王子車輛製造

鉄道ネタ(実車・模型製作)がメイン。

山口帰省のはなし(2011.8.28) 2日目

2011-09-16 18:01:21 | 旅行
サザンクロス号は順調に進み気が付けば中筋駅・・・初めピンとこなかったが後で見るとアストラムラインの駅だとか。
いやいや、道理で初めに出てこなかったわけだ。しかもカーテン完全に閉まっているので四方がわからない。

寝ぼけ眼の中、定刻に広島駅新幹線口へと到着した。


広島駅で昨日買った食事をつまみ腹ごしらえ、その後新幹線の入場券を買い撮影タイム。
狙うは100系新幹線を使ったこだま号。

まずは500系こだま、東海道時代によく顔をみてきたが基本的な印象は変わらず。しかし短くなったものだ。


広島止まりの100系こだま1本目、100系K54編成が入線した。
新大阪で一瞬見た程度で3月の100系新大阪最終日曜日は撮れなかったので是非とも撮りたかったもの。と言うよりこの色の動いている100系は2003年の東海道末期以来なのでかなり懐かしい。


100系とN700系の遭遇、N700系もライト形状が100系同様横長なので個人的に好き。


次にやってきたのは100系K60編成のフレッシュグリーン塗装。最後まで残る編成が原色の可能性高いのでこれも貴重な記録になるかもしれない。もっとも新下関のP編成はこの色のまま朽ちて行くのだろうか・・・。


広島始発のN700系新幹線、編成番号は3月京都行った時に試運転していたZ64編成である。おろしたてのピカピカな姿から一転、第一線で頑張っている汚れた姿へと印象を変える。
反対側のホームにはのぞみ号待ちの乗客が待機、こうして皆大阪・東京へと向かっていくのだろう。


こだま号がなんと300系!山陽こだまにしては両数多過ぎだがこの姿もそう遠くはないだろう。
しかし撮影している人は自分含めて2人、300系はあまり注目されない印象がある。


300系とN700系、小さく思えた300系の窓が大きく見える。300系の基本コンセプトは今もN700系に受け継がれている、彼が作り上げたものは大きい。


N700系R編成さくら号、さくらのイメージとは違うがこっちは慣れた。未だに慣れないのは「はやぶさ」・・・。
ちなみにR10編成、JR九州の車両をココで見れるようになるとは感慨深い。あと「祝!開業」のCMラッピングもこの編成だった。


100系のK55編成がやってきた。これも原色だが何度見ても素晴らしい。
編成こそ短いもののかつて東海道時代に乗った思い出がよみがえる。


一通り撮れたので在来線で再び西を目指す。
黄色い113・115系が私を出迎えてくれた。一色塗りは初めどうなのよ?と思ったが細かい部分を見ると悪くないかもと思うようになった。ある種の現実逃避かもしれないが。


京都から転入してきた113系700・2700番代湘南色。
高速化対応だったが広島転入に伴い元の番号へと戻された。(7700→2700という塩梅で)


クハ105-1 地下鉄向けに作られた103系1000番代の生き残りである。
これらも単色化の対象の模様で、塗装変更の折には黄色い103系を彷彿させる車体を拝むことができるだろう。


出自も来歴も多彩な顔ぶれが並ぶ。かつて雑多な旧型国電に比べると面白みがない、と称された国鉄新性能電車だが近年の改造によってそのバリエーションも増え趣味的に面白くなった。かつての旧国と同じ立ち位置になるのだろうか。



父親からの電話をとっている最中に今度乗る下関行き115系が入線、300番代の瀬戸内色。
シートピッチ改良タイプの前に登場した量産冷房グループであり、狭いボックスシートのままである。旅先に出ると必ず1回は乗っているような気がする・・・。


列車は新井口を出たあたりで広電と併走する。広電も市街地部の路面電車と宮島方面の郊外電車とでは全く印象が異なる。


宮島口へと近づくにつれ瀬戸内海も顔を見せる、大鳥居も一瞬だが車窓に臨むことができる。
103系のD編成ともすれ違った。


宮島口を過ぎてからは乗客も減りマッタリとした空気が流れる。かつて散々乗っていた113・115系のMT54サウンドを堪能、じっくりと味わうひと時。ちなみに民営化後初期に内装がリニューアルされており、化粧板やモケット、貫通扉が交換されている。


岩国から山口県、もっとも経済圏では広島の一部なので正直ピンとこない。岩国発車後に米軍の住居が、南岩国ではふきの畑が目前に広がる。空の蒼とふきの蒼、この対比が鮮やかである。


車窓左手に瀬戸内海を望む。通津はのどかな駅だなーと思ってたら発車してでっかい旭化成や日本製紙のプラントあって驚いた。沿線には主要な国内メーカーの製造工場も点在する。



光、柳井といった瀬戸内海側の主要都市を結ぶ山陽本線、田布施付近では夏空が車窓に広がった。


山口の工業都市徳山に到着、ここで10分ほど停車し乗務員交代を行う。実質別列車になるようなものである。長時間停車に伴い客用扉は保温のため半自動扱いとなっており、ドア取っ手をつかみ開閉する。ホームで背を伸ばした。


