小泉純一郎が政界を引退した理由がやっとわかってきた。政界を潔く引退するのは良いことだ。次男に世襲したのは問題であるが、頂点を極めた人物が引退するのは悪くないと以前コメントしたことがある。
それは大きな間違いであったことに今頃気がついた。まず内政では郵政改革で、官僚も良くなり情報公開も財政事情も改善されると、声高に郵政民営化一本で選挙を劇場と化し、勝利した。手法として褒めなければならないが、赤字でもない郵政事業の民営化は、財政健全化と叫んだスローガンから外れるものであったし、僻地の荒廃を生むことにもなったし、分社化の意味を問う時間は、何度かの総裁選挙で検証すらしなかった。その選挙では、もともと反対していた人物を総裁にも選んだりもした。
新自由主義は、派遣社員の増大と、年収200万円以下の国民を大量にい生産することになった。この間日本は好景気を持続していたにもかかわらずである。実態は格差を生んだだけである。要するに、国内は国民に信を問う状況でもなければ、自身もなかったのである。
外交では、小泉が国会を押し切り、イラク特措法を通しで自衛隊を派兵した。その実態が、政権交代で明らかになり、アメリカ軍支援であったことが判明した。サマワの給水場建設の意味も結果も問われることがいまだない。でっち上げた情報で、国連決議を無視したブッシュの侵攻を真っ先に支援した小泉の責任は重い。
しかしその内容すら反省することなく、小泉は引退したのである。多少の良心があったのか、息子が可愛かったのかわからないが、引退は彼自身の責任からの逃避に他ならない。ウルトラマンの声優などを引くいけるくらいなら、国民に謝罪ぐらいあってもいいのではいか。小泉はタイミングを見るのに長けている。引退もそうしたことか。無責任な男である。