イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

イマジネーション・トレーニングにおける「努力と才能」の問題について

2021-08-12 06:55:10 | 日記



みなさん、おはようございます。

「連載、イマジネーション・トレーニング法」の時間です。

今日は「才能と努力」という問題について

「イマジネーション・トレーニング法」の観点から、

ちょっと考えてみたいと思います。

まあ、これを考えるのはたしかにかなり努力のいる作業で、

努力がまったく要らないというのはたしかに極論だなあとは思いますが、

努力がすべてを解決するという方向性ですが、

ちょっとこれは幻想だろうと思います。

みなさんもいろいろと身に覚えがあると思います。

そして、よく「努力か才能か?」

と「才能」というものも、よく「努力」と対の概念になりますが、

「才能」というのものは

たしかに「この人はすごい才能の持ち主だなあ」と思うことも、ままありますが

自分自身の稽古となると

「才能」というものは曖昧で漠然としていて、

これをほんとうに頼りにしていいのか、

ちょっと不安だと感じます。

自分で自信を持って「才能がある」と断言できる人はかなり少なくて、

きちんとした、たしかな裏付けのある才能というのは

なかなかないのではと感じます。

まあ誰でもほどほどの才能があり

ほどほどには努力するというのが実情だと思います。

そうなると次になにを当てにするかで、

非常に心細いわけですが、

「はっきりした意志」をきちんと持っているというのが、

ここでまず重要ではないかと気づきます。

これは「志」という風にいってもいいですが、

まず「やりたい」という気持ちが大事でしょう。

具体的には「いい絵を画きたい」という「意志」がないと

まず絵の稽古が成立しません、

ここは曖昧では駄目です。

毎日稽古することの重要性については既にお話していて、

画材をきちんと用意することも書きました。

とにかくできることをぜんぶやることが大事です。

それらを全体として「方法論」と呼んでいますが、

わたしはこれが非常に重要だと思います。

つまりわたしのいっている

「明確な方法論」が、

もう一箇の要素になります。

まあ「意志」があって「明確な方法論」があれば

ある程度は稽古できるのはいわば当たり前で

簡単なことだろうと、

反論されるとも思いますが、

まったくその通りだとわたしも思います。

まあ、人間というものは

この簡単なことをなかなかしないものだと

わたしはよく感じています。



(つづく)