おはようございます。
連載「イマジネーショントレーニング法」の時間です。
よろしくお願い致します。
さて、
ここのところ原稿がやたらと難しくなってきました。
どうしようかなと思っています。
稽古すること自体はさして複雑なことではないので、
やはりこれはわたしの説明の、力不足です。
それで補足的な原稿を用意してみてはどうかと考えて書いてみました。
わたしは先日「即興の円環」「稽古の円環」と書き
あれだけではよくわからないと思うので
今回はここのあたりをもうちょっと整理しようかと思います。
前回とりあげた「メタ・ノート」のプロセス、
つまりわたしの言葉でいうと「メモワール法」では、
いろいろな「コンテクスト」で、文章を
わたしは読んだり、書いたり、考えたりしているのですが
「イマジネーション・トレーニング法」となるともうちょっと複雑で
なぜかというと絵の形での作業がここにはいるからです。
さまざまなメモワールやデッサンの形、
つまり「イマジネーション・メモワール」や
「イマジネーション・デッサン」ですが、
その両方が協力して、
ここでもさまざまな「コンテクスト」の中で、大きく善循環してゆくように、
書いたり(画いたり)」、
考えたり
読んだり(見たり)していて
これを「稽古の円環」、あるいは「稽古の循環」とわたしは呼んでいます。
エクササイズすること
分析研究すること
制作すること
鑑賞すること
考えること
ここを巡っておきる、クリエーションの構造が稽古にはあり、
ちょうどこれは、四季や夜昼がめぐるようなもので、
そういう建設的な秩序の習慣をつくることが稽古というものです。
たとえば「今日の稽古」という、画像とメモワールの記録を稽古しながら、
毎日つけていることは既に書きましたが、
はっきりと具体的に考えるということでは
ブログ原稿を書く作業もこの大きな循環のなかにあります。
そして、できあがった作品を、眺めたり、また部屋にかざったりという
「鑑賞の過程」もあり、
それによっても、考えさせられるものがあります。
つまりそれは「鑑賞即稽古」、「稽古即鑑賞」です。
基本的にはパターンやイメージをこういう形で探求していますが、
大事なこととしては、
稽古はなにのためにするというわけではなく
自分のため
自分自身のささやかな「修養」のために稽古するという側面があり、
ただ単純に面白く楽しいというだけではなく、
これはやはり「藝の稽古」という言葉でしか言い表せない重要な部分だと思います。
そういうわけで、
今回は「稽古の円環」「稽古の循環」というものを
かなり丁寧に説明してみました。
それではまた、つぎの原稿でお会いしましょう。
( つづく )