新南陽では貨物駅と貨物の留置線がある。昨年夏の水害に伴い美祢線が運休となったがそこで走っていた宇部興産のタンク貨車が疎開留置されている。後でわかったことだが美祢線は2011年9月26日に列車の運行を再開するとのこと、最悪の事態は免れたのは喜ばしいものだ。
余談だが徳山市と新南陽市の合併から10年くらい経つが、いまだに周南市に慣れない私が居る・・・。


防府駅近辺になると今までとは一転立派な高架軌道を走る。山口ではあまり見られない光景だけにここを通るたびに毎度立派さを感じてしまう。


右手に新幹線の高架線と山口線や美祢線の気動車、SLやまぐち号客車が見えたら山口の玄関口である新山口・・・いや小郡駅に到着する。


小郡駅は新幹線口と在来線口、2つの改札を有する。新幹線の旅行者は新幹線口を、地元の在来線利用者は在来線口地上駅舎を利用するイメージがある。改札入ってすぐの山口線ホームはSLやまぐち号にあわせレトロ調の装飾が施されている。


昼食を取ろうと在来線口に降りたものの余りいい店が無いので新幹線口に回ることにした。高架下の定食やで焼飯定食を食べた、しかし付け合わせの汁ものが味噌汁とは意外だった。客の入りはぼちぼち・・・というところ、まあ新幹線利用者が大半を占めるのだろうけども。


小郡駅からは防長バス・JRバス中国が運行する東萩駅行きの特急バス「はぎ号」に乗車。
12時ごろに着いたのだが35分ぐらいの「はぎ号」は運転していなかったので13時まで待つことに。結局のところ広島を1本遅く出ても変わらなかったがそれは考えても仕方がない。窓口でバスのきっぷを買おうとしたら「只今の時間帯は車内でお買い求めを~」との一文が。13時のバスが来たので車内で買おうとしたら運転士に「何で事前に買わんの?万札出されたらたまったものではないですし」と返された。急いで先ほどの窓口行ったら開いていたので、きっぷは買えたものの窓口の爺様が釣銭の札を投げるように返してきた。正直不快以外の何物でもなかった。

防長バスの「はぎ号」は小郡~萩の55kmを1時間ちょいで結ぶ。綾木、大田中央、明木を経由し、山口駅や佐々並を経由するJRバスとは経路が異なる。貸切車の路線バス転用車が用いられる(防長バスのみ)
沿道には島根・山口などでよく見られる石州瓦の屋根を有する家や廃墟ったドライブインが見える。


綾木付近から雲行きが怪しくなってきた。


ゲリラ豪雨の中を走るバス


明木の方まで出てくるとまた晴れてきた。分水峡や峠を越えた証でもある。
萩とその周辺では高規格道路の建設が進められている。中国道の美祢東から延びる「小郡萩道路」や三隅方面に向かう「三隅萩道路」。これらが開通すると車のアクセスは改善されるだろうが、同時にかつてのメインルートはさびれてゆくだろう。「ストロー効果」も気になるものだが・・・。


萩の市街地を通り東萩駅へと到着した。


東萩の駅舎、父親曰く昔は木造駅舎だったとのこと。かつては駅構内に売店があったものの特急「いそかぜ」廃止に伴い無くなった模様。
年々列車の本数も利用者も減っている・・・通学の学生と高齢者が主要客なのは他のローカル線と変わりがない。


駅の待合に地元の人撮影の写真が飾ってあった。
昭和60年の東萩駅、写っているのは特急「まつかぜ」と急行「さんべ」


ゆうゆうサロン岡山、マイクロエースから製品化され店頭に並んでいるが買おうかどうか迷っている。


親の迎えを待つ間に長門市行きのキハ120が撮れた。


一旦祖母宅に行ってから墓参りがてら萩市内をまわることに。
萩港近くにある浜崎の街並み保存区域。街並みながら開けた空間が広がるが整備されたせいか少々不自然な感もする・・・。


菊ヶ浜海水浴場、シーズンになると多くの海水浴客でにぎわう。
私もかつて小学生のころ行ったことがある。




田町付近の映画館と思わしき建物。


萩市街地の中心部ともいえる田町のアーケード街、今はこんな有様だがかつては賑わっていた。
萩市で初めての交通信号が設置されたのもこの辺りだったとか。


萩バスセンター、駅に近い独特の味わいがある建物。
一般路線バスのほか小郡駅へ行く「はぎ号」、広島方面への高速バスが1日2往復、1日各1往復東京駅や大阪方面を結ぶ夜行バスが発着している。


その近くにあるうどんチェーン「どんどん」、ここに本社もある。


店内の様子


名物の肉うどんとわかめむすび
肉は出汁の味が染みておりコシのある麺に合う。だしは関西風の薄目。わかめむすびは萩名物の「しそわかめ」を使用したとのこと。


サンリブで買い物してから祖母宅へと戻る。松本側から東萩駅方面を望む。


萩の街は夕暮れが早い、20時ぐらいだったのだがすでに22時の感覚である。街の明かりが暗く寝静まるのも早いからなのか。外は曇っていたので星空は見えず残念。
長旅は疲れる、この日はじっくり眠れるかと思いきや蚊に刺されて目が覚めてしまった。