そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

銃社会は国家間の諍いそのものである

2022-05-28 | 戦争

またまたアメリカで小学校での銃乱射事件が起きた。民主党が銃規制に取り組もうとしても、NRA(全米ライフル協会)から多額の献金を受けている共和党が反対する。この構図が変わらず繰り返されている。
「銃は悪くない。人が殺すのだ。」と、常套文言で反論する。今回の事件を受けて前大統領のトランプが、「この事故を防げるのは、銃を持った善人である。」とのべ、教師に銃を持たせろと言うのである。
アメリカでは毎年約1万人の国民が銃で殺されている。単純計算でも毎日27名もの人が殺されていることになる。
日本のように銃そのものが、規制どころか所持が禁止されていれば、銃による事件など数年に一度程度しか起きない。日本のようになれとは言わないが、せめて販売や所有を規制ぐらいはするべきである。銃所有者が特定されていれば、所有する側にも規制がかかるだろう。銃を所持していることでの、暴力的下心を排除できる。

この論理はそっくり国家間の軍事競争にも当てはまる。相手国が兵器増強をするので、自国もそれに増した兵器(銃)を持たなければならないという論理である。暴力的均衡が安全保障のため国家に必要というのである。
紛争統治国間での現実的な感情としては解らなくもないが、何処かでどちらかが断ち切らなければこのドグマから抜け出すことなどできない。人は愚かな、相手が悪い論を引き下げることがない。
アメリカ銃社会は、国の防衛思想、安全保障と政治的な武器生産団体のロビー活動そのままである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 力の論理を披瀝して知ったか... | トップ | プーチンの侵略はジョージア... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

戦争」カテゴリの最新記事