ついに来ました! 日野日出志「ホラー自選集」の第13話は、トラウマ少年少女大量生産の「毒虫小僧」ですよ! この作品は、ひばり書房の単行本として1975年に書き下ろされたもので、カフカの「変身」の影響を受けた作品だそうです。
この作品では怪奇・猟奇シーンは実は少なめになっています。それでも日野日出志代表作の一つなのは、構成が整っており漫画としての完成度が高いからではないでしょうか。
主人公の名は日の本三平。まさに日野日出志作品の主人公中の主人公の風格です。目つきや前髪は言うに及ばず、肩や背中のしわ、左手の表情、描き込まれたスニーカーなどに作者の愛を感じます。「何をやらしてもだめな子供だった」とは随分な言われようで、クラスメートからは嫌われ、いじめられ、家族からも冷ややかな眼で見られているのですが、全ての生き物を愛する心優しい少年なのでした。
ところが春休みに入る前日、突然吐き気に襲われた三平少年は自分のゲロの中に真っ赤なイモ虫のようなものを発見します。それを指でつまみ上げたところ、指をトゲで刺されてしまうのです。翌日から三平少年の全身が腐って溶けはじめてしまいます。
トラウマ漫画と言いつつも、グチャドロシーンはこの前後にしかありません。それでも少年はなかなかの溶けっぷりです。ベッドや枕、勉強机の昭和を感じさせるリアリティーも魅力です。
その後、少年の体はコチコチに固まってきます。するとその中からついに……!
毒虫小僧の誕生です! その顔つきは間違いなく三平少年です。賢い妹はこの化け物を見て兄の三平であるということを見抜くのですが、それでも当然部屋に押し込められてしまいます。そして三平少年の抜け殻は葬式に出されて、人間としての日の本三平の存在はなくなってしまうのです。けれども彼は、自分は現に生きているんだからなんともない、と妙なポジティブシンキングを発揮するのでした。
ところが、三平少年を疎ましく思った家族は、三平少年の食べ物に毒を混ぜて殺そうとするのでした! 彼の体は庭に埋められてしまったのですが、死んだわけではありませんでした。家族が自分を殺そうとしたことを理解した三平少年は、そっと家族のもとを出て行くのでした。
三平少年は街や自然の中で今まで味わったことのない自由を満喫します。ところが少年の正体が毒虫であることを本能的に察知した生き物たちは三平少年に近づこうとしません。今や少年の体には毒を持った角・トゲ・針が備わっているのです。このあたりの描写はかなりじっくりと念入りに描かれています。
そしてある日、うっかり人間につかまったことをきっかけに、三平少年は自分が毒虫小僧であることを自覚します。それ以来、毒虫小僧は人間に復讐すること誓うのでした。
マンホールの中を根城にした毒虫小僧は徐々に人間の頃の記憶を失ってきており、人を殺すことに快感を覚えるようになっていたのでした。三平少年のこの変わり様に、読者は恐怖と、哀しみと、そしてかすかな共感を抱くことでしょう。その感覚こそがこの作品を印象的なもの(トラウマ)にしているような気がします。
毒虫小僧が多くの人を殺していることを知った三平少年の家族は責任を感じ、今度こそ毒虫小僧にとどめを刺し、その魂を救おうと考えます。家庭の懐かしい匂いに誘われて庭にやって来た毒虫小僧は、ついに父親と再会するのですが……。
父親の手には猟銃が握られており、それが致命傷となって毒虫小僧はゆっくりと死を待つばかりに。その一方で人間だった記憶を取り戻します。最後のシーンはとても穏やかです。まるで漫画版「デビルマン」のような静かな最終シーン。奇妙な余韻を残して物語は終わります。
彼はなぜ毒虫になったのでしょう。ゲロの中にいた虫の正体は何だったのでしょうか。なぜ毒虫が自らの体内から出て来たのでしょうか。結局、抑圧され続けてきた彼自身が毒虫小僧になることを元々望んでおり、それがゲロの中の毒虫という形で見えたのかも知れません。社会の速度が加速し、人との付き合い方がより複雑化した現代日本では、この毒虫小僧に共感する(つまり、そんな自分に愕然としトラウマとなる)人がより多いような気がします。
後の少年少女漫画としてのホラー作品の原型とも言える本作。長編ということでコマが大きく整理されており、明確な起承転結の構成もあって読み易い作品になっています。それだけに心の闇をえぐり出された読者が多く、日野日出志の代表作の一つたり得たに違いありません。
日野日出志作品紹介のインデックス
みんなが家から持ち寄る学級文庫だっただけに,
先生の目をすり抜けて誰かが置いたのかも...
