イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

ものまなびのちから

2024-06-13 18:01:47 | 日記

 

みなさん、おはようございます。
 
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
 
ここのところで画面の稽古には大きな進展がありましたが、
 
今回は画面の稽古の話題からちょっと離れ、
 
「ものまなびのちから」と題して
 
また「考える方法」を考えてみたいと思います。
 
よろしくお願い致します。
 
考える方法と画面の稽古は親戚のようなもので、
 
画面の稽古に興味がある人にも参考になる部分があると感じています。
 
これをわたしは「メモワール法」と呼び、毎日実践しています。
 
主に「書きことば」での稽古が中心になってしまうのですが、
 
参考としては、わたしのブログの過去の記事
 
たとえば「メタ・ノーティングの「構造」と「メモワール」について」
 
などをご覧いただけると幸いです。
 
 
「メタ・ノートの技法」と「メディア」については、
 
考える道具として、
 
わたしは「情報カード」を毎日のように使っています。
 
「情報カード」と「iPad」を組み合わせた方法をしていて、
 
勉強しながら、情報カードにメモをとり、
 
iPadで「まとめる」作業をしています。
 
これは自分にしかわからない、即興的でくだけたことばですが、
 
ちょっとした単語がいくつかちらほら並ぶ段階から、
 
ちょっとしたことばのグループや短いフレーズ、傾向、を見つける作業で
 
これはすごく長い期間がかかります。
 
同じようなことばの繰り返しのような過程にも重要な意味があると感じていて、
 
画面の稽古と同じように、まったく試行錯誤の連続です。
 
ここでやっていることは、
 
勉強しながら、
 
自分なりの「きらっと光る言葉」をたくさん捜してゆくことです。
 
「これはいいな」「これでゆこう」という感覚や方向を探す作業ですが、
 
多分に感覚的、直観的なもので、
 
これは、「コピーライター」さんの仕事にかなり近いと思います。
 
ことばがちょっとずつまとまってゆくプロセスです。
 
 
 
 
考える営みをちょっとずつ続ける努力
 
書くことをやめないことと、学ぶ姿勢を維持すること、
 
そういう「充実したひととき」を生活に持つ工夫、
 
これが大切だと思います。
 
やっていることは、つまり、
 
ある「まとまったメディア」に「アイデアだし」をすることで、
 
「イマジネーション・トレーニング」に「イメージだし」と「アイデアデッサン・ノートブック」
 
があるように、
 
書いたアイデアを「コレクション」してゆき、
 
あとで見返すことができるようにすること、
 
これが「メモワール法」というものです。
 
 
ちょっとした「メモワール」の断片を、
 
まとまった「文章の形」に「昇華」してゆくプロセスを、
 
わたしはいまのところ、方法としては完全には把握していず、
 
正確で具体的な「アルゴリズム」の形で、きちんとはっきりとは表現できないのですが、
 
やはりここでも「まず具体的に書いてゆくこと」が大切で
 
それが「考えるうえのメチエ」だと思います。
 
忍耐がいる作業です。
 
そして、これも「一種の創造過程」で、
 
ある「イマージュ」や「視界」を育てるには、
 
漠然と思って感じているだけではなく
 
まず、現実的な形に表現することが大切だと思います。
 
 
また、文章のかたちにするなら、
 
これは、はっきり趣味や好き嫌いの問題ですが
 
わたしの場合には、コンピュータや、iPadが合っています。
 
いろいろ文章がいじれて、
 
こういうふうに画面写真まで添付できるのは
 
デジタルの強みでしょう。
 
これを「アナログメディア」でするのは
 
すごく大変だと思います。
 
わたしはEvernoteやBear、IAライターなど、
 
必要に応じて、
 
いくつかの「メモアプリ」を使いますが、
 
これはいわゆる「ノーティング」の作業になり、
 
とにかくたくさんやることが、大切なポイントになります。
 
音楽の作曲でも、
 
いい曲を書くコツは「とにかくたくさん書くこと」だそうです。
 
文章には「ある流れの必然性」があり、
 
それに乗って書いてゆくことが大切です。
 
またこの「流れ」に助けられるということがあり
 
文章はびとつのちいさな秩序です。
 
そのとき書きながら、ふっとひらめくことばもたくさんあり、
 
ちょっとずつ文章をいじる作業をしています。
 
これも、画面の稽古にすごく似ているなと感じます。
 
 
 
 
 
「ことばを持つこと」は「自分なりの考えや意見を持つこと」で、
 
ただの一般論や借り物ではない、はっきりした自分なりの意見をもつことには、
 
それなりの責任があり、
 
なかなか度胸がいることだと思います。
 
おおげさにいうと、
 
「自分なりの世界観」をもつことでしょう。
 
いつも、いいことばを持ちたいと願っています。
 
ある「人生の重要なタイミング」でないと、
 
そういう「考え」はなかなか成熟せず、いい文章は生まれません。
 
なかなか難しいことですが、
 
「ベクトルを内側に向け」て、「ある固定観念」を「意識化、相対化」してゆく必要があると思います。
 
こういうものを「ものまなびのちから」と呼んでいます。
 
 
社会の「人間関係」のうえで、「こころ」を課題にする場合には
 
問わず語らずの部分がたくさんあり、
 
厳密である必要はまったくなく、
 
曖昧で漠然としていることの価値も大きくあると思います。
 
そして、「よくわからない」ということにも大きな意味がありますが、
 
自分がしっかりしていなければならない場合、
 
大きな割り切りとして、
 
ある程度はっきりしていた方が
 
混乱も少なく、建設的な結果が出ると
 
わたしは経験からは感じています。
 
 
読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。
 
いつも、こういう風にこつこつ勉強して、稽古しています。
 
今回も報告を見ていただき感謝しています。
 
稽古し学ぶ上での、
 
なにかささやかなヒントのようなものが表せるとよいと願っていつも書いています。
 
また次回お会いしましょう。
 
 
 
(   つづく )

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