど、少し窮屈な感じの席だった。昨年のライブまた観たいね。でも僕は録画とDVDと両方持っているような気がする。しまってある。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.1糸魚川市民会館

2006-11-05 10:24:00 | 2007年までのライブの思い出

糸魚川の駅に着く。ここも初めての都市。今回の北陸3都市はすべて初めての都市。駅にはレギュラーファンがもうたくさんいる。頭に人形の女性もいる。僕は夜行の能登の急行券を買い、夜食のパンやお菓子を買い、荷物を整理し、小さなバッグ以外はコインロッカーに預ける。駅の店で柿チョコを買う。以前倉木さんがライブのDVDに登場して柿チョコを前ににっこりしていた。かわいらしかった倉木さん。今ではまた一段と美しくなっている。

ここはヒスイで有名なところらしい。観光でもまた来たいと思う。駅近くのラーメン屋でラーメンを食べる。辛いラーメン。レギュラーメンバーは会場に行ったらしい。でも数人まだ駅近くをちらほら。僕も駅で時間をつぶす。駅前のあかねという店に入る。ホットケーキとアイスコーヒー。このあたりの店員の対応は別におかしくない。飲食店の店員の対応の差は何が原因か。よくわからない。また外に出る。今日は早めに糸魚川に来ている。ベンチに座ったりしながらずっと時間をつぶす。雨が降り始める。しとしとと気持ちのよい静かな雨だけれどもライブの前は居場所を確保するのに苦労する。

会場に行く。会場も雨に降られない部分は少し。僕は傘を持っていたので濡れたベンチで傘をさしながら座っていた。横須賀で話をしてきた女性が話しかけてきた。声がかれている。がんばって応援しているのだろう。やっと入場。雨がしのげるところで待てるといい。そういう会場もあるが、そうでないところもある。今日の席は1階30列の1番だったが、スタッフに代わるように言われ、22列の5番にまわる。ライブは今日は東京や大阪など大都市圏からレギュラーメンバーが多く来ているのか、それらしい盛り上がりだけれども、なんとなくいつもと違う、不自然さもあった気がする。

ライブが終わると僕は例によって駅にとっとと行く。2時間半くらいの待ち時間。雨がずっと降っている。駅前にはタクシーが何台も停まっている。暇そうだなと思っていると列車が到着するとやはり乗客は軒並みタクシーで行ってしまう。10時45分から11時ころ立て続けにファンがやってくる。出待ちをやっていたファン。トラックの運転手やウェーブの人もいる。話しかけてきた人が二人。一人は車で去る。もう一人は長岡の人だそうだ。でも急行能登には乗らず翌朝の電車だそうだ。急行券だってそう高くはない、上野までだった1260円くらいだし、長岡ならずっと安いだろうが、事情がわからない。

その人は情報がいろいろあり詳しい様子。でも僕はその話を聴いていてがっかりすることも多い。とても他のファンと一緒の行動は取れない。ネットカフェについて聞いてきた。この近くにないかと。僕は糸魚川なんて初めてだし知らない。いまだかってネットカフェなんて一度も利用したことはないが、そういう人間に見られているのか。僕は他のファンとは仲良くしたくない。印象が悪い。ヒッチハイクの話まで出てくる。そこまでそるならクレサラで借金でもすればいいじゃないか。返せないのなら勧めないが。僕は20代のころある歌手のコンサートに行っていた。今より飲食費もはるかに高かったし、競馬もやっていた。極貧だった。でも手元には現金もあったし、他人にお金を貸すこともあった。当然クレサラに借金があったからだ。

多額の借金を抱えていたと言うと貧乏でお金がなかったのだろうと決め付けるのが日本人。僕は貧乏だったからある面けちけちしていた部分もあるが、お金がなくなればまたカードで借金すれば手元にはお金がある。だからそれほど現金に困っていたわけではなかった。貧乏ではあったが借りた金が手元にあったのでそれほど見た目は貧乏ではなかった。その後クレサラの返済は終わる。ライブに行く費用は減る。飲食費も昔ほど飲まないので低下。競馬もやることは少なくなった。出費が大幅低下。とんとん拍子に経済状態は良化。2000年を越えたあたりからは貧乏生活とはおさらば。でも仕事やめたから、この2年貯金は減り続けている。いい加減今年のツアー後は再就職するつもりである。

そのファンはホームページの書き込みについて言ってくる。僕は他のファンのホームページは見ません。もう2年半以上見ていません。麻衣コミュニケーション未登録です。この点は僕のブログに書いてあるがこの人はみていないようだ。僕のブログを見ていないファンの人を見ると少し安心してしまう。見てもらいたい部分もあるが、他のファンとは合わない部分は合わない。

23時59分急行能登号に乗って帰りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.30射水市新湊中央文化会館

2006-11-05 06:23:00 | 2007年までのライブの思い出

輪島を29日に出て、津幡で乗換え。駅員は親切。高岡で降り、路面電車の万葉線に乗る。この電車でもわざとらしいやつ。弓矢を持っていた婆はなんだろう。鴨でも射ちに行くのか。新町口というところで降りる。携帯サイトの地図を頼りに歩いてホテルに行くが、なかなか見つからない。ゆったりとした街並み。しばらくうろうろしやっとホテルを見つける。第一イン新湊。

チェック・インのあとゆっくりしていた。なかなかよいホテルでした。新町口からこのホテルまで飲食店を全然見かけなかった。どこにあるのかよくわからない。携帯サイトの地図でもコンビニは近くになさそう。夕食はホテルの中でする。6階のレストラン。値段は高いが気にせず注文。夜景を見ながら食事。なかなかおいしい。朝は1階で洋食の朝食。和食が多いのでホテルでは洋食にすることが多いが、別に和食でもいい。ここでは洋食。

10時過ぎに外出。昨夜夜景を見ているとき近くに明かりが見えたのでそこに行ってみると書店だった。その周辺を歩き回る。地理に不安がありあまり歩き回ると迷いそう。新鮮市場というスーパーがある。このスーパーは僕の育った大分県の国東市安岐町にもあるが、以前四国に行ったとき宇多津というところにもあった。ここ新湊にもある。かなり広範囲にあるようだ。お弁当とお惣菜を買い、どこかで食事をしようと歩いていたら公園があったのでそこで食事。ここはホテルからも近い。すぐ近くにホテルがある。

食事をする。周囲は民家に囲まれたところ。近くに田んぼがある。電柱の上に大きな鳥がいる。ピーヒョロロロ。と鳴いている。大きな鳥でなんという名前か知らない。かなり長くいたけれども飛び去っていった。それとは別に頭に赤い部分がある鳥が、稲刈りのあとの田んぼでなにやらしきりについばんでいる。これも大きな鳥。この鳥はずっとついばみ続けていた。街中住宅地の一角の小さな田んぼにこういう鳥がいる。

スーパーの客にはわざとらしいやつもいた。公園の横を自転車で通る男もわざとらしい。どういう連中だろうか。嫌がらせ、からかいが好きなのだろう。意地が悪い性格の人間たち。鳥たちは泣いていたのかもよ。

午後3時半くらいに飲み物を買ってホテルに戻る。しばらく休み、会場の射水市新湊中央文化会館に行く。ホテルからは近い。着くとすぐ入場が始まる。今日の席は1階ぬ列12番。ライブは結構楽しいもの。倉木さんは海王丸に行ったようです。倉木さんが楽しんでくれているのがうれしい。鱒寿司も食べたようです。倉木さんの大好物。ライブが終わると僕はいつものようにさっさとホテルに向かいました。