子供の脳みそには,刺激的な内容でした.
序盤は生理的な恐怖、中盤でなんだかほのぼのしたかな~と思いきや、後半は心理的な恐怖、というように一本調子でないところが印象に残りますよね。そして結末では全てが反転して静かな哀しみが残るという構成も素晴らしいです。
毒虫小僧の表情は凶悪だけど、シルエットは確かに愛嬌がありますね。残酷な殺人を犯しても、どこか憎めません。
この漫画は幼少期に読んだ記憶がありました。
変態までの描写が奇怪、恐ろしい。
肉体が毒虫になった三名が殺人を犯すなんて毒が強い。
「諦めて精神的に毒虫になりきった」三平の心理と行動が一番恐ろしい。
ただ今見ると、デザインは丸くプヨいんで少しキモ可愛い
ですねw。
怪物のモデルについては映画や小説、民話などが多いようですが、それらが全て日野日出志的になっているの素晴らしいです。
先生は大変な人格者で、愚痴一つ言わない、とほんのあとがきで読んだことがあります。また、おっしゃるように温和ながら堂々としたお姿ですね。でも昔の単行本の若い頃の著者近影では、黒ブチ眼鏡に青くテカったジャンバーのちょっぴりアヤシいお姿が…。
機会がありましたらぜひお読みになってみてください。
もう兎に角気持ち悪くて不気味でした。所で日野先生の作品に登場する怪物等は何かしらのモデルが存在するのでしょうか?日野先生はどんな方かと思っていましたが気さくな方と言う事で少し意外な感じがしました。漫画家や作家の方と言うのは大変に繊細な感覚の方ばかりなので恐い感じの人を想像していましたが、画像を拝見したところとても温和な印象を受けました。先生の作品、一度買って読んで見たいと思うのですが、やはり私には勇気がありません。
イメージ検索の画像で楽しむ事にします。
強い思いや揺るぎない人生観がスタンドとして発現するように、ホラー漫画のどこか歪んだ主人公の本心が具現化するのは確かにもっともな話です。言われてみれば日野日出志作品には人面疽が本心をしゃべりだすという話が幾つかありますし、「七色の毒蜘蛛」なども自分のスタンドが害になっているようにも見えます(その能力は負の感情の拡散とか…)。いずれにせよ負のエネルギーをもって能力を発現させた人物は悲惨な最期をとげており、それに比べると三平少年は恵まれた結末と言えそうです。
主人公が殺人に快楽を見出す辺りで主人公への感情移入度が少し薄れてしまうのですが、これまでの経緯を考えると、何処かしら快感である事も確かです。そして悲しい結末。元の姿に戻れてハッピーエンドなどというオチは用意されていないものの、「これで良かったんだ」みたいな気持ちが湧いてくるのは、醜い毒虫の姿になってしまったからと言うよりは、途中で一度道を踏み外してしまっているだけに、仮に人間に戻れたとしても、これからの人生を幸せに暮らせる筈がない。恐らく、犯した罪に対する罰が与えられた事で安心するのではないかと、そんな気が致します。
ところで今回、主人公自身の潜在的な望みが毒虫という形で現れたのではないかというおかもろ(再)さんの意見を読んで、先日私が他のホラー漫画を読んでいた時にふと考えた事との共通点に思い至りました。それは、主人公の体に異変が起こるタイプの作品で特に理由が明言されていない物は、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズのスタンドの様な物だと考えれば納得出来るのではないかという事です。これは、虐めに耐えて一切反抗しない主人公が心の奥底で持っていた復讐心が、自身の影に宿って殺人を繰り返すという川島のりかずの「私の影は殺人鬼」を読んだ時に思った事なのですが、これは正にスタンドそのものだ、と。今回の三平君のケースも、ゲロの中に混じっていた小さい毒虫こそが本来三平君が持っていたスタンド能力であり、それにより自分自身の姿を毒虫と変えたのだと考えれば、解り易い様な気もします。