9月4日(月)一般質問しました。
1、西国分寺駅について
西国分寺駅と周辺のまちづくりについて質問しました。
西国分寺駅は今年開業50周年で、9/9にイベントが開催される。
1973年4月1日に開業され同時に武蔵野線も開通した。このエリアは下河原線という貨物列車が通っていたが武蔵野線の開通と同時に廃線になった。
当時の駅周辺について市では答えられないというので少し紹介する。
私は当時中学三年生であまり覚えていないがそれまで多喜窪通りまででてバスで国分寺駅や国立駅に行っていたので便利になった。
駅周辺は大きな建物はなく、小さなお店が数件あった。お菓子屋さん、八百屋さん、焼き鳥屋さん、化粧品屋さん、本屋さんが並んでいた。
当時の写真が市制施行50周年も記念写真集「ふるさと国分寺」の中にあった。
昭和48年ごろの西国分寺駅周辺の航空写真で4小が保存していた。
鉄道学園のトラック、4小、逓信住宅、駅前は平屋の長屋の都営住宅があり小さなおうちがずっと張り付いていた。
のんびりした田舎の駅という感じだった。
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昭和49年に国分寺市基本構想で西国分寺駅周辺を商業と住居の地域、商住地域として開発することを決定した。
昭和54年に駅周辺整備構想が発表されたがこれは南口と北口が一体となった構想だが、なぜ南口だけ開発が進んで北口はできなかったのか?
⇒当時、北口地区でも市民参加のもと議論がなされたが、結果として市民参加による整備実現の話し合いがまとまらなかった。改めて令和2年にまちづくり計画を策定してすすめることになっている。
一部記録は残ってるようだが全体としてどうしてできなかったのかいまいち不明だ。
記録をまとめて事実は事実として残しておいていただきたい。
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その後南口だけの駅前再開発は平成2年、1990年に工事が完了した。
平屋の都営住宅の高層化、レガや史跡通り住宅、駅前ロータリーの整備が進んだ。
うちから北側の民家は立ち退きになった。
そして、平成9年、1997年に泉町地区の地区計画で駅東側の公益地区、住宅地区、公園地区が整備され、武蔵国分寺公園は2002年の4/1に開園した。
東口の改札口の問題は残っているがとりあえずこちらは一段落した。
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そこで北口の東側、西恋ヶ窪1丁目エリアは計画がないがあそこはどういう計画があるのか?
⇒北口駅前エリアの整備実現化をすすめている、当然ながら駅周辺の回遊性についても視野に入れている。西国分寺駅周辺は4つのエリアで構成されている。周辺まちづくり計画ではそれぞれの個性、回遊性を高めることになっている。西恋ヶ窪1丁目地区についても今後検討していく。
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