イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

しばらくともに暮らすこと

2022-03-25 16:57:41 | 日記



おはようございます。

連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。

よろしくお願い致します。

今日はタイトルにあるように

「しばらくともに暮らすこと」をテーマにして

ちょっと稽古を考えてみたいと思います。

この言葉は、本で読んだもので

わたしが発明した言葉ではないのですが

考えて見て

恋愛や結婚があると思います。

恋愛でも「しばらくともに暮らすこと」がとても大事で

ひとつの季節をともにして

さようならというケースもありますが
 
やはりここである程度人間的にも成長するわけです。

恋愛というのは不安定な関係で

藝の稽古にとても近いと感じます。 

稽古では「スタイル」という難しい問題があり、

しょっちゅう方法論を変えれば

それだけ成長できるというものではなく 

あるやり方やアイデアと

「しばらくともに暮らす」ことはすごく大事だと感じます。

内的必然性というものが大事です。

自分の稽古がマンネリで物足りない感じることはままあり、
 
あれこれ試すことは無意味ではないと思いますが

では右往左往していれば、「人間的に成長できる」かというと 

ちょっと違うなあと感じます。

「これだ」というものが大事なわけです。

それをなんとか摑むことです。

恋愛の場合には結婚が「ゴールイン」となるのが

理想的な解決だろうと思いますが

うまく自分のスタイルを掴んだとき

そこでも、しょっちゅうころころやり方を変えていたら

夫婦喧嘩のたびに離婚する夫婦と似ていて

あまり人間的には成長しないのではないかと思います。

自分のスタイルにたどり着くことはすごく難しいテーマで

「理想の結婚相手」にかなり近いのですが

結婚して家庭を持ち、子供を育てるように

「内発的な発展」というものがあると思います。

それが以前お話した「展開」というものです。

わたしも自分のスタイルでは悩みますが

いまのところわたしは

「イマジネーション・トレーニング」という方法論と 

「しばらくひとつの季節をともに暮らして」います。

(つづく)


自分の力に気づくこと

2022-03-17 11:12:25 | 日記



みなさんおはようございます。


連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。


よろしくお願い致します。


さて、


わたしは絵を描きながら「イメージ」というものを探求しています。

イメージとはなにでしょうか?

イメージの世界はよくいうように

摩訶不思議で

精神の深い根底をなしているようです。

それは心であり、からだでもあり、

自己そのものであり、また社会の構造でもあります。

そして絵というものは

あるいは「ことば」という方法は、

向き不向きもあるとは思うのですが

手軽に「イメージ」を具体化して

自分ではっきりと確認できる、

そういうものだと思います。

そういうふうにして

一回「具体化」してみないと

なかなかうまく把握できないのが

イメージというもので

さまざまな「イメージ法」はありますが

絵を描くことは簡単で健康的な方法だと思います。






また「ことば」からのアプローチとしては

わたしは「メモワール法」や「セルフ・ヘルプ・ワーク(セルフ・ヘルプ・メモワール法)」を

実施しています。

そして、こうして毎日描いてゆくと

「こんなものができるとは」とちょっと驚くこともままあり、

毎日描いてきた作品たちを回想的に眺めてみて

やはりやってきてよかったと思います。

さて、今回のテーマ「自分の力に気づくこと」ですが

これは誰にでもあることだと思います。

なにかをまじめに実行していって

ある時点で、改めて具体的に自分の力を確認することは

幸福な体験だと思いますが

むろんそんなに特殊なことではありません。

成長とはだいたいそういうものでしょう。

またここで「自分の限界」を

はっきりと感じる経験もよくあると思います。

この「自分の力を知ること」と

「自分の限界を知ること」は

コインの裏表のようなものだと思います。

わたしはさまざまなものになろうと

これまでチャレンジしてきましたが

どれもうまく行かずに

しかし、絵を描くことだけはできます。

まあさして立派な絵ではないかもしれませんが

これは誰にも真似できない「わたしなり」です。

それをちょっとずつ良きものへと改善する可能性を探求し続けています。

またわたしはその経験を

かなりわかりやすい散文として

このように表現することも、なんとかできなくはなさそうです。

さして「受ける」文章ではなく、

自分の能力の限界で落胆し、悲観的になることもありますが

そういうことに挑んでゆけるということが

わたしにとっては幸福だと感じています。

いまは困難な時代で

いろいろとややこしいできごとに満ち溢れています。

無力感を感じることはありますが

台所の机でコツコツと絵を描く営みは

あるいは茶店のテーブルで、和紙の原稿用紙に筆ペンで向かう作業は、

ただの逃避や慰めというのではなく

「自分の力に目覚める営み」だと思って

今日もわたしは絵を描いています。

まずは落ち着いて冷静に一枚の絵を仕上げること

それは無限の重みを持って

精神の深層と連なっているでしょう。

それがわたしにとっての「イメージ法」です

そしてこれがどなたかの参考になればいいと思いながら

この原稿を毎回書いています。

今回の原稿はちょっとした「随想」で、

方法論の話ではないでしょう。

難しいことですが、

こういうチャレンジもこれから少しずつ

できるときはしてみたいと思っています。

では、また次回お会いしましょう。


( つづく)

