イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

「稽古」を考えること

2022-04-01 07:53:08 | 日記



みなさん、おはようございます。

連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。

よろしくお願いします。

今回は、表題にあげたように

「稽古を考える」という観点から

「稽古」そのものについて、わたしがここまでの稽古で編み出した、

わたしなりのやりかたを、ちょっと紹介してみたいと思います。

わたしなりの「稽古法」の紹介です。

今回はタイトルが二転三転して、

原稿を考えるのがすごく大変でした。

とても重要なポイントだと感じます。

藝事の稽古をされている方の参考になるとよいです。

わたしの稽古で一番重要なことは

「するべきことをして待つという基本姿勢」です。

これについては去年、ブログをはじめて数回書いた時点で、既に書きました。

つまり決め手となるのは

「やっていればいつかはなんとかなる」

と言えるだけのことをしてゆく努力です。

わたしもあれこれと「稽古を育てるレッスン」を試みましたが、

一番大事なこととしては、またかと思われるでしょうが、

「毎日の稽古」と「アイデア・デッサン」です。

やってみて、これはかなり難易度が高いハードルだと思います。

毎日というのは若干誇張があると思いますが、

規則的な稽古をすることは、前回書いたように

「日々を稽古とともに暮らす」ことです。

これをしないとなかなか稽古は進まないので、

日常の場で稽古する習慣をつけるような工夫が必要です。

画材をそろえて紙を用意し、

わたしは台所の机でこつこつ作業をしています。

そういう自然な積み重ねから拓けてゆく、「展開」については、既に書きました。

こういう風に努力すると同時に、また稽古プロセスを観察してゆくのですが

ああでもないこうでもないと、こうして経験を積んでゆくことが

いまのわたしのスタイルです。

また、わたしは作品の写真を毎回撮っていますが

わたしなりにこれを稽古の中で活用していて、

プレゼンという目的以外にも、

いろいろ使い道があります。

自分の作品の印象は、画いた直後はとても曖昧で、

しばらくしてから見ないと、

善し悪しがわからなかったりします。

それで「今日の稽古」というものを考えて、

日記風にiPadの「アプリ」のなかに画像を並べています。

簡単なコメント入れをして、わたしなりに「分析」したものをつくっていて、

これは記録としても有意義で、

あとから冷静に見返したりもできるので、

すごく勉強になります。

(これには、わたしはBearというノートアプリが便利でよく使います。)

「マチエール展開のレシピ」もこういう中で生まれた稽古法です。





また、もうちょっと本格的な「画像いりの原稿」(「仮原稿」です。)をつくることもあって、

これはなかなか「出せる」ものにはならないですが、

そういうやりかたでも、ちょっとずつ、稽古を前進させています。

つまり「イマジネーション・トレーニング法の「概要」」論文でも書いたように

稽古のプロセスとは、

「イマジネーション・デッサン」と「イマジネーション・メモワール」の

独特のコンビネーションだと言えると思います。

つまり、ある種の「共同作業」です。

そして「これだ」という手応えのあったタイミングで

こういうブログなどを書いています。

また、まったく人気はないですが

インスタグラムにもかなりの個数を出しました。

narufue

というアカウント名で、

興味があれば覗いてみてください。

ブログを書くことは

「はっきりした言葉で稽古を考える」

ことの役にたっていると思います。

わかりやすい言葉できちんと断言する試みで

いろいろなことを考えるいい機会になっていて

よく考えないとわからない発見などがあったりもします。

ときどきブログを、プリントアウトして、

熟読することもあります。

しかし、考えるといっても、

破壊的な「疑心暗鬼」がおきることもよくありますし、

また、自分の能力に悲観的になることもあります。

わたしはいまやっている「パターンとイメージの稽古」は無意味ではないと感じて稽古していますが

真剣に別の可能性を考えようとすることもむろんあります。

これは「具体的にそれをどうしたらいいか」と、きちんと考えるならば、建設的な意味もあるのかもしれません。

しかし、「イマジネーション・トレーニング法」の考えかたは、わたしの中ではかなり重要な位置を占めていて、

いまと全然違うような絵を画くとしても、

まったく別の「稽古体系」を考えるのは

いまのところかなり難しいと感じています。

そういう点ではある程度自信をもってもいいのかもしれません。


さて、

今回は稽古の中で考えつづけることをかなり書きました。

また「稽古法」にも触れました。

ジャズ・ハーモニカの巨匠、トゥーツ・シールマンスがインタビュー記事で、

「ハーモニカを考えつづけることがわたしのプラクティスだ。」

と述べていたのが昔、とても印象に残りましたが、

そういう「育てる努力の積み重ね」が

やっぱりわたしの「藝の稽古」にも必要だと、いまは感じています。



( つづく )