みなさん、おはようございます。
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
ずいぶんご無沙汰していました。
よろしくお願いいたします。
さて、今日は「手応え」
というものから、稽古、画面の稽古や、
このいま書いている「ブログ原稿」を、ちょっと考えてみたいと思います。
〇
「手応え」という言葉は、釣りで魚がかかったときにもよく使います。
ではその「手応え」とはなにか?
ということになりますが
かなりはっきりした感覚なのはたしかです。
わたしの文章の場合には、
「はっきりした感覚」と「しっかりした画面」と「具体的な言葉」です。
因果関係はわたしもかなり考えますが
「画面を拵える」とか「ブログ記事を書く」
という作業はまったく因果関係ではなく、
いわば「相関関係」に属し、
「創造」、「表現」に関係します。
「ここで勝負を決めよう」、という感じです。
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「創造」ということでは、先日も書いたように、
わたしはベルクソンの「創造的進化」を読み、
この内容はいまいちはっきりわかりませんでしたが
そこから言葉をいただくと、
「生の躍動(エラン・ヴィタール)」に関係します。
つまり簡単に言えば「元気に生き生きと生きる」ということでしょう。
そこから生まれる「知的努力」です。
これについては東洋の教えでも、
「道学」という中国の思想に、「生生」というものがあり
また、禅の教えにも「活潑撥地」(かっぱつぱっち)、というものがあり、
ベルクソン哲学はあんがい東洋的なのかもしれません。
つまり「よい画面を拵える」ことや「よいブログ記事を書く」
ことでは「わたしがまず元気を出す」ことが重要です。
活力のある状態を目指すことです。
お金持ちでも活力を失うことはよくありますが、
いくら財産があっても、
元気でないとだめなわけです。
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そして画面の「手応え」などというものは
長く画いてゆくとだんだんに掴めるものですが
画面の「展開」に先立って、まず「手応え」があります。
「この方向でゆける」とか「この方向でゆこう」
という、「ある感じ」です。
この感覚は、稽古して覚えるしかなく
「イメージだし」とは
この「手応え」を掴むための方法、と言えるかもしれません。
ああでもない、こうでもない、
と考え続けた挙句にやってくる、
「突然の覚醒」で
まるで「あかりがともる」ような経験です。
この「あかり」は神秘的なものではなく、
ある「パースペクティブ」(展望)の「直観」です。
一気に「これでゆこう」ということがわかり、
そういう経験はみなさんもおありではないかと思います。
それは、ある種の「成熟」で、
こういう「ささやかな覚醒」を、迷い、困りながらいくつもだんだん積み重ねてゆくのが
稽古というものかもしれません。
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さて今日わたしはなんとか「手応え」を得て、
この記事を書いています。
まったく毎回ヒヤヒヤものです。
「アートフェスタ」が終わり
雑用に追われていて、なかなか稽古が難しい状態でした。
また勉強をしながら稽古をして行きます。
もしよろしければ、このブログをまた覗いてみてください。
不定期更新ではあるのですが、
毎回頭を捻ってあれこれ真剣に考えながら原稿を書いています。
作品もちらほらでき始め
ほっとしています。
それでは次回またお会いしましょう。
( つづく)
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