帰る途中交通事故がありました。車が2台激しくぶつかり、女性がうろたえているようでした。僕も途中まで見ていたけれども、だんだん近所の人が集まってきて、僕は車の免許もないし、こういう事故はうまく対応ができない。ただ見ているだけだと野次馬。他の人の中にはうまく対応できる人もいるだろう。任せる気持ちでその場を去りました。僕は今車の免許がないけれど先々免許をとりたいと思う。事故というものは自分が考えている以上の怖さがある。でも、将来的な居住を考えると地方に住む場合車がないと生活が不便すぎることもある。事故はその後どうなっただろう。事後も大変そう。

ホテルに戻ると6階レストランで食事。うな重。2段。2段というのはうなぎとご飯が2段になっているもの。初めて食べた。この店うな重がメニューの中で一番安い。他のメニューはもっと高いものが多い。翌朝チェック・アウト。歩いて新町口へ行く。途中で犬に吠えられる。手を振ったらおとなしくなる。危うくからすにふんをかけられるところ。危ないところ。昨日の事故のところを通る。何事もなかったよう。会場の前を通る。ひっそりとしている。確実に時は流れていく。住宅地だけれども商業地的なにぎやかなところではない。ゆっくりと歩き、新町口から万葉線に乗る。新聞を読むお年寄り。

高岡駅に着く。立ち食いのそばを食べる。ここは能登よりつゆが濃いが、少し油が多め。味はよい。時間を見て直江津行きの普通電車に乗る。途中親不知の海岸を見ながら糸魚川に向かった。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.28輪島市文化会館

2006-11-05 04:21:00 | 2007年までのライブの思い出

石川県の能登地方。全く行ったことのないところ。僕は車の免許を持たないし、運転しない。能登地方も穴水から先は鉄道がない。今回は能登地方に行くが、今後能登地方に行くことがあるかどうか。観光をかねて前日に輪島入りすることにしました。26日夜上野駅に向かう。僕が金沢方面に行くときは、だいたい急行の能登号を利用することが多い。便利な電車である。

上野駅で切符を買い、途中で食べる予定の食べ物を買い込む。周遊券で行くことにしていたが、僕は周遊券を勘違いしていた。ゾーンまでの往復に急行券は別に買う必要がないと思っていたが、必要らしい。みどりの窓口では売ってくれなかったが、上野駅の場合改札を入っても別に改札があり、そこでチェックもされる。急行券を買わないといけない。みどりの窓口で最初から売ってくれればいいのに。JRの社員の対応も郵政や悪徳政治家の情報に惑わされ自分で判断できないのだろうか。自分で判断してもだめなのか。愚劣な対応を今後も続ければ。つき合わさせるこちらもそのつもりでいるから。

切符を買うときも携帯電話を利用した嫌がらせが続く。しつこい。郵政関係者だろうか。屑野郎。新潟まで新幹線で急行きたぐに何ぞ言っている。それもひとつの行き方か。でも僕はそのルートは一度も利用したことはない。急行能登の中では嫌がらせは少ないけれども若干不審な若者。やはり携帯電話・メールが問題のように思う。津幡で降りる。ここから七尾行きに乗る。途中でトイレに行きたくなり、時間にも余裕があるので羽咋で降りる。ラグビーなどで羽咋工という学校を聞いたような気もするが、駅前はそれほどにぎやかな印象はなし。七尾というと僕の大学時代の1年先輩で船本さんが出身。初めて七尾に来ました。といってもすぐ穴水行きに乗りましたが。

変な向きに座るお年寄りを複数見かけるが足、特にひざが悪そう。穴水着。ここも駅前などにぎやかな様子はない。こちらも車社会か。お年寄りと学生がバス・電車の利用を減らすとこのあたりはますます寂れそう。輪島行きのバスの乗る。途中は山間部。険しい様子ではないが、やはり人家も少なくさびしいところ。輪島着。少し見てまわることにした。

街をうろうろする。有名な朝市を見る。なま物が多いから、買えない。あるお店で親切に買えばすぐ食べられるようにボイルして送ってあげるといってくれたが、僕はこのあと射水、糸魚川、一度東京に戻り、そのあと福岡、益田、周南、また東京に戻り、山形、湯沢、七飯、札幌、仙台をまわって東京。大阪に行って戻ってファイナルの埼玉。ファイナルまでほとんど自宅にいない。せっかくのご厚意でしたがお断りしました。でっかい蟹でした。

Fというところで食事。お店もテレビも安倍政権成立の話で持ちきりのようでした。安倍首相は岸元首相の孫だそうだ。祖父母というのは父方母方双方にある。片方が話題になるのに・・・。という話があった。僕の場合、よく祖父母の話をするときだいたい母方の祖父母である。父方については僕はほとんど言わない。言っても極悪人どもは僕のことをうそばかりつく、反対のことばかり言うと決め付けるだけだ。僕はただ強く殺意を抱くだけである。許すことなんてできるわけがない。お前たちがどれほどうちの家庭の事情を知っているのか。知りもしないでうそつき呼ばわりしやがって。死んで謝れ。馬鹿やろう。

僕の父方、といっても実父方については僕もよく知らない。そういう家庭に育ってきたのだ。まあ信じはしないだろう。殺意を抱くのみ。しかし一個人の問題に対し、これほど多くの組織、個人が執拗に他人をうそつき呼ばわりすることの対し躍起になるとは。こんなことは今まで日本では一般的だったのか。ばかばかしいことだ。しかも真実、事実を無視し、あくどいやつが喜ぶ結果にしかならない。それで喜ぶやつにまともな人間がいるはずがない。しっかりした問題解決を誰もやらないのだから、組織側、多数派、権力側の罪は大きい。

このFという店印象の悪い店。でも輪島は飲食店がすごく少ない。朝市で有名なところだし、海の幸山の幸のあふれるところ。飲食店が少ないというのは、自宅で食事、自宅であるいはお弁当を作って食べる人が多いということなのかな。それは地元の文化としてはとてもよいことか。逆にこういうところでよくある外食産業が繁盛すると海の幸や山の幸の印象が低下しかねない。

ホテルにチェック・イン。ホテルルートイン輪島。なかなかよいホテル。海にも近い。夕方は館内のレストランを利用。おいしくてなかなかよい。何種類も飲み食い。そばはつゆは西日本ふう。僕は西日本ふうのつゆが好きなのでうれしい。お店の人は遅くなりましてすいませんなどとしつこく言うが別に遅くはない。意地悪なのだろう。朝はバイキング。まずまずよいバイキング。昼前に一度外出。ホテル近くの海側にコンテナのお店が出ている。いすにふんぞり返った爺の態度が印象悪い。お客は他にいない。コーヒーなどと書いている店、海産物を売る店、コンセプト、カラーがはっきりせず、ぱっとしない印象の店。これなら朝市のほうがずっといい。

海側に広いスペースがある。ベンチの座ってゆっくりしていた。中国人らしき連中を見る。輪島は中国人に有名な観光スポットなのか。でも時々僕は中国人にも付きまとわれる。それなら愚劣日本人の真似をするマヌケ中国人ということか。海といってもそれほど特徴的ではなく、それより靄のかかったそれほど高くない標高の山々のほうが魅力がある。雨が降り出した。昼過ぎ、コンテナには人がいない。もう営業はやめたのか。馬鹿みたい。ホテルに戻り傘を持ちまた外出。ホテルには若い男が数人。倉木ファンか。傘を持って立ち去る。

