戦没画学生の作品展が札幌で開催される。長野県上田市の山の上に、戦没した画学生の遺品を展示する美術館がある。館長の窪島誠一郎氏が日本中を駆け回って集めた、戦没した画学生たちの作品を展示する美術館である。
ここの作品が札幌JRタワーで「無言館・祈りの絵」と題されて、今月12日~10月18日まで開 催される。最初に彼らの作品を見たのは、東京駅のギャラリーであった。その後一度無言館へ兄と訪れた。無言館は館名通り静寂の中にあった。
戦場に散った画学生たちの遺作は、声高な反戦平和を訴えるのではなく、悲しみの静寂の中で心に沁みるものである。私の父も南方で戦死している。父とほとんど同じ経緯で戦死した、画学生の作品もあり感慨深いものがある。
作品展に象徴的な興梠武氏の上記の作品は、病弱な妹が編み物をする姿を描いたものである。戦地で興梠は妹の病死を知り半狂乱になたと、戦友は後に語る。その興梠も帰ることはなかった。南方から届いた白木の箱には貝殻が一つ入っていただけである。母は奥の部屋で箱を抱え嗚咽した。
出征直前まで、「あと5分、後10分この絵を描かせておくれ・・・・・小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために・・・」といった日高安典は、南方で戦死した。白木の箱には名前の入った紙切れが一枚入っていただけだった。気丈夫な母はただ泣くだけだった。
金子信孝は将来を宿望された日本画家である。大作を多く残している。夭折の画家たちとして、早くから紹介されていた。出征の間際まで懸命に描き続けていたと妹は語る。こうしたほとんど無名の作家たちの作品は、心に重くのしかかる。時代に流されて無念の思いを残した作品はただひたすら哀しい。
画学生の多くは身内の人たちや故郷の風景を、数多く描いている。遺族にとっては手放したくないものばかりである。それぞれの家庭に仕舞われていた作品を、窪島は家族を説得し集めて回った。作品の巧拙とは無関係に、ここには狂乱の時代に流され帰ることのなかった画学生たちの静かな吐息がある。
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