松尾では唐橋西寺公園を「旭日の杜(あさひのもり)」と呼びます。
また、我々は公園の土壇が残る講堂址の事を「こんどやま」と呼んでいます。
今では大宮社だけが「こんどやま」に上りますが、昔は六社が上っていました。しかし、こんどやまの状況の変化等々の事情があり復活できていないのが現状です。
それでは、西寺についてご説明を。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
西寺(さいじ)は、平安時代、現在の京都市南区唐橋にあったとされる寺で、796年桓武天皇の勅願により平安京内で最初に建造が許された2つの官寺の一つ。
当時は、羅城門を入ってすぐ、朱雀大路を挟んで東側に東寺があり、西側に西寺があった。
西寺は東寺とほぼ同規模の大きさの寺院だとされ、僧綱所などが置かれたとされる。西寺の僧であった守敏の衰退とともに寺も廃れていったとされる。990年(正暦元年)に伽藍がほぼ焼失した後、1233年(天福元年)にも焼失し、荒廃していった。
大正10年に国の史跡「西寺跡」(さいじあと)に指定された。昭和34年からの発掘調査により、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認され、当初の未指定部分が同41年に追加指定された。在来の土壇は講堂跡と判明した。東寺とあいまって平安京の規模を知る上にも重要とされる。
現在は発掘時出土した金堂礎石の一部が残るのみで、小学校の敷地や講堂跡の都市公園・唐橋西寺公園になっている。なお、唐橋西寺公園近くの南区唐橋平垣町には「西寺」の寺号のみを継いだ小寺院がある。
財団法人京都市埋蔵文化財研究所のホームページに
京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告 2007-04 2M 212K 『平安京跡・史跡西寺跡』という昨年の唐橋小学校内での発掘調査報告書があるので興味のある方は御覧下さい。西寺の位置と現在の唐橋の位置関係が良くわかります。(データサイズが大きいのでご注意下さい。pdfで見れます。)
http://www.kyoto-arc.or.jp/2007-04honbun.pdf
「松尾の神輿は西寺に入り、稲荷の神輿は東寺に入り、京(みやこ)の平安を祈願されていた」と聞いています。
西寺は史跡しか残っていませんが、現代においても松尾の神輿は西寺にやって来ます。
前置きが長くなってしまいましたが、旭日の杜へ。
「こんどやま」へ上ります。
「こんどやま」の上で差し上げ
集合写真。
集合写真は唐橋文教会館の3階から撮ってます。
今年は西寺公園の木が大きくなり邪魔になって撮りにくかったみたいです。
※画像の一部協力 伏見神輿会さん ありがとうございます。
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