駅近くの翁という店でピラフを食べる。駅のGカレーに行く。メジャーカレーを食べる。店員はとても恭しいがところどころ意地悪な感じがあって印象が悪い。シアトルの話をする客。わざとならなおさら印象が悪い。時間近くまでわざと会場には行かない予定だったが、通りかかってしまう。時間をつぶす。時間ぎりぎりに会場へ。この時期もう10月が近い。僕はTシャツ1枚でうろついていたが、雨も降り少し肌寒く感じる。

会場に着く。びっくりした。僕は自分お席がてっきり1階26列目だと思い込んでいたが、なんと1列目26番。ど真ん中。びっくり。予想していなかった。チケットを再確認したらやはり1列目26番。心の準備ができていない。どうしよう。ブログにも間違ったことを書いてしまった。倉木さんは信じてくれないかな。ライブがはじまりました。どきどきです。かわいい麻衣さん。いつもは後ろの席でもいいけれどたまにこういう席があるとうれしい。でも倉木さんが素敵でした。

ライブは楽しかった。倉木さんは輪島塗りの会館に行ったようです。ライブが終わり、外へ。また馬鹿丸出しファンが、地元のファンが大半だなどとぬかす。僕は他のファンが嫌いさ。アンケートを書くファンが多い。外ではGカレーの店に客が多い。なんとなく三宮と同じような印象を持ったが、ここは飲食店が少ないから仕方ないだろう。コンビ二も近くにあった。僕はホテルに戻り食事。ここのホテルのレストランは比較的遅くまで営業している。夜中に飲み物を買いに1階のロビーに行くと若者が数人。遠征組みか。

朝バイキング。チェック・アウト後朝市のところへ行き、少し買い物。駅まで歩く。駅からバスで穴水駅へ。おばあさんが輪島駅を出た直後この辺は以前はたんぼだったなどという。僕は昔の輪島なんか知らない。はじめてきたから。誰かに入れ知恵でもされたか。以前北海道の稚内に行ったとき地元のおばあさんの集団が土地の自然の厳しさを感じさせないほど、にこやかで印象的だったことがあるが、ここの能登のお年よりは表情が硬く厳しい。よそ者に対し警戒心が強いのか。そういう土地柄なのか、それとも誰かつまらぬいれ知恵をしているのか。

穴水駅の待合室はお年寄りのコミュニティー化していた。硬い表情ながら談笑するお年寄りたち。穴水から七尾へ。ちょっと時間があり、駅の売店で買い物。七尾から金沢行きの普通電車に乗る。全国地方に行くと地元の高校生中学生の電車内での態度の悪さが目につくときもあるが、ここら辺の高校生はもちろんちょっとしか見ていないけれども態度はそれほど悪くない。この辺も土地柄ということなのか。

わざとらしく新聞を読む男と子供。何の意味があるんだろう。僕の前で新聞を読むと何かあるのか。僕がいないところでやってね。他に人のいないところでやるのは全く問題なし。金髪の男もいる。わざとか。世の中には1、他人を外見だけで判断するのはよくないという立場と、2、心の乱れは服装の乱れ、身だしなみにきちんとしろ、という立場がある。この二つは必ずしも対立するものとは限らないのだが、実際には悪用されることもある。1と2両方主張して好意的に見られる人もいれば、逆に1と2両方主張して猛反発を受ける人もいる。

あるとき創○学会の人間が、「私たちは他人を外見だけで判断しない」と主張していた。金髪の若者にもいい人がいるなどと主張していた。それで僕は内心それなら創○学会員はみんな金髪にすればいいじゃないか、と言っていたものだが、変なふうに情報が流れているのか。この金髪の中年男僕と無関係なら取るに足りないが、関係あるなら、盗聴など悪質な人権侵害に加担している容疑が濃厚である。皆さんも注意してください。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.24よこすか芸術劇場

2006-11-05 01:55:00 | 2007年までのライブの思い出

24日よこすか芸術劇場に行く。ここの会場では以前倉木麻衣さんがイベントをやったはず、でも僕は行っていない。この会場は僕は初めて。京急で行く。JRで品川まで行ったら、寝過ごして大崎まで行ってしまう。僕は電車の寝過ごしなんて少ないのだが、珍しく乗りすごす。京急の快特で金沢文庫まで行き、汐入に止まる電車に乗るはずが、新逗子行きに乗ってしまう。終点まで気がつかず、折り返しに乗る。金沢八景まで戻り、階段を降りとなりのホームへ。そこへまた電車が来たのでこれだろうと思い乗ったら次が六浦。また同じ間違いをしてしまったらしい。六浦で降り、折り返す。やっと次の電車で汐入到着。

改札を出るとたこ焼き屋がある。まだ少し時間がかかりそうなので、そのまま会場へ。ファンも多数詰め掛けている。汐入というところはじめてきたけれど結構にぎやかな街のようです。この会場は5階まである。僕の席は4階の4CB列。今回のライブでは最も高くて遠い席。たまにはこういう席もいい。ライブはまずまずよかった。倉木さんはドラカレーを食べたようです。僕に対する麻衣さんの印象はよくないかもしれないけれども、麻衣さんが大好きなのでずっと応援しているよ。

ライブが終わると外にでる。掃き溜めに鶴の女性コンビに話しかけられる。会場を去り、駅に向かう途中たこ焼きを買う。電車に乗り、品川に向かう。駅でたこ焼きを食べ、食事をして家に帰りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.22三島市文化会館

2006-11-04 08:54:00 | 2007年までのライブの思い出

松山のライブのあと久万高原に行き、JR松山駅に戻る。JR松山駅でサンドイッチやおにぎりを買い込み電車に乗る。特急で岡山へ。そこから新幹線で新大阪。三島までの3泊は大阪で過ごすことにした。他の場所でもよかったが、比較的他の場所より地理的にわかる。食べ歩きもしようと思った。ホテルはニューオーサカホテル。

最初から大阪による予定ではなかったため、どこに行こうか迷った。20日は京都の伏見区の舞台町に行くことにした。たまたま地図を見ていて偶然見つけたところ。京都までJR、そこから近鉄で丹波橋駅へ。携帯サイトの地図を頼りに歩くがなかなかわからない。にぎやかな街というわけではないが、人家は多く、通りも人通りが多い。途中川を渡るが、水量が豊富。水遊びには危険なほど。もう少し流れがゆるいと船で遊べる気がするけど、やはり危険か。散々うろうろする。競輪選手の格好をした人も見かける。時々こういう人を見かけるが、どういうつもりだろう。僕は競輪はやらない。競艇、オートもやらない。

安い自販機もある。関東では見かけないメーカーの飲料。やっとたどり着く。ただ舞台に来ましたというだけで、別にたいした意味はない。その北の町域が景勝町というらしい。上杉景勝かな。この辺はこういう地名が多い。いわれはよく知らない。不勉強。その景勝町にも細い川が流れている。透明度が高い。ここら辺は市街地に近いのに川の水がきれい。魚が泳いでいる。ちょうどめだかの学校を連想するようなイメージ。でもウグイだと思う。小さい。しばらく歩く。手帳など外にほうり出している家もある。また丹波橋に戻る。そこから中書島へ。ここは以前立ち寄ったことがある。乗り換えに利用したのだけれど、ついでにホームのうどん・そば屋にも立ち寄る。今回もそこにより、そばを食べる。

