私の父はフィリッピンのセブ島で死にました。逓信省の役人であった父は志願して、通信兵として従軍していました。米軍が上陸して、日本軍は山に逃げましたが、動けなくなった父は数人で自害しました。生還した同僚たちが、私に涙ながらに語ってくれました。
国に若い妻と二人の子供とまだ見ぬ子ども(私のことである)を残して、父は自害した。戦争は僅か36歳の男に、妻や子供たち家庭のことを思いおこす余地を与えなかった。父が自害したのは、戦陣訓による「生きて虜囚の辱めを受けず」という、言葉である。
多くの兵士が武器を無くして、「万歳」突撃をして連合軍に撃たれて死んだ。支援がなく密林を追われ、逃げ惑う兵士たちの多くが餓死をした。全く勝ち目のない硫黄島の戦闘では、蒸せる地下で兵士たちの半数は戦闘以外で亡くなっている。それらの全ては、戦陣訓を頭から叩き込まれたからである。
日本の兵士に死を強制したのは国家である。国のために戦い亡くなったのではなく。国によって死へ追いやられたのである。
国家は国民の生命と財産と権利を守る義務がある。戦争はそれら全てを奪うものであった。せめて、戦陣訓さえなければいかに多くの兵士の命が救われたであろうか。
終戦の決断にあっても同様のことが言える。ミッドウエイ海戦以降日本の敗北は、はっきりしていた。せめて、ドイツの降伏以降ソ連の参戦を承知していた軍部の判断が正常であれば、二つの原爆投下も大都市の空襲も北方領土問題もシベリヤ抑留もなかった。これらの判断を狂わせたのが、本土決戦を最後まで夢見ていた、軍部による戦陣訓の言葉である。
国のためと信じて疑わせず、国家や軍それに天皇への忠誠を強制する体制は、現北朝鮮の政治体制に重ね合わせてみることができる。こうした体制下での戦争は、死を美化しそれを散華と昇華させ、靖国に祀られることで正当化させることになる。
戦局の判断すらできず、国力の正当な評価も出来なかった指導者たちによって、無為の死を遂げた多くの兵士を英霊と呼ぶのは、こうした事実を隠すことになる。侵略した事実を曲げ、戦争を正当化することを意味する。
天皇を守るため、国体護持を最大の題目にして終戦を迎えた姿も、北朝鮮の現体制と符合する。体制に阿(おもね)る死だけが、英霊と呼ばれる。
そりゃおかしいゼ
戦後十数年経過してから産まれた我々世代は、活字と映像で知らされる歴史。
記憶をたどってみても、小中学校の教科書には、近代史の記述はほとんど無かったように感じる。
朝鮮半島が日本に併合されていた事、ゆえに在日朝鮮人がたくさん住んでいる。
台湾や満州国もフィリピンも日本に支配されていたなど、成人してから知った事が多すぎます。
私の両親は、終戦時は中学生でしたから戦争の実感は薄いみたいです。田舎ゆえ敵機が飛来したり空襲のイメージも無いと言います。
まもなく戦後70年が経過するのに、いまだに米軍基地は無くならないし、近隣諸国とのイザコザは頻繁に発生する。
戦後100年になっても米軍は居座り続けるのか?
イラクやアフガニスタンからは、米軍は間もなく撤退すると言うのに、なぜ日本から米軍は撤退しないのか不思議に思います。
天皇陛下万歳と叫びながら、弾の無くなった銃に銃剣を付けて突撃して行ったと聞いています。
高性能の機関銃に向かって、銃剣や日本刀を振り回して突撃するなど、まさに集団自殺。
少し落ち着いて考えたら、そんな馬鹿なと気づくはずだが、マインドコントロールは恐ろしいです。
今の北朝鮮は、戦時中の日本と同じなんでしょうね。
それにしても、私が産まれる前から戦争をしているアメリカは、世界のどこかで必ず戦争をし続けている。
戦争をしていないとアメリカ経済が破綻してしまうから?
マグロは、常に泳いでいないと窒息死するそうですが、アメリカは常に戦争をしないと破綻してしまうのかも知れない。
戦争で亡くなられた全ての方々の御冥福を祈念致します。
私の叔父は上海で病死とのみ聞かされていますが、今もって、真相はいかにと思い続けています。