そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

被害者が存在する人災に加害者が存在しないわけがない

2017-07-01 | 原発と再生可能エネルギー

地震も津波も天災である。しかし、原発事故は人災である。必ず排出される放射性廃棄物の処理方法を解決していない原子力発電所施設は、あらゆる外的条件にも耐え、一次的事故は絶対に起こしてはならない施設である。原発は人間がエネルーギー作り出すために作りだしたシステムである。全ての責任は人間側にある。

昨日(30日)東京電力福島第一原発事故について、業務上過失致死傷罪で元会長の勝俣恒久と元同社副社長の武黒一郎と武藤栄の3名が強制起訴され初公判が、東京地裁で始まった。3人はいずれも、検察官役の指定弁護士による起訴内容を否認し、無罪を主張した。刑事責任を問われるのは初めてのことである。世界最大の原発事故でありながら、刑事責任はいまだ誰も問われることがないのである。原発事故については、福島県民らが東電幹部や政府関係者に対する告訴や告発を検察に提出したが、検察は2度不起訴処分としている。今回の強制起訴は、爆発事故が起きるのを予見できたのに、適切な津波対策を怠った結果、2011年3月の津波による爆発事故で、近くの病院の患者ら44人に長時間の避難を強いて死亡させ、原発作業員ら13人にけがを負わせたと、住人たちが訴えたのである。
焦点は事故は予測できたかどうかであるが、3年前に15.7メートルの津波を予測し防潮堤建設まで検討していた事実が判明した。勝俣氏は津波は予見できなったと主張したが、この報告は受けていたことも解っている。
本ブログで何度も薬害を取り上げているが、構図としては全く同じである。企業は自らの責任を全く認めない。たとえ相当追い詰められ認めたとしても、時間稼ぎをする、責任逃れを繰り返す、責任を過小評価する。企業の体質は本質的に変わららない。
しかし、放射性物質を排出する事故である。6年を超えた現在でも、5万6千人が放射能汚染で自宅に戻れないでいる。被害者が大量に存在する人災に、加害者が存在しないという奇妙な構図がこの国ではまかり通っている。このままでは東電は何事もなかったように、再度原発依存をすることになる。結局は原発事故の大半は税金で賄うことになる。つまり国民がその責任を負うことになるのである。原子力発電所は、科学的にも社会的にも政治的にも存在してはならない施設なのである。事故予見の可否はそれ以前の問題である。


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2 コメント

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Unknown (タンケ)
2017-07-01 10:39:48
被害者よりも加害者の方が猛々しいのがこの非論理非倫理で不正だらけの野蛮国ニッポンだ。泣くのはいつも弱い者や貧乏人だと悪徳権力らにより決められている。

トーデンなどはおまけに自らの尻拭いを我々電気消費者に押し付け、なんと!原発事故損害額を巻き上げ、さらに決算も黒字にし自らの高額賃金を確保しているのだから、何たる企業だろう集団だろうと驚かされるばかりだ。

ここまで不正イカサマがまかり通る国であるのなら、暴力団やゴロツキが大手振るのもなるほど頷ける。人々多くも、もう真面目善良に生きて行く気持ちを挫かれてしまう。
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法の正義が試されようとしている (ジョーカー)
2017-07-01 19:01:35
同調圧力が生む無責任(佐藤直樹氏)という主張を拝見した。モリ・カケ問題に関する忖度に関する記事だ。

東日本大震災の略奪や暴動もなく、被災者が避難所で冷静に行動していたことが海外メディアから賞賛された。

海外では「法のルール」がすべてで、「世間のルール」は存在していないという。従って、忖度の英訳は不可能だったと言う話だ。

日本の組織体では「法のルール」はタテマエに過ぎず、命令や指示などなくとも忖度があると述べている。

この東電最高責任者の責任は重大だが、日本の司法は「法のルール」にどれだけ応えることができるのだろう?

忖度のメリットもあるようだが、命令なしに忖度が要求されることで、責任の所在を徹底的に曖昧にするのが、日本の無責任システムの再生産をしてきたと結んでいる。
悪習は未来に生きる若者のために改革すべきだ。
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