「藝の稽古」とは
「ブラック・ボックス」に
なにかを放り込んでは、またなにかを取り出す営みで
いつも完全には「法則化」はできない部分がある。
芸術の仕事とはだいたいそういうものだろう。
法則化を逸脱する、新発見の要素を常に持っている。
それが「イメージだし」というものだろう。
これについては以前に「ブラックボックスから」
というブログ記事ですでに書いたと思う。
あれをもういっぺん読んでみてもよい。
「からだ」や「こころ」
をひとつの複雑な「ブラック・ボックス」としてみる考え方はとても重要だと思い、
それはたとえば数学の概念では「函数」とよばれ
ある程度因果関係のはっきりした、明快な法則性を持つ「ブラック・ボックス」を扱っている。
わたしの「藝の稽古」も「まったくのめちゃくちゃ」ではないのだが、
「こころ」とか「からだ」という「ブラック・ボックス」は
もうちょっと複雑でわかりづらい構造を持っていて
これを「面白い」というべきか
「わけがわからない」というべきかは微妙で
この「ブラック・ボックス」の「法則性」の研究が
要するに「イマジネーション・トレーニング」というものの一端と言えるのではないか?
そう考えている。
わたしはこれは受験生のよくいうように「傾向と対策」だと思い、
ある程度の「稽古の努力」はしているが
その結果どういう「画面」ができるかは
「まったくの即興」で
なにができるかわからないことが
ものすごく面白く、またやり甲斐のあるところだと思っていて、
稽古を新鮮なものにするように努力をしている。
( つづく )