そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

高等教育の無償化ほどバカげたものはない

2017-05-06 | 平和憲法
安倍晋三が、改憲に向けて維新の会の取り込み作戦として掲げた、高等教育の無償化であるがこんなバカげた話はない。安倍晋三のように極めて裕福な家庭に育ったなら、バカでさえ大学に入れる制度の方がよっぽどおかしい。その逆の、優秀な人材が大学などに入れないことが問題なのだ。
学力のないものが、門戸を閉ざされたと騒ぐのはお門違いである。学力の評価に問題が残るとしても、誰でもが高等教育を無償で受けられるのは、壮大なる国家の浪費としか言いようがない。機会均等にするべきとは思うが、それは誰もが等しく入学できることではない。結果の均等や見た目の平等など必要ない。機会の均等こそ求められるべきである。いい年齢になっても働きたくない連中の、遊びの場と化している大学などは淘汰されるべきである。
現在でも大学は多すぎるといえる。少子化が一層進行し、子どもの比率は12%と先進国では最低である。不要と思われる大学があまりにも多い。駅弁大学と揶揄されたりもしたが、地域振興や国会議員のメンツのために作られた大学が、飛行場とともに全国にちりばめられている。
私の時代は大学進学率は13%程度であった。”学生さん”と、社会では特別扱いされた特異存在であった。大学進学を志す者は日本中の大学の名前を諳んじていたものである。それが大学の権威にもなっていたし、大学側のプライドにもなっていた。今は多すぎて名前など覚える間などない。
大学を無償化するということは、国が補助金で縛るということにもなる。個性のない大学に個性のない学生がひしめき、大学全体が国家に従順な組織に変貌することになる。
そもそも、今回の安倍の提案は政争の具でしかない。民主党政権が打ち出した、高校生の授業料の無償化には、選挙目当てだとか、ザル法だとかで自民党は審議すら応じなかった経緯がある。この安倍の提案は、維新の会に向けた政争の具でしかなく、まともに論議するようなことでもない。無償にするくらいなら、その金を奨学金に回す方が、よっぽど学生のため社会のためになる。
コメント (6)
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