
みなさん、おはようございます。
「イマジネーション・トレーニング法」連載のひとときです。
よろしくお願いします。
今回は「アンソロジーからシリーズへ」というタイトルで書いてみたいと思います。
そもそも「アンソロジー」というものは、
水彩和紙でのイマジネーショントレーニングが、ばらばらなので、
仮にダイソーの「クリアブック」にしまったもので、
作った順番にできるものです。
これをいちおう「アンソロジー」と呼んできました。
現在これはざっと30冊程度です。
内容は、種類もばらばらで、完成度もいろいろです。
ようするに稽古の記録をざっと簡単に保管しているものです。
ここで、個展となり、
そのバラバラな「アンソロジー」の中で
今回、「天下大道」と呼ぶ「モティーフ(動機)」から、
「シリーズ」という冊子を、三冊ほど用意しました。
作業としては、
「アンソロジー」の冊子から、
「天下大道」の作品群をピックアップして、
それを、別の「シリーズ」用のクリアファイルに移しています。
また個展の展示では、
「シリーズ」からさらに選んで
凝縮した表現、あるいは展示できるもの、を厳選するという作業をしてみました。
そうしてみると、稽古のプロセスとは、
ある意味で、この「シリーズ」を「厳選凝縮」してゆくものだという風に、
見る方法があると気が付きます。
毎日の稽古では、毎回、必ずある特定のモティーフが出るわけでもなく、
またそうそうレベルの高い作品ばかりできるものでもないのは、
すでにお話したとおりですが、
こういう風に「シリーズ」というものを考えてゆくという視点ができて
いろいろと書きながら考えさせられます。
こういう視点では、
一枚ずつの「イマジネーション・デッサン」「アイデアスケッチ」を、
「エスキース(下絵)」と呼びたいと思います。
そうなると「シリーズ」というものは、
ある意味で稽古の理想像に近いものとなると
言えるのではないかと思います。
しかしながら、
「アンソロジー」という「現実」と、
「シリーズ」という「理想化」は、はっきりと大きなギャップがあります。
ここをどう考えるかは今後の課題にしたいと思います。
(つづく)