イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

メチエのトンネルより

2024-04-20 18:16:15 | 日記

 

みなさん、おはようございます。
 
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
 
みなさまおかわりないでしょうか。
 
よろしくお願い致します。
 
 
ここのところわたしは「紙」のバリエーションを増やしたいと感じていて
 
いつもお世話になっている「世界堂」さんの
 
「洋紙」コーナーに頻繁に伺っていました。
 
そこでいろいろな紙を吟味して、
 
「ゴンドラパステル」向きの紙はないかなと探していました。
 
微妙な中間色の構成の映える、
 
少しグレードの高い紙を探していました。
 
その結果
 
名前だけ挙げても仕方ないかもしれませんが、
 
「マーメイドの白」や「シリウス」などという紙に出会い、
 
大きさは、A4、B4、A3などです。
 
色味や紙の目などに惹かれて、
 
すこし大きめの紙などもいいなと思っています。
 
それと関係しているのかもしれませんが、
 
これでゆっくり稽古してゆくうちに
 
「色構成」の必要を強く感じ、
 
ゴンドラパステルや水彩色鉛筆、
 
などでの構成が始まり、
 
そのせいか、
 
わたしはすっぽり「メチエのトンネル」に入ってしまいました。
 
これはある意味ではおそらく「成長」でしょう。
 
 
 
画面としての「必然性」を追ってゆくうちに、
 
ずーっと「彩色分割」のような作業を繰り返しやり続けています。
 
これは達成感の低い「きつい」作業ですが、
 
いまはこれをするしかないと思います。
 
おそらく、ようやくここでわたしは成長を始め、
 
「メチエ」の面から、
 
この「トンネル」のなかで「画面の稽古」を成長させたいと願っています。
 
また「イマジネーション」の面でも、
 
なにか成長があるといいなと願っています。
 
たとえば「マチエール」の点などです。
 
 
 
 
最後に、
 
今回の「メチエのトンネル」の
 
なかから
 
もう一点紹介したいと思います。
 
これは「うまくいっているな」と感じた貴重な一枚です。
 
 
 
 
 
 
いつまで、この「トンネル」が続くかはまったくわかりませんが、
 
次回の報告は
 
もうちょっと明るい、前向きなものにできることを祈り、
 
今回の筆を擱きたいと思います。
 
また次回お会いしましょう。
 
 
( つづく )
 

「なにかがそだつ」こと

2024-04-02 16:24:32 | 日記

 

おはようございます。
 
櫻も咲き、よい季節になりました。
 
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
 
よろしくお願い致します。
 
ここのところでは、
 
例によってわたしはこつこつと勉強して、
 
また画面に取り組んでいました。
 
そして、
 
ここで取り上げたいなというテーマがあり、
 
「なにかがそだつこと」です。
 
わたしは「イメージやパターンの探求」として画面を稽古していて、
 
それが要するに「イマジネーション・トレーニング」です。
 
その「イメージやパターン」について、
 
繰り返しになることも多く、
 
うまく書けるかわかりませんが、
 
そろそろ書いてみたいなと思っています。
 
よろしくお願いします。
 

 
 
わたしのしている「画面の稽古」は
 
「コンポジション」などの意図はほとんどなく、
 
もちろん「稽古育て」や「メチエ」は、いろいろ工夫していますが、
 
これを「絵」とよんでいいか、ちょっとためらいます。
 
それで「画面の稽古」と呼んでいて、
 
即興的に、
 
ある「イメージだし」を具体的な「パターン」で行っています。
 
「パターン」というものの、考えと方して、
 
「ベーシック・パターン」や「プリミティブ・パターン」があり、
 
「画面」、「記録」というものの宿命として、
 
はっきりした「すがた」というものを通して「イメージ」を探求しています。
 
またそういう「具体的」なかたちにしてみないと
 
「イメージ」というものを捕まえるのはかなり難しいと感じます。
 
これは「音楽」が「楽譜」という「パターン」を使っているのと同じで、
 
「瞑想でビジョンを見る」
 
などとははっきり違うやり方です。
 
 
 
 
 
ここでおもいだすのは、
 
これは仏壇屋さんかなにかの看板で読んだのですが、
 
「こころはかたちを求め、かたちはこころをすすめる」
 
という有名なことばです。
 
わたしの感覚としてはこつこつと稽古してゆくうちに
 
ひょいひょいと「気づき」や「思いつき」
 
が重なって、
 
「かたち」がだんだん育ってゆき、
 
画面の仕事が進むような感じです。
 
だいたいいま、
 
一日3枚程度の画面を稽古していますが、
 
具体化したものとわたしのなかのなにかが触発され育ってゆき、
 
それは「こころ」といっていいのかもしれません。
 
わたしもときに「脩養」というものを考えますが、
 
この稽古を通して、
 
「人間的な成長」があるなら、すごく嬉しいと思います。
 
理想を言えば「境涯」のようなものが、
 
将来、あらわせたらいいと願っています。
 
 
 
 
 
 
以前にも「展開」という用語を使って、
 
このプロセスを書きましたが、
 
「イメージだし」とか「展開」とかは
 
理屈でうまく説明するのは難しく
 
実際、やってみないとよくわからないのではと思います。
 
「イメージだし」とは
 
要するに「具体的にかたちにしてみる」ことで、
 
たとえば、文章のこういう原稿でも、
 
ある程度は書いてみないと考えも進みません。
 
それが「イメージ」といえば「イメージ」でしょう。
 
つまり、
 
これがわたしなりの「イメージとパターンの探求」
 
ということになります。
 
ですから「知的生産の技術」として、
 
「思考してゆく方法」としての「ある一般性」があると思います。
 
だいたい誰でもこういうことは、
 
多かれ少なかれ、やっているのではないかと思っています。
 
 
そういうわけで、わたしの場合、
 
イメージとパターンは同時に即興的に育ってゆき、
 
モーツァルトの場合には
 
交響曲の全体が一瞬で見渡せたそうですが、
 
わたしの場合、そういう「離れ技」とはぜんぜん違うわけです。
 
毎日の勉強や稽古の日々で、「なにかが育っているな」
 
と感じられる瞬間があり、
 
それが一番楽しみな感覚です。
 
 
 
 
 
 
今回は「なにかがそだつ」
 
という出発点から考えて
 
「文章の即興」のようなことを行ってみました。
 
うまく行ったかあまり自信がないのですが
 
読んでいただき
 
ほんとうにありがとうございました。
 
ぽつぽつ書いてゆきます。
 
また次回お会いしましょう。
 
 
 
( つづく )