そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

国粋主義者たちの台頭

2009-10-30 | 政治と金

昭和は前半の20年間は戦争へと歩む異常な時代でした。明治憲法(帝国憲法)12条には「天皇ハ陸海軍を統帥ス」と書かれています。しかし天皇が昭和に入るまで、直接政治にかかわる事はありませんでした。天皇は実質象徴的存在であった。

1930年(昭和5年)のロンドン軍縮会議で日本は、軍艦(巡洋艦や駆逐艦など)を削減することに同意した。第1次世界大戦の後、ヨーロッパは二度と戦争を起こさないために、パリ会談の後ワシントン条約など軍縮条約締結をしていた。

日本は国内的には、ようやっと大正デモクラシーに見られるように、民主化への方向、主権在民の考え方が次第に醸成されてきた時期でもあった。しかし、昭和に入ると株の大暴投など不安な情勢になってきた背景があった。

その時期に、ロンドン条約を締結した浜口雄幸総理は海軍から統帥権を干犯された、国防を揺るがす大事件だと激しく非難されます。これ以降、軍は政府が決めたことも全てこれを盾に、拒否権を発動することになります。

司馬遼太郎はこの、統帥権の干犯を“魔法の杖”と呼び、その後軍が巨大化していく最も大きな武器となったのです。1936年(昭和11年)の2.26事件に至るまで、軍による陰惨なテロが数多くこの後繰り返されます。

こうした昭和の暗黒の時代、天皇を絶対君主に祭り上げ、日本を神の国とする思想が戦争へと一気に駆り立てていった。この時期に創られ肥大化して行った思想を、いまだに信奉する連中がいる。極右翼の国粋主義者たちであるが、憲法9条を改定して軍を持ち、天皇を元首に祭り上げ、神の国の再現を夢見ている。

野党に転落した自民党の、右翼の議員たちは「真・保守政策会議」を再開した。平成19年12月に会長に、中川昭一を据えて発足したが、今回安倍ボンが会長になって、この会の活動を再開することになった。自民党は、はっきりとこうした右翼団体として主張した方が解りやすい。小選挙区の下では、その方が消えてなくなるのも早いだろう。

<左のフォトアルバムに”屋久島ブラリ”をアップしました>

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