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みなさん、おはようございます。
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
よろしくお願い致します。
今回は「ブラックボックスから」という視点で、
稽古をちょっと振り返ってみようと思います。
いままでの繰り返しになる部分もできますが
お許しいただきたいと思います。
*
稽古とは、まず「即興」のプロセスです。
作品を作るのは、「即興」ですし、
そのための「エクササイズ」や「実験」「研究」
また、文章の形での(このような)「考察」など、
みな、すべてが「即興」の一部分だと感じています。
そしてこれらは、「即興の円環」「稽古の円環」をなしています。
創造的な経験の構造です。
それはたとえてみて、
「稽古」という、一種の「ブラックボックス」に、ぽんぽん「具材」や「素材」をほうりこんでぐつぐつ煮ると、
なにかが「ブラックボックス」から、ほこほこと出てくるような感じなのですが、
なにが出てくるかは、具体的には、出てくるまえの時点ではよくわかりません。
楽しい部分もありますが、同時に不安も感じるところです。
画いているときは、半分意識で、半分無意識という
微妙な感覚です。
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稽古のための「稽古法」や「具材づくり」のようなものは、わたしの場合には、たくさんあって
いままでいろいろ工夫してきたのですが、
わたしは「絵の形での稽古」を「イマジネーション・デッサン」と呼び、
「言葉(書きことば)での稽古」を「イマジネーション・メモワール」と呼んでいます。
これについてはいままでもずいぶん書いてきたと思います。
*
たとえば「イメージだし」という経験を、わたしは「絵画教室」では習いましたが、
日々、「アイデア・デッサン」に「イメージだし」をしつづけることは、
「ブラックボックス」への、いい「インプット」になっています。
「イメージだし」にもいろいろあって
いろいろ「インプット」した段階での、
稽古が進んでからの「イメージだし」もあり、
これは、けっこう高度な「イメージだし」になったりもします。
いろいろな稽古をすることによって
「イメージだし」の内容を豊かにしていっていて、
これはジャズのアドリブの練習と似ているかもしれません。
*
また、ここが面白い点ですが、
「アイデア・デッサン」や「イメージだし」は
同時に作品制作の具体的なプロセスでもあります。
言ってみると「アウトプット」でもあるわけです。
こういう二重性が、「イマジネーション・トレーニング」の稽古にはあります。
つまり「エクササイズ」と「制作」の方法論に、あまり違いがないのです。
「ルーティン・ワーク法」や「殴り画き法」は最近やっていませんが、
ああいう稽古の場でも
必然性があればいい「作品」ができたりもします。
曖昧で漠然としていると、なにも稽古ははじまらないわけで、
とりあえず、一回「イメージ」を「具体化」して、じっくり観察してみることは、
たしかにいい「エクササイズ」でもあるのですが、
さらに、エクササイズの結果が「作品」となるケースがあり、
これは、できあがってみないとよく判断できません。
音楽でいう「ジャム・セッション」のようなことを、ある程度時間をかけてひとりでしているわけです。
*
基本的には「アイデア・デッサン」は、「エクササイズ」として指導されたのですが、
だんだんと作品といえるレベルのものができてくるようになりました。
紙とか、画材の問題もあり、
どのくらい高度なものが生まれるかは疑問ですが、
エクササイズが「創造的」であることは
わたしにとって、非常に大きいと感じます。
また「作品」というほどの「完成度」のない「画面」も同時にけっこうできますが、
それはそれで別に大きな意味があります。
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そういうときにわたしはなにを考えているかですが、
むろん、かなり考えてはいるわけです。
考えること自体が稽古の一部です。
たとえばここのところの稽古では「パステル」や「色」の扱いで、
「パステルの単独の練習稽古がいるかもなあ…」、
とか、
「しかし、具体的にはなにをしたらいいだろう?」、
などとくよくよ悩んでいます。
色について、
面について、
などが最近のテーマですが、
「メモワール」するほど、はっきりした言語化は考えられないまま、
しかし、とりあえずわたしはいまのところ、
「アイデア・デッサン」の制作の場でパステルを扱いながら、
だんだんに慣れてゆき、同時にこれを研究もしていています。
つまりこれは「イマジネーション・デッサン」という形での「非言語的思索」です。
画面を画いてゆくことで稽古が進んでゆきます。
制作の現場で、エクササイズも同時にするのが、
とりあえずの、いまのわたしなりのスタイルとなっています。
*
そういえば「宮大工の棟梁」の本で読みましたが、
職人さんの世界では「現場で教育するやり方」というものがあるそうで、
これとちょっと似ているかもしれません。
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稽古の場、それはわたしの場合、台所のテーブルですが、
それはちょっとした「実験工房」のようなもので、
日々、画面に向かい、
ああでもない、こうでもないと、
自己を探求しつづけながら、
同時に作品を生産しつづける場です。
そしてまた、この「ブログ原稿」も「研究の場」と「生産の場」の両方の側面を持っていて、
日々の稽古のいろいろを考えつづけると同時に、
こうして具体的に文章の形で、
なるべくはっきりした、わかりやすい言葉で、
読者のみなさんにも見ていただくことに大きな意味があると思っています。
これもまたわたしの「即興」や「稽古」の一環です。
*
そういうわけで、
今回は「ブラックボックスから」という切り口から稽古を考えてみました。
けっこう難航して、いい経験でした。
またつぎの原稿でお会いしましょう。
( つづく )