そのあと京阪電車で淀屋橋へ。倉木さんの岸和田や三木のライブのときも寄ったけれど今度も蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買う。御堂筋線で新大阪に来て太郎庵で食事。ホテルに戻り、たこ焼きや餃子を食べる。少し食べ過ぎの傾向があり、内臓が疲れ気味。21日も特に予定はなく、せっかくだから以前から行こうと思いながらぜんぜん行かなかった、住吉大社に行くことにする。南海電車で向かう。造りが独特で興味深い。阪堺線と南海電車の位置関係も飲み込めた。

とっとと新大阪に戻り、お好み焼きの店でお好み焼きと冷やしあめを注文。この冷やしあめがとてもよい。ホテルに戻り、たこ焼きの残りも食べる。大阪滞在といっても特に予定を立てていたわけでもなく、全然たいしたことのない滞在になってしまいました。22日になりホテルをチェック・アウト。時間には十分余裕があるので在来線を乗り継いで三島に行くことにしました。新大阪から新快速に乗ろうと思ったら、急病人のため電車が遅れているとのこと。そのため一本前の電車に乗れました。でも車内のアナウンスは大変印象が悪い。公共交通機関は、どこの会社もみなそうか。JRN日本。いやだ。いやだ。

米原どまりの電車になったが、別に問題なし。大垣行き普通に乗り継ぎ。大垣から浜松行きの電車に乗る。今日はJR東海の印象は悪くない。ただ乗客がおかしい。キリスト教の尼さんが前の席に座ったのだが、僕の後ろの路線表を見る。これで僕が路線表を見ると、あ~尼さんが見たから見たんだろう、あははは、というような嫌がらせ、からかいは浅草郵便局時代2代目関根S一の高本T也から散々やられていた。キリスト教の尼さんまでやるのか。名古屋のあとはうすのろタコ野郎のようなやつが座る。ニヤニヤ見ていたようだが僕はほとんど寝ていた。毎度毎度本当に。

浜松から熱海行きに乗る。ここの路線は多いときは豊橋や静岡で乗り換えるときもあるから、今回は乗換えが少ないほうです。三島には4時過ぎてからの到着。コインロッカーに荷物を預け、まだ時間があるので飲食店で食事。名前を忘れたが駅から右のほうにいくとラーメン屋が2軒ある。その間に挟まった豚カツや。アナゴ丼を注文。梅干のてんぷらが入っていた。珍しい。駅前の湧水のところで一休み。でもラーメン屋の前でニヤニヤしながら僕を見ていたのはどこのじじいだろう。どうやら僕を知っているらしいが、誰だろう。うっとうしい。

ライブ会場に行く。ライブはまずまずよいライブ。僕の席は1階のV40。倉木さんは新幹線で来たそうです。大阪から来たのかな。それだと僕は途中で追い抜かれたことになる。倉木さんは新幹線の車窓から見える、静岡県の景色がお気に入りだそうです。ライブが終了し、僕は三島駅へ。新幹線にしようか迷ったけれども、結局在来線にする。熱海行きに乗り、乗り換えて東京へ。途中相変わらず付きまとう馬鹿が出てくる。わざとらしく本を読んだりして。わざとらしい行動のオンパレード。きっと充実したくだらない人生を生きていることを自慢しているのでしょう。迷惑千万。

ライブ会場にいる時間が短いせいか、ライブの思い出といいながらあまりそんな内容になっていないけれど、スタッフや他のファンの意地悪な態度、付きまとい、などなど、行動も制限され、面白くない。僕にとっては大変不本意。今年のライブは結局このまま行きそうな感じ。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.18松山市民会館

2006-11-04 06:53:00 | 2007年までのライブの思い出

松山駅に着きました。2004年の倉木麻衣さんのライブ以来。ホテルを探しましたが、割と簡単に見つかりました。松山シティホテル。なかなか立派なホテル。チェック・インしました。ブログを書いたりしていました。夕方食事に外出。駅近くの札幌ラーメン屋に寄る。駅のところには喜多方ラーメンの店もある。やはり松山の人はこういうラーメンのほうがいいのか。僕はやはり他所から来ているので松山ラーメンのようなものを食べてみたい気がした。

ホテルで朝食。翌日は昼前外出。駅のところの店でクッキーとお茶の食事、また別の店でスパゲティを食べる。列車の時刻表や高速バスの時刻表を見ながら松山からあとの移動の予定を検討する。駅近くに座っていると帽子をかぶった若い男がこちらを見ている。誰だろう。こちらは相手を知らない。相手は僕を知っているのだろう。うっとうしい。僕のことを倉木麻衣さんに似ていると思って見ているのか。似ていないと思うが。僕は倉木麻衣さんやキャスパーさんはともかく、倉木さんのファンは嫌いだ。そのあともう一人時々ライブで見かける人から声をかけられる。東京の人だそうです。

ホテルに戻り、のんびり。近くに伊予鉄が走っている。乗ってみたいと以前から思っていたが、まだ一度も乗っていない。開場時間が近くなり、ホテルを出る。場所はわかりやすい。途中ファンらしき男数人に追い抜かれる。見かけたことのある人。長距離遠征か。会場の横では木下サーカスが行われていたらしい。到着すると入場の整列が行われていてトラックの運転手もいた。今日の席は1階15列16番。

ライブはまずまず良かった。倉木さんはサーカスの話もしていました。トラックの運転手は、台風の話をしていました。あとで見た倉木さんのリポートなどでも台風について触れている。僕はぜんぜん気がつかなかった。雨がひどかったのかな。雨の少ない風台風だったのか。倉木さんは体調が悪いようです。僕が看病をしてあげたかった。

会場には後方に空席がちらほら。入場のとき「チケット譲ってください」などと書いた紙を持っていた人もいたが、当日券ではいれたのじゃないか。本当にライブを観ようという気があるのかどうか。前売りや当日券でチケットを持っていれば必ずよいときめつけているわけではない。しかもこの人他の地方のライブでも見かけた気がする。交通費その他はたくさんお金をかけてもチケット代は払いたくないのだろうか。ファンにはそれぞれ考えがあるのだろうが、僕は他の倉木ファンは嫌いである。

ホテルに戻る前、うどん屋により野菜炒め定食を食べる。あとから入ってきた倉木ファンらしき男二人組みの態度の悪いこと。慇懃無礼、態度が横柄、意地が悪くて、・・・でもこういうやつが今の日本社会では好意的に見られるのですね。加害者優遇社会だから。ここ数年特に日本はひどくなっているのか。でもそのほうが外国からも好意を見られるのか。

ホテルに戻るスタッフの対応もおかしい。ホテルのフロントの要員というものはあんなにころころ変化するものか。僕と無関係なら許すが、関連付けているのなら許されない。コンビニなどでも条件は同じ。翌朝朝食を食べ、チェック・アウト。駅に行く。他のファンは見かけない。もう松山を去ったのか。倉木さんはどうだろう。僕は次の三島まで大阪に滞在することにした。ただせっかくここまで来ていたのでその前に四国八十八箇所の岩屋寺という所に行くことにした。落出行きの普通バスがありそれに乗っていけるらしい。

荷物をコインロッカーに預け、バスに乗る。思ったより時間がかかる。高いところを上っていく。なんだかすごいところに行きそうだという気がした。峠を越えると高原地帯で松山とは別世界のようなところ。久万高原駅というバスの駅で降りる。この辺は伊予鉄とJRのバスがあり路線バスがわかりにくい。バス路線がどうなのかよくわからないし、タクシーで行くことにした。少し歩くとタクシー会社が見えたのでそこからタクシー。まず44番の札所に行く。大宝寺、ここは行きやすい。