「展開」を追って

2022-03-10 13:48:30 | 日記



みなさん、おはようございます。

連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。

よろしくお願い致します。

ここのところ、「イマジネーション・トレーニング法」の

根幹に関わる基本概念についての原稿がばたばたできてきて

非常に驚いています。

どれも稽古しながら感覚的に摑んでいったものなので、

こういう風にはっきり言語化するという試みは

かなり新鮮な印象です。

今回は「展開」、「展開現象」について、

なるべく具体的に書いてみようと思っています。

「展開」とは、創造的な営みといえると思いますが、

それは一種の「伝言ゲーム」のようなもので

少しずつ、新しい要素が加わって、新しく変化してゆくことを指します。

以前も書きましたが、

ちょっとずつ、ちいさな変化が積み重なり

気がついてみると

かなり違うものへと「変貌」してゆきます。

繰り返すということで

新しい要素や、観点、視野に気付くことがよくあり、

こうしてみようという「気づき」もここで起きてきて

まるで、それは、なにかが自発的に「自己発展」「自己展開」してゆくような感覚を

稽古してみて、感じる経験です。

展開の基本的な要素は

なんといっても「パターン展開」で、

「パターン展開」のことは

すでにかなり触れていますが、

さまざまな「ベーシック・パターン」を試していたとき、

いくつかの基本要素の組み合わせから、突如として

「天下大道」が現れ、

それにさまざまなバリエーションが発生したのは、

わたしにとっては、非常に大きな経験でした。

そこからさらに「直線の交錯」や「面への展開」が現れてゆき、

いま、このシリーズは、現在進行形の稽古となっています。




また、「曲線の構成」は、いろいろな曲線の絡み合いで、

必ずしも「こうです」という特徴的なパターンではないのですが、

さまざまなアイデア、

「画面のあやとり」、「なぐり書き法」、「リバティー・バランス・セッションズ」、「画面の自由」、「ランダム・ウォーク」

などがここから、どんどん「展開」してゆき

これは、

いまようやく気づきますが、

「アイデア展開」と呼んだほうが、

適切かもしれません。

アイデア展開の具体的な基礎づけです。

また「マチエール展開」については

前回かなり詳しく、書いたと思います。

そういう風にして、

「展開」は、音楽の「進行」と、同じくらい大切な、

「稽古を進めてゆく原動力」になっています。

まるで季節の循環が、

生命を育んでゆくように

この「展開」の原理というものは、

稽古の成長を支えています。

(  つづく )

「マチエール展開」をめぐって

2022-03-01 20:25:12 | 日記



みなさん、おはようございます。

連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。

よろしくお願い致します。

いままでわたしは「マチエール」という用語を無限定で扱ってきたようで

ここである程度は、はっきりさせた方がいいと感じます。

この概念はわたしの絵画の最初の師が非常に重要視していたもので

わたしはきちんとした「定義」は聞いていないと思うのですが

「手触り、触感」さらには「実体感」という意味で

捉えていて

美術の専門的な用語とどれくらい距離があるか

きちんと確認していないのですが

(「メチエ」でしらべると、「職業、技能」などがあります。)

「「ある」という存在感の強さ」としても

この「マチエール」という用語を使っています。

わたしは二番目の絵の師に就いて

当初は「マチエール」よりも「パターン」を重んじていて

これは師匠の問題というよりは

そのときのわたしの稽古の歩みなのですが

「マチエール」という問題にわたしが再着手するまで、

かなりの期間「パターン」という問題に取り組んでいました。

わたしが「マチエール」という概念を思い出し、

「マチエール展開」というアイデアに気づいたのは

最初の師匠が亡くなったあとで

初めての個展をしたあとですから

ここ一年くらいの傾向となります。






はじめは筆ペンで描いた曲線や直線などを

上から「色ペン」

「ネオピコカラー」と言って

たまたま画材屋さんで売っていたものを数本買ったのですが

その「ネオピコカラー」で上からなぞるだけで

線になにか「説得力」のようなものが増すというのが

そもそもの出発点になります。

そんな簡単なことと思うでしょうが

わたしはここから考えはじめて

筆ペンで描いた上から水彩絵の具でなぞる技法、

描く紙そのものの特徴からくる「滲み」の特徴を生かす工夫

などをいろいろ実験していき、

これを「マチエール展開」といって

「展開」概念の一部と解釈しています。

そしてこの「マチエール展開」は

なにぶん記録には残りづらく

なにをしたか忘れがちで

自分でもなにがなんだかわからなくなるので、

個人的に「マチエール展開のレシピ」というものを

よくできた「マチエール展開」については

記録するようになりました。

たとえば

「水彩和紙」の表面にまずは「瞬筆」という「筆ペン」で

図形をさっと描き

その上から「サップグリーン」の「水彩絵の具」でなぞる

そこからくる自然な「滲み」の効果は

最初から採用した基本的な「マチエール展開のレシピ」ですが

サップグリーンの上からペインスグレーをかけたり

はじめ描く線をボールペンにして

水彩を上からかけたり

アクリルや、顔彩を使ってみたり、

さらに上から筆ペンでなぞったり、

敢えて滲みを抑えるために和紙の裏を使うなど、

「パターン展開」ほど大きなバリエーションはできないのですが

わたしの描く絵の「説得力」をあげる上では

この「マチエール展開」の稽古は

欠かせない要素となっています。

そういう視点で、絵を見ていただけると

今回、非常に嬉しく思う次第です。


( つづく )