松尾大社大宮会の日記

松尾大社大宮会の活動記録です。
大宮社とは、松尾大社の氏子地域である京都市南区唐橋地域の神輿です。

與杼神社 秋季大祭『平成20年』

2008-11-05 | 平成20年

11/3(月) 與杼神社秋季大祭 神輿渡御に参加しました。
空を見ると曇天なので気になります(平成15年のどしゃ降りが頭をよぎります・・・)が天気予報では回復しそうなので一安心。

與杼神社は伏見区淀地域の氏神様です。
それでは、少しお勉強・・・

※與杼神社HP http://www.yodojinja.com/yodojinja/index.html よりご由緒を掲載しときます。
與杼(よど)神社は、淀・納所・水垂・大下津の産土(うぶすな)神として鎮座しています。
祭神は、中央に豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)向かって右側に高皇産霊神(タカミムスビノカミ)向かって左側に速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)の三柱であります。
この神社は、僧の千観内供が応和年間(961年~963年)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まるとある。しかし、延喜式(901年~)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処からみて、応和年間より以前に鎮座していたと考えられます。
元の鎮座地は、今の宮前橋の下流、桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこのあたりを「大荒木の森」と呼ばれていた。 (当時は、ここを乙訓郡水垂村といった)
桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。
なかでも本殿・拝殿は明治年間に移築・遷座が行われたにも拘らず、良く当初の建築様式を保存していたので、昭和46年6月22日(同年3月26日内定)に本殿(本殿内の木造狛犬一対を含む)と拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。
しかし、残念ながら本殿は、昭和50年8月5日午後4時30分頃、未成年者達の花火(飛翔性花火)遊びにより国指定の貴重な重要文化財は全焼してしまいました。
その後、氏子・崇敬者各位の熱烈なご助力のお陰をもちまして、現在の本殿は昭和55年3月23日滞ることなく予定通り竣工。
あわせて與杼神社が、この地に遷座された明治33年(1900年)より数えて、丁度100年にあたるのを記念して、平成12年(2000年)9月に社務所が新築されました。
與杼(よど)神社は京都市伏見区淀に産土神として鎮座しております。
淀神社と明記されることがありますが正しくは與杼神社(与杼神社)です。

平成14年から45年ぶりに神輿巡行(中社)を復活され、今年で7年目になります。
平成18年には2基目(西社)も巡行されました。この神輿は千木の神輿で、櫟谷社(松尾大社)の先代の神輿らしい(鈴等に刻印があったとの事)です。
更に今年は、3基目の神輿(東社)も巡行します。


奥が「東社」、手前が「西社」。

私が御奉仕させていただくのは「中社」です。


「中社」遷霊の様子。


それでは、今日も頑張って舁きますわぁ・・・

左は新ちゃん。

ジュンヤもすっかり「お父さん」になりましたなぁ。

宮入が無事終わりました。画像がなくてスンマセン・・・舁いてたもんで・・・
それにしても、たった7年でここまでされた淀の氏子さんのパワーは凄いですね。
うちも負けられませんわ。

今日で今年の神輿愛好会で参加するお祭りは、来年春までお預けですわ。
・・・しょっぱなはウチですが・・・

ということで唐橋に帰って食事会をしました・・・












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