次に岩屋寺。ここは僕の祖母が若いときに来たことがあるそうだ。チラッと話には聞いていたが、行ってみると、道路からはちょっと変わった形の山があるなあという程度でたいしたことはなさそうだけれど実際に歩くと険しい道で登るのが大変。運動不足には堪える。他の参拝客、お年よりも健脚で、追い抜かれていく。やっとたどり着く。よくまあこんなところにお寺なんか建てるものだ。僕の祖父や祖母は世間的には評判の悪い人間かもしれない。でも僕にとっては祖父であり祖母。ある時期僕を強く支えてくれた人。日ごろは先祖に無頓着な僕も先祖について祈りました。

お寺周辺には参拝客が多いが、途中の道は少ない。他の人はどこにいったのだろうと思ってしまう。歩くのが速いのか。僕は遅いが。タクシーには待っていてもらった。川の水がきれい。水量も豊富。台風のあととは思えないほど水がきれい。やはり風台風だったのか。久万高原駅に着く。次のバスまで1時間半くらいあるけど、ゆっくり待つことにした。ぼんたん飴やわさびのあられを買う。ぼんたん飴は西日本では一般的なのか。僕も子供のころよく食べた。キャラメルとぼんたん飴が色違いの似たような箱にはいっている。子供のころを思い出すが、僕の子供のころももうずいぶんずたずたの記憶になってしまった。多くに人間が踏み潰すことを楽しみにしているらしい。僕をうそつき呼ばわりしてうれしそうな笑みを浮かべる人たち。その人たちが僕の思い出を踏み潰して喜んでいる人たちだ。

さかえという店で他人丼を食べる。バスの駅で待つ間も他のお客は不自然な面もあったが、たいしたことはない。バスに乗りまた松山市へ。途中で川を渡る。きれいな水。水量も少なく歩いて渡れるほど。本当に台風が来ていたのかと思うほど。松山の市街も結構大きいなと感じる。JRの松山駅に着く。結局鉄道で大阪に向かうことにした。特急と新幹線の乗り継ぎで、新大阪に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.16広島郵便貯金ホール

2006-11-04 04:52:00 | 2007年までのライブの思い出

倉敷から広島までは普通電車。ちょうど倉敷を午前10時に出る電車がありこれがちょうどいい。アナウンスで何分かの遅れだということだけれどもこういうことは良くある。JRなどがこういうことを言うとわざとやっているんだろうと無条件的にそう思ってしまうが、別にこちらは急いでいないので全然問題ないが。ここの路線で急ぎなら新倉敷からでも新幹線を利用する。

ところどころ車窓の景色は覚えているが、電車ではほとんど寝てばかりだった。広島駅に着く。駅のホームの立ち食いの店でうどんを食べる。ここは広島に来るときは良く立ち寄る店。そのあと駅横のビルのお好み焼きの店に行くが大変な混雑なので、少し時間を置いてからまた行くことにした。雨がずっと降っている。駅前の雨の降らない一角で雨宿りする。

中国地方ではもちろん広島が来た回数は一番多い。小学校の修学旅行もここだった。大分の竹田津港からフェリーで徳山港へ。普通電車で広島へ。広島市内見学。平和記念公園にも行った。原爆ドーム前で記念撮影。あの写真どうなっただろう。九州の祖母の家においてあったが、今はどうなっているんだろう。翌日は広島の宮島、厳島神社に行く。また広島に戻り、新幹線で小倉、日豊本線で杵築経由で帰った。1泊2日の修学旅行。

しばらくしてまたお好み焼きのところに行く。まだすごい混雑。やっと老松という店がカウンターに4席まとまって空いている席があり、そこに入ることにした。かきとそばの入ったお好み焼きでした。そのあと駅の前の地下でアイスコーヒーを飲む。大きい画面で日本人アーティストの歌が流れているが、最初中島さんが歌っていたが、知っているのはそれだけだったような。知らないアーティストが多い。別に知らなくてもいいが。

歩いてホテルへ。広島インテリジェントホテルアネックス。横は道路と公園を挟んで川。なかなか良い感じのホテル。しばらくホテルでブログを書いたり、ゆっくりし、会場に出かける。厚生年金会館やアステールプラザに行ったことは多いが、今度の会場はずいぶん以前に一度行ったきりで久しぶりの2回目。前回は広島駅から紙屋町くらいまで行きそこから折れて広島城の横を通り会場に行った。1992年か1993年だったか。帰りは他のファンと4人でタクシーで広島駅へ。

今回歩いてみるとかなり距離がある。間に合うかどうか不安に感じたので、アストラムラインを利用して会場に行くことにした。会場近くに駅があるはずだが、なんという駅かわからず、携帯サイトを利用して調べると白島というらしい。ちなみに前回1992年か1993年ごろ広島のこの会場に来たとき、まだこのアストラムラインは完成していなかった。会場近くに高い鉄道のような建造物ができかけていた状態だった。それ以後は広島に来ても厚生年金会館かアステールプラザだったのでアストラムラインというのを利用するのは今回が初めてだった。

会場に到着。もう入場は始まっている。僕の席は1階27列37番。隣の隣がトラック運転手だった。ライブは結構よい。広島ではサイン会をやったようです。ライブが終わると僕は、いつものようにさっさと会場を出て帰りもアストラムラインの利用。ホテルまでの途中に「すき家」という店があり、この店あちこちに店はあるけれど利用したことがなかったので、寄ってみました。たっぷり食べホテルへ。

倉木さんはどうやって次の松山に移動するんだろう、などと考えていました。翌日朝はバイキングの朝食。チェック・アウトし、歩いて広島バスセンターへ行く。ここから10時40分発の今治行きのバスに乗りました。なんだか怪しい乗客もいましたが、いつものこと。困ったもの。でもバスの中でも結局ほとんど寝ていました。

今まで四国本州を結ぶルートというと瀬戸大橋のルートは何度も利用。淡路島のルートも2005年の鳴門のライブのあと利用。今回しまなみルートの利用で3ルート全部利用したことになります。このルート実際には山のようなところに行くことが多い気がした。海はほとんど見なかったような。でも寝ている時間が長くあてにならない。景色をしっかりと見なかったのは残念。またいつか行くときもあるかな。

倉木さんは広島から松山までフェリーで移動したようです。なぜなんだろう。ちなみに僕が以前応援していた歌手のファン時代、顔見知りになった追っかけマニアの人がいて、その人の話だとN山というアイドルがやはり広島から松山までフェリーで移動したそうですが、それは多分1990年前後の話じゃないかと思う。もちろんしまなみルートなんて完成する以前だが。今はそういうルートもできているのにフェリーとは。高速フェリーだから速いのだろうけれども天候のこともあるし、よくフェリーなんて利用したなと思いました。大分から愛媛はフェリーじゃないとしょうがないと思うけど。麻衣さんの移動はよくわからない。もちろん追っかけはやっていませんよ。

今治駅で太刀魚や蛸の加工食品を買いました。ここは昨年四国八十八箇所めぐりに行ったときにも寄った。おばさんは僕を覚えているような気がした。ホームに立つと風が気持ちいい。普通電車に乗って松山に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.15倉敷市民会館

2006-11-04 03:50:00 | 2007年までのライブの思い出

14日、この日はライブなし。倉木さんは昨日もう倉敷入りしたのだろうか。それともこの日14日に倉敷入りしたのか。15日当日に倉敷に来るのか。場所からするといったん大阪まで戻ることもありうるが。その辺は僕はよくわからない。僕は高松駅で広島駅までの切符を買う。快速マリンライナーに乗り、岡山駅へ向かう。途中でいかにも馬鹿丸出しの背広姿の若者二人が僕の前の席に座り込む。「坂出、坂出」などとわめいている。僕を意識しているようだが、何が坂出か。ぜんぜんわからない。そういうこといえば何か影響があるだろうと思うこの馬鹿者二人の考えが理解に苦しむ。僕は頻繁にこういう馬鹿者を相手にさせられていてあほらしい。僕は坂出なんぞ行ったことはないが、坂出がどうかしたか。

岡山駅からから倉敷駅へ。時間があるのでベンチでアイスクリームを買って食べていた。駅を出て右のビルのところに公衆電話がある。そこにタウンページがあるのでそれでホテルの住所と電話番号を調べる。

僕が以前地方のコンサート、ライブに行くとよく利用していたのはサウナやカプセルホテル。どうやって探していたかというとこんな感じで公衆電話を見つけタウンページでサウナやカプセルホテルを探していた。今ではサウナやカプセルホテル宿泊も少なくなった。ここでの僕の宿泊先は、ホワイト・イン倉敷。

夕方外出。ここにもセンター街というのがあり、そのアーケード街をあるいてみる。なんとなく飲食店の様子がおかしい。ある店の前でボーとしてサンプルを見ている男がいる。おいしそうなものが多くて決めかねているのか。その男が店に入り、僕も入りかけたが、気のしすぎかもしれないが、その男の挙動に不審を感じ、店には入らず。しばらく歩くと神戸亭というカレー屋があったので、そこでカレーを食べた。店員は明るくにこやかな対応。僕のことを知っているのだろうか。少し不自然な感じ。長年の嫌がらせ攻勢の悪影響で疑り深くなっている。疑いすぎか。

表通りに出て珈琲館に行く。飲み物とホットケーキ。ホットケーキがおいしい。ホテルに戻る途中、若い男が数人いた。「ステーキ食い放題」だと満面の笑みをたたえ、うれしそうに言っている男がいた。その男はステーキ食い放題がうれしかったのだろう。良い思い出でしょう。でもライブツアーに行きながら並行してこういうことを楽しむのもツアーに行く楽しみではある。間違ってはいない。僕はホテルに戻り、コインランドリーで洗濯。

翌日朝、ホテルを出るとホテルから右手、西のほうに行ってみる。しばらく行くと小さな川、水量は多い。こういった川が倉敷近辺では目につく。この川透明度は高く水量豊富だけれども、魚影は見えない。さらに西に向かってあるくが、目的のものは見つからない。何が目的のものなのかというとサウナ。僕が初めて倉敷に来たのは1991年の春。そのとき倉敷のサウナに宿泊。カプセルホテルではなく、1階が本屋で2階がサウナというような建物だったような記憶がある。それ以降何度か倉敷には来ているが、宿泊は岡山市。ずっと岡山の駅前のカプセルホテルだったが、2005年の倉木さんの倉敷のライブのときは、岡山市のキャッスルホテルだった。いずれにしろその1991年のとき以降倉敷では宿泊していない。倉敷のこの一角にも来ていない。

街は当時より建物が多くなった印象。結局見つからなかった。確かこの通りのような気がしたが。サウナ探しはやめ、折り返し、倉敷駅に向かう。倉敷駅の軽食の店で飲み物とホットケーキを注文。そのあとは駅の北口の公園で時間をつぶす。午後3時を回りまたホテルに戻る。

午後5時半過ぎホテルを出て会場に向かう。美観地区はただ素通り。昨年まで3年間同じよな行動。会場に着く。レギュラーファンも多数来ているようだ。もう入場は始まっている。僕もさっさと入場。席は1階席27列目39。ライブはすごく良かった。ここは例年付きまといが多く、今年もそうだったが、ライブ自体はすごくよかった。満足。倉木さんは美観地区を回り、倉木さんは倉敷がお気に入りのようです。備前焼や似顔絵おじさんの話題。

ライブが終わると僕は会場を出て駅近くのカレースープの店で食事。僕はホテルに戻りました。

僕はずっと倉木麻衣が好きでファンをやっていた。ただ、このところずっとがっかりしていることがある。僕は倉木麻衣が好きでずっとメッセージを送り続けている。でも倉木さんにはちゃんと伝わっていないような気がする。僕のメッセージを倉木さんは正しく受け止めようとする意思がないように思える。僕の真意は倉木さんには伝わらない。2004年のライブツアー中から時々僕がぶち当たる壁である。いつかは信じてもらえるようにと考えても徒労に終わっているか、逆効果になっているか。でもいつかは倉木さんに心が通じると希望を持ってきたけれどもなかなか難しい。かなり厳しい。

世間や他の倉木ファン、スタッフの嫌がらせもかなり強烈で、その上倉木さんの信用がないとなるとやはり時々気持ちが沈んでしまう。何とか気持ちを奮い起こしてファン活動を続けているが、正直なところかなりつらく厳しい状況である。他の人間はそれなら倉木麻衣以外がいいのだろうと決め付けるやつもいるかもしれないが、倉木麻衣以外も状況は変わりはしない。もっとひどい可能性も高い。

ただ、今後僕が倉木ファンとしてどういう行動をとるか、来年以降のことなどはともかく、今年の倉木麻衣さんのライブは全部行く。これはぜひ実現させたい。そう考えていた。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.13香川県県民ホール

2006-11-04 02:49:00 | 2007年までのライブの思い出

名古屋から高松へ移動。名古屋駅で高松駅までの乗車券と岡山まで新幹線の特急券を買う。他のお客が名古屋駅で「郡山」なんぞ言っている。名古屋から郡山とは珍しいと同時に僕自身郡山でからかわれることが時々あるので、注目してしまったが、よく考えると奈良の大和郡山かもしれない。それならわかる気もする。人口では福島の郡山のほうがずっと多いが、知名度からはどちらも同じくらいではないか。高校野球で奈良の郡山高校が出場したことがある。福島の郡山だと安積になるのかな。大学時代の同級生に福島の郡山出身の人がいた。仲はよくなかったが。

同じような勘違いは時々ある。長野、長野と大阪で言っているときそれが河内長野の可能性もある。鶴見区、青葉区、旭区、緑区などいくつかの政令指定都市にある区もある。最初に鶴見区と聞いたらどこの鶴見区を思い浮かべるか。

以前大阪のウィンズ梅田に行っていたときのことである。まだ電話投票権がないころのこと。館内のアナウンスが流れて来た。「宮古島からお越しの○○さん・・・」というアナウンス。びっくりした。宮古島というと沖縄。それと競馬が結びつかない。わざわざ沖縄から馬券を買いに大阪まで来たのか。それはすごい。まあ友人が大阪にいて遊びに来ていた宮古島の人がその友人につれられてウィンズに来ていた可能性もあるが。そう考えて納得したのだが、そのとき思い出したのが、「都島」。大阪だったら普通そちらだろう。場所から考えたら、ウィンズ梅田に来てもおかしくない。気がついて脱力。時々ある。

岡山駅で立ち食いのうどんを食べる。おばさん二人が派遣の仕事を批判している。無職の僕はもしかすると派遣会社に就職する可能性もある。あくまでも参考意見として聞いたのだが、就職に対する表現は難しい面があるなとつくづく感じたのである。

Aさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Aさんは現実の社会をよくわかっている、さすがだと高い評価をする。一方でAさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Aさんはさすがに公正に物事を見ていると高く評価される。

それに対して、Bさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Bさんはすぐ職業で他人を差別したがる。だめなやつだと低く評価される。一方でBさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Bさんは現実をわかっていない、机上の理想論ばかり言っていると低く評価される。

AさんもBさんも同じことを言っているけど周囲の評価は全く異なっている。よく幸福になるためのノウハウなどを歌う書物があるがだいたいAタイプの人間になれというものだ。僕は抵抗を感じるけれども、こういうことはよくあることだろう。

そこの今度はCさんが登場する。Cさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張する。周囲の人間は当然Cさんに好意的な人が多い。一方でCさんが「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差があるような評価はおかしい」と主張するとそれはそれで「Cさんは周囲の評価に流されず、きちんと両者を評価できている、立派である」と好意的に評価される。

ところがDさんの場合。Dさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張すると周囲の人間は当然Dさんは安易に他の人の考えに合わせただけで、実際にはAさんとBさんの意見は同じだと気がついていない、Dさんの主張は程度が低いと評価される。一方でそれに対し、Dさんは「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差がある評価はおかしい」と主張すると、Dさんは何かとそういうふうにみんなの意見にけちをつけたがるなどと低く評価される。

この場合のCさんとDさんも同じことを言っている。さらにEさんとFさんも登場するかもしれない。Eさんが「Cさんは立派だが、Dさんはだめなやつ」あるいは「CさんもDさんも同じ」のどちらを発言しても高く評価され、Fさんはどちらを発言しても低い評価。こんなとき誰かがA、B、C、D、E、Fの意見についてに同意を求めて来たとき、迂闊に答えると貧乏くじを引かされるかもしれない。僕はこういう貧乏くじをたくさん引かされてきた。概して相手は、本人はたいした人間ではないが、バックの多数派組織、権力側組織に好意的に見られている人間である。いいように攻撃されてきた。

快速マリンライナーに乗り換える。後ろに緑色の服を着た男がいる。付きまとい、嫌がらせ大好き人間だろうか。高松駅に着く。立ち食いの讃岐うどんを食べる。岡山駅のうどんもおいしいが、ここのうどんはまた一段とおいしい。じゃこ天のうどんだったが、このじゃこ天がまたいい。駅構内の椅子にファンが数人座っているのを見かける。精彩がない。疲れているのか。雨が降っている。

僕は駅を出て左のほうに行ったところのスーパーに寄る。高松によるときはだいたいここのスーパーに寄っている。お惣菜が僕の好みに合う。全国的にあちこちのスーパーのお惣菜は微妙に品揃えが異なり、高松のお惣菜は僕好みが多く、ここに来る楽しみのひとつ。雨は降る続く。パインシャーベットという文字も見えたが、食べない。しばらく駅のところにいて、ホテルに向かう。あるいて5分くらいか。ビジネスホテルまるい。ここはエレベータがなく、部屋は3階、荷物が重いときは少し大変かも。そうではければ安くてまずまずよい。シャンプーはない。

部屋でスーパーで買ってきたお弁当やお惣菜を食べる。しばらく休み、会場へ。赤い服にさやかなどと書いた服を着た男を見かける。さやかという名前なのだろうか。男では珍しい名前だ。自販機の前の不審者。会場に向かう途中、トラックの運転手と会う。ここは何度か来た事のある会場、下のフロアに飲み物の自販機がある。僕の席は1階16列12番。

ライブはまずまず。倉木さんは新幹線でこちらへ来たようだ。岡山からの移動については触れなかったけれどもマリンライナーかな。それとも車だろうか。僕が以前応援していた歌手のコンサートで広島から高松に移動したとき、その歌手はマリンライナーで移動したのだけれども、倉木さんはどうだったんだろう。一緒に移動したファンなんていたのかしら。駅のところにも行ったそうです。僕も駅にいたけれども倉木さんはいつごろ高松駅に行ったんだろう。親切な青鬼の話。

ライブが終わると僕は下のフロアへ。また飲み物を買って飲んでいました。出待ちはせず、そのまま裏側の出口から帰る。やはりわざとらしい男がいる。こちら側のほうがホテルにずっと近い。ライブに行くのにここのホテルは都合がよい。荷物が軽ければ苦にはならないのだが。翌日、チェック・アウトし高松駅に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.12名古屋市民会館

2006-11-03 14:47:00 | 2007年までのライブの思い出

神戸から戻り名古屋まで少し間隔があいた。名古屋のライブ当日名古屋へ向かう。今年のライブはだいたい前日ライブがある場所に行くことが多い。例外はライブが連続する日と関東、名古屋、日程の都合で今年の山形。名古屋は日帰りで行くことも多いし、東京からは行きやすい。僕自身、都道府県別にライブに行った回数を見るとやはり東京が一番多いが、それとあまり変わらないくらい愛知県も多い。

宿泊先はシティホテル名古屋で駅に近く、以前一度宿泊したことがある。愛知万博のときかな。チェック・インし、一休み。5時過ぎくらいにホテルを出る。会場の名古屋市民会館は、以前応援していた歌手で一度来たことがある。金山の駅前。といっても建物がひとつくらい間に入る。金山駅というのはセンチュリーホールに行くとき乗換えで何度か使ったけれどあまりよく知らない。久しぶりで市民会館側を利用すると迷いかけてしまった。会場に行く途中飲み物を飲むが、周囲を歩く人はわざとらしい演技派の人を数人見かける。僕に演技力に審査をしてほしいのか。無断で無料で。お断り。しつこいね。こういう人たち。

この会場にこやかな目をした私設チケット売りの人が多い。自然保護のためにチケットを売っているのだろうか。でもピンクのチケットを持っている人も見かける。入場する。倉木さんのライブグッズ紹介ビデオが流れているということなので見る。かわいい麻衣さん。見たのはちょっとだけで会場に入る。今日の席は1階27列11番。ライブはまずまずよい。倉木さんは名古屋市内のペルーの人のやっている店に行ったとか。会場でペルーの民族楽器の笛を吹いていました。大須の万松寺商店街を歩いたそうです。

ライブが終わり会場を出る。背広を着たスタッフの人がグッズのビデオを見ている。握手を求めているファンもいる。ビーイング ギザの偉い人なんだろうか。僕は知らない。こういうことは詳しくない。以前応援していた歌手時代は他のファンとの交流があったからそういう情報は入ったけれども、倉木ファンになってからはそういう情報は全くないので倉木さんの事務所の社長だとかマネージャーとか担当ディレクターなど僕はよく知らない。どういう人なのかな。FM AICHIの今年の公開録音のときこの男性ともう一人の女性が二人指定席の最後方にいた。二人ともまるで大切な娘を見るようなまなざしで倉木さんを見ていた。有力スタッフなのだろう。

トラックの運転手の人と出口で会う。出待ちをするそうだ。僕はそのまま会場近くのココ壱番屋に行き、カレーライスを食べる。この店は前回この会場に来たときもコンサートの前に食事した。久しぶりの2回目。駅まで歩く。相変わらずわざとらしい付きまとい。駅からは普通電車。ホテルに戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.7神戸国際会館・こくさいホール

2006-11-03 05:09:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年の倉木麻衣さんのライブ・ツアーでここの神戸国際会館・こくさいホールのライブは3階立見席だったけれどもすごく印象のよかった会場。今年もここでライブが行われるすごく楽しみでした。僕は1日前の6日に神戸に向かいました。新幹線で新神戸着。この駅はアメフトの試合を見るためにウイングスタジアムに行ったことがあり、そのとき利用。それ以来2回目。内田康夫氏の神戸殺人事件でこの駅の裏側が登場する。ちょっと気になり裏側を見る。駅裏一等地に家がある。水の流れ。

駅から歩いてホテルまで行こうと思ったが、雨が降っていて、荷物もあり、面倒なので地下鉄で三宮へ。ホテルは三宮の花ホテル。予約をとる時点では考えていなかったけれどもこのホテルは、ホテルを出ると少し歩くと地下鉄の入り口があり、そこから会場の神戸国際会館までずっと地下を通っていける。雨の日はほとんど傘なしでもいける。

チェック・インし夕方食事のため外出。神戸の土地柄なのか焼肉やステーキの店が目に付く。三宮という地名は有名だが近くに二宮という地名もあるらしい。二宮センター街という小さな通りがあったので行ってみた。あまりにぎやかでもなくそれほど特徴があるわけでもない。結局駅前の通りに戻り、めしや丼(宮本むなしだったか?)と珍丼亭(名前が違ったか?)で食事。付きまといらしき悪党を見かける。

ホテルに戻る。翌日昼前ホテルを出て食べ歩き。街の地図を見ると一宮神社、二宮神社、三宮神社と揃ってあるらしい。僕はわざと三宮センター街には近づかず、食べ歩き、ホテル向かいの立ち食いの店でそばを食べる。ぼっかけというのがおいしい。お好み焼き道場という店を見かける。食べてみるが、やはりぼっかけのお好み焼きがおいしい。一軒しか行っていないのではっきりしないが、神戸の好み焼きはかなりおいしいうちにはいると思う。ホテルに戻る。

5時半くらいにホテルを出て会場へ。兵庫のライブは今年の三木市、2004年の尼崎、神戸、以前応援していた歌手で1991年か1992年ごろに一度。今度で5回目、倉木さんでは今回で4回目。地下の飲食街でカレーを食べる。以前応援していた歌手で初めて神戸にきたとき生卵のかかったカレーが出てきたことがある。神戸というのは注文しなくてもカレーに卵がかかっているのかと思ったものだ。最近見かけないが、神戸のカレーが変化したのだろうか。それとも経費削減か。

会場に着く。入場整理が始まっている。僕も入場。今日の席は1階24列。僕自身はそれほどライブを楽しめたわけではないけれど、ライブはすごくよかったと思う。以前倉木さんはここの会場をほめていたけれども、やはり音的にもよいのだろうか。僕はその辺は詳しくないけれども、僕もこの会場にはいい印象を持っている。麻衣さんは三宮センター街を歩いたそうです。僕も一緒に行きたかった。

ライブが終わり、僕はいつものようにアンケートを書くと出待ちには加わらずさっさと帰る。ところが街へ行くとあちこちの店でファンらしき連中を見かける。それまで僕はMai-Kグッズの背番号20のTシャツを着ていたが、同じTシャツの男が吉野家で食べている。僕はそれを見て背番号20のTシャツを着るのは止めようと思った。気のせいかもしれないが成りすまし的雰囲気がある。もちろん気にしすぎの可能性もあるが。

なか卯に行くと今度はスケベらしいアベックがいる。うっとうしい。しょうがないのでコンビニでおにぎりを買ってホテルへ帰って食べることにした。神戸の付きまといもうっとうしいかぎり。

翌日8日少し早めにチェック・アウト。もう少し神戸を歩いてみようと考え、三宮商店街を歩いていく、10時前くらいでまだお店も開店していないところが多い。元町の商店街を歩く。どこかで食事でもしようかと思ったが意外にどこの店もお客が多そう。商売繁盛でしょうか。こんな時間から軽食喫茶の店に入り浸ることができるなんて、観光客でもない地元の人がやっているのなら、神戸は経済状態がよくリッチな人が多いということなのか。いい身分。

宮本むなしの元町の店をみつけたので食事。やよい軒にしても、めしや丼にしてもおいしくてとてもよい。関東でもこういう店はあるだろうけど関西だとあちこちにある印象。うれしいです。JR神戸駅に着く。地下鉄のハーバーランドという駅とくっついている。地元の求人誌を見ていたらここのあんぱんやという店の求人が出ていた。別に求人に応募するつもりはないけれども、こういう店もあるのかと思い、ちょっと来て見たかった。見つからなければ寄らなくてもいいやと思ったけれどもすぐ見つかった。アンパンを取り混ぜて10個買った。おやつ。

地下鉄を乗り継ぎ、新神戸に行く。アイスコーヒーを飲んだり少し時間をつぶしホームへ。やはり駅裏を見る。沢が流れている。滝はどの辺だろう。そんなことを考えながら新幹線を待つ。東京に戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.3土岐市文化プラザ・サンホール

2006-11-03 03:06:00 | 2007年までのライブの思い出

9月3日、今日は岐阜県土岐市で倉木さんはライブ。ホテルをチェック・アウトしたあとで、僕は今日東京に戻る予定で荷物を名古屋駅のコインロッカーに預ける。時間に余裕がありすぎ。以前応援していた歌手時代なら早めに会場に行き、他のファンと交友したり、食事をしたり、会場周辺を散策したりなどしていたが、倉木ファンになってから他のファンと交友は持たないし、早く行くとスタッフにもからかわれるから、仕方なく途中で時間調整として、時間をあちこちでつぶす。内心馬鹿馬鹿しいと思っている。馬鹿スタッフのせいで本当に迷惑だ。スタッフはきちんとできないのか。付きまといマニアも出没する。

岐阜県のコンサートというと1991年に当時応援していた歌手のコンサートで岐阜市には一度行ったことがあるが、それ以来2回目。岐阜県の中央線沿線に来るのは初めてでした。

中央線で土岐市まで行く。駅のところで食事。さがのという店。犬の置物がたくさん置いてある。ここでも若い女性の付きまとい、三重鈴鹿のときと同じ女性じゃないだろうか。よく覚えていない。美人だけれども腹が立つくらい性格が悪いようだ。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではないようだ。

うんざりなので、仕方ない、歩いて会場まで行く。途中でベンチを見かけ、座っている。これも時間調整だけれども、暑いので日陰を見つけて座る。途中のお店で種無しぶどうを買う。種無しだの巨峰だの、マスカットだの、葡萄のネーミングというのは語呂合わせ好きな人が喜びそうな名前だね。橋を渡る。川を見ていた。土岐というところ不便ではないけれど、にぎやかな都市というほどでもない。ちょっととらえどころがないというか、まあちょっとしかいなかったから、じっくり見れば印象に変化はあるかもしれない。会場に着く。

会場のお店による。ここの店もさがのというようだ。駅の店と関係あるのか。かき氷を食べていた。お店を出る。会場の外の一角に石があり日陰なのでそこに座り僕は一人で葡萄を食べていた。開場時刻になる。僕の席は1階席W列。倉木さんは丼会館に行ったようです。僕も一緒に行ってみたかった。麻衣さんと一緒だとうれしくて舞い上がってしまうかも。でも一緒にいられたらいいな。

ライブが終わると僕はいつものように出待ちはせず、駅に向かいました。土岐市駅でもつまらない薀蓄をたれる馬鹿男、倉木さんのファンにはこういうのが多い。うんざり。名古屋駅に着くと、コインロッカーから荷物を出し、新幹線で東京に戻